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豊川稲荷で何があったの? (皐月物語 16)

 冷たい緑茶と珍しい水羊羹を食べ終え、栗林真理くりばやしまりはやり残した夏休みの宿題に取り掛かることにした。あとは藤城皐月ふじしろさつきがプリントアウトしてきた荼枳尼天だきにてんについてのレポートを書き写すだけで終わりだ。
「面倒くさいな……。なんで手書きじゃなきゃいけないんだろう。疲れちゃう」
「頭おかしいよな、学校って。授業でパソコンやらせるくせに、こういう宿題ではパソコン使わせないだからな。矛盾じゃん」
「パソコンで自由研究やってもいいなら、私は皐月からもらったのをそのまま提出しちゃうよ」
 いたずらっぽく笑っている真理を見て、皐月は嬉しくなった。真理は小さい頃から横着な奴だった。
 学校での真理は勉強ができるせいか、周りからは真面目だと思われている。その思いに応えているつもりなのか、真理自身も優等生を演じているように見える。皐月は久しぶりに真理の素の姿を見た。

 真理が皐月の自由研究のレポートを読み始めた。真剣に読んでいる姿を見ると、皐月は自分の心の中を読まれているようで恥ずかしかった。
 皐月は荼枳尼天のことを調べながらレポートを書いているうちに、怖い荼枳尼天のことを好きになっていた。これは真理に気付かれたくないことで、怖い女性に憧れていると誤解されかねないからだ。
「この荼枳尼天の研究、面白いね。荼枳尼天って神様なんだよね。でも本当にこの世界にいた実在の人物のような気がしてきた。皐月ってこんな文章書けるんだ」
「まともに物を調べて文章を書いたのは、これが初めてかもしれない。結構がんばって書いたんだぜ。ちゃんと書けてた?」
「書けてたよ。自由研究っていうよりもファンブックって感じで、すごく良かった。私だったらこんな風に書けないな……。もしかして皐月って国語得意なのかな」
「さあ? 学校のテストなんて満点が当たり前だから、よくわかんねーや」
 偉そうなことを言ってはみたが、たまにつまらないミスをして満点を逃すことがある。真理のように必ず百点満点を取っているわけではないし、クラスにはもう一人、真理みたいに満点しか取らない女子がいる。

「ねえ、皐月ってさ、もしかしたら今からでも中学受験、間に合うんじゃない? 国語と社会が得意だったら、あとは算数と理科だけでしょ。算数と理科だって苦手ってわけじゃないみたいだし、集中的に勉強すれば戦えると思うんだけど」
「そんな……今から勉強したって真理が今まで積み上げてきた勉強量に追いつけるわけないじゃん。こんなに頑張ってる真理でも難しいって言ってるくらいだから、俺なんかとてもやれる気がしない……」
「一番いい学校に行かなくてもいいんだったら、受かる学校はたくさんあると思うんだけど」
 真理は自分が中学受験をすると決めてから、事あるごとに皐月にも受験を勧めてくる。真理は女子校への進学を希望しているので、皐月が私立中学に進学したところで同じ学校に通えるわけではないのにもかかわらずだ。
「受験なんて今まで考えてこなかったから、急に考えろって言われても困るな……」
「急じゃないよ。ずっと言い続けてきたじゃない。じゃあさ、地元の稲荷中に行くってことについては真剣に考えたことあるの?」
「ここに住んでいたら稲荷中に行くのが当たり前なんだから、そんなことわざわざ考えるわけねーだろ」
「一度考えてみて。できれば皐月には私立の中高一貫校に行ってもらいたいの。皐月の性格だったら絶対に私立の方が向いてるから。公立に行ったら個性が潰されちゃうよ。ああいうところはみんなと同じにしなきゃいけないから、私には無理。それはたぶん皐月も同じだと思うし、皐月の方がもっとキツいはず」

 真理の言うことももっともだと思った。確かに中学に明るいイメージはない。知っている上級生で楽しそうに中学に通っている人を見たことがないし、街で見かける中学生の表情も暗い。いじめの話も聞く。皐月が黙りこくっていると真理が心配そうな顔をして謝ってきた。
「ごめんね。皐月に中学受験を押しつけるつもりはなかったの。ただ心配だっただけで……」
「……うん。ありがとう」
「もし良かったら高校受験の時に名古屋の私立の進学校への受験も考えてみて。私立は内申点は考慮されないで実力勝負ができるから、先生に嫌われても問題ないよ。皐月みたいなタイプにはそういう試験一発勝負みたいな選抜の方が合ってると思う」
「ところで内申点って何? 初めて聞いたんだけど」
「学校の通知表のこと。生活態度に点数をつけられるんだよ。先生に嫌われたら容赦なく点数削られるから、公立中学ではいかに先生に好かれるかに心を砕かなきゃいけないの。提出物を出し忘れたりしたら一発アウトだから、精神的にキツいよ。あと、ケンカもダメだからね。いくら自分に理があっても両成敗されるから。それから--」
「ちょっと待ってよ。そんなに矢継ぎ早に言われても……。要するに先生は神ってこと? とにかく中学ではトラブルを起こすなってこと?」
「そう、その通り。よくわかったね。皐月なら国語の抽象化問題も余裕だわ。脳みそ分けてほしいよ」
「真理が稲荷中を嫌ってるのはよくわかった。それより早く宿題片付けちゃおうよ」
「そうだね。早く宿題なんか終わらせて受験勉強したいよ」
 皐月は目を丸くした。真理は宿題を終わらせた後で受験勉強をする気だ。自分なら解放感で思いっ切りダラダラとしたくなる。いつの間にか凄い奴になったんだな、と真理のことを今まで以上に尊敬する気持ちが強くなった。

