転校デビュー失敗 (皐月物語 31)
毒を吐いてすっきりしたのか、藤城皐月には入屋千智がホッとしているように見えた。東京から愛知の豊川へ引っ越して来て今日までの間、随分と鬱憤が溜まっていたのだろう。千智には暗黒面を見せられる相手がいなかったのかもしれない。
外見を褒められた時に見せる千智の戸惑いの理由が皐月にもようやく見えてきた。だが、思い込みを排除してきちんと向き合いたかったので、もっと踏み込んだことを聞かなければならないと思った。
「千智がクラスの女子から嫉妬されていたっていう話、もう少し詳しく聞かせてもらいたいんだけど、いい?」
「うん……そうだね、藤城先輩ならいいかな……。自慢っぽく聞こえちゃう話もあるから、もしかしたらイヤな女って思われちゃうかもしれない。クラスの子たちみたいに私のこと嫌わないでもらえると嬉しいんだけど……」
「俺が千智のこと嫌うわけないじゃん。それに俺は人の自慢を聞くのって、そんなに苦じゃないし。安心して言いたいことを言ってほしいな」
「ありがとう。……じゃあ話すね」
東京の小学校での千智は明るく朗らかな女の子だった。友人にも恵まれ、毎日楽しく学校生活を送っていた。前の学校の雰囲気がよかったからなのか、あるいはまだ4年生だったので幼かったからなのか、千智は男女の隔てなく仲良く遊んでいた。
豊川の稲荷小学校に転向してきた時も、東京の時と同じように過ごせたらいいな、と思っていた。まだ一人も友だちがいないこのクラスに早く溶け込みたいと思い、自分からは積極的に話しかけられなくても、声を掛けられたらまずは誰でも受け入れようと思っていた。
結果的にはそれが裏目に出た。
初めて入った教室では女子は女子と、男子は男子とで少人数のグループがすでに出来上がっていた。新学年だし、おそらくクラス替え直後だろうから、こうなるのも仕方がないのかな、と千智はぼんやりと考えていた。
千智の名字は入屋なので名簿順で女子の一番になっていて、割り振られた席は最前列の窓から2番目の場所になっていた。両隣と真後ろが男子の席で、女子は両斜め後ろの二人だけだった。まずは女の子と話ができたらと思っていたが、不幸だったのはその二人の少女がそれぞれ後ろの席の女の子と話をしていたことだ。千智は完全に孤立していた。
寂しい思いで