 真理は荼枳尼天だきにてんの研究を読み終え、書き写す作業に入った。模造紙に大きく書けば体育館に展示される時に広いスペースを使って掲示されるので、とても目立つ。真理はそういう先生やPTAに受けそうなことは嫌っているので、目立たないようにレポート用紙に書くことにした。
 皐月は真理へ渡すポスターの仕上げにかかった。最後にワンポイント、女の子の横に自転車を書き足すことにした。
 真理からタブレットを借りて、真理の自転車の写真を撮って模写した。最初はタブレットの光で画用紙を透かしてトレースしようと考えたが、やってみると写真がぼんやりとしか見えなかったので、結局自分の目で見て描いた。
 30分くらいで絵を完成させた。やることがなくなったので真理のことを眺めていると話しかけてきた。
「そういえば豊川稲荷でちょっと不思議なことがあったって言ってたけど、何があったの?」
「ああ……。別にたいしたことじゃないから」
「何をもったいぶってんのよ」
 皐月は話す相手を間違えた。現実的な真理に不思議なことを話してもバカにされるだけだ。
「奥の院に通じる参道に千本幟せんぼんのぼりってあるじゃん。そこの雰囲気がなんか急にヤバくなってさ。妖気が漂うっていうか、ちょっと不気味な感じになってきて」
「皐月って昔からそういうこと言うよね。私はいつもわからないんだけど。それで?」
博紀ひろきたちと四人で狐塚きつねづかに行こうって話になった。祐希が豊川稲荷に行ったことがないっていうから、一番ディープなところに連れて行ってやろうってことになったんだ」
 皐月は嘘をついた。本当は入屋千智いりやちさとに誘われたからだ。二人で手をつないで狐塚に行ったことは口が裂けても言えない。
「で、狐塚で何かあったの?」
「狐塚に行ったら急に暗くなって、夜みたいになっちゃってさ。まだ5時だぜ。この時期だったらまだ明るいじゃん。それなのに明かりがつくくらい暗くなって」
「そんなの、たまたま雲で陰ったんじゃないの?」
「俺もそう思った。でもその日は快晴だったんだ。狐塚に行った後、境内に戻った時はまだ明るかったし、空は雲一つなかったよ」
「ふ~ん。それで?」
「それだけ」
「はあ? 何それ。オチないじゃん!」
 こうなることは予想がついていた。話がつまらないと真理はいつも怒る。だが皐月は面白い話だと思っていたので、話し方が悪かったのかと反省した。
「いや、あれはちょっとヤバかったんだって。怖くて狐塚の中に入れなかったんだもん。この微妙な感覚、わかってもらえないかな?」
「微妙な感覚って言うけど、それって皐月が単に怖がりなだけでしょ?」
「博紀にもビビってんじゃねえよってバカにされた。あいつ鈍いからそういうのわかんないんだよな……。そういや真理も霊に鈍感だったっけ」
「私は霊とか、全然わからないよ。皐月だって言うほど霊に敏感なわけじゃないでしょ。幽霊なんて見たことないくせに」
「ああ……この繊細な俺の感覚、わかってくれそうなのは秀真ほつま筒井つついだけかもな……」

 秀真と筒井は皐月や真理のクラスメートだ。神谷秀真かみやしゅうまはオカルト好きの少年で、クラスの中では皐月と特に仲がいい。筒井美耶つついみやは1学期の間、ずっと皐月の隣の席だった少女だ。美耶は5年生まで熊野の山奥に住んでいたせいか、野性の勘が妙に鋭い。
「美耶ちゃんなら皐月の言うことだったら何でもウンウンって聞いてくれるよね~」
 美耶は皐月のことを好きだとクラスメイトに公言している。そのせいで皐月はいつもみんなにからかわれているので、美耶のことは嫌いじゃないのに、つい冷たくあしらってしまう。
 真理は社交的なタイプではないが、クラスの誰とでもそつなく話しているので、美耶とも仲が悪いわけではない。でも今の言い方には少し棘があった。
「俺、眠くなっちゃったよ。ソファーで寝かせてもらうわ」
「そんなところで寝たら邪魔だから私の部屋のベッドで寝てよ」
「いいのか? 真理のベッドを使っても」
「別にいいよ。鰻が届いたら起こしてあげるから眠っててよ。昨日遅くまで自由研究やって疲れちゃったよね」
 眠りに逃げようとズルいことを考えていたのに、思わぬ優しい言葉をかけられてしまい、気持ちが揺れた。皐月は翻弄されてるな、と思った。
「じゃあありがたくベッドを使わせてもらうわ」
「部屋の中の物、勝手に触ったら殺すよ」
「触らねーし!」
 皐月はキッチンを借りて絵具を洗い、道具を片付けた。リビングに戻り、宿題をしている真理を見下ろすと、自由研究を終わらせるのにはまだ時間がかかりそうだ。
 先が見えた安心感から、皐月は本当に眠くなってきた。真理のベッドに入ったことがないので少しドキドキしていたが、布団に入れば変に興奮しないで寝てしまいそうだ。
「じゃあ真理のベッド、借りるからな」
「うん」
 皐月はリビングを出て、真理の部屋へ向かった。真理の部屋に入るのは久しぶりだ。


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音彌
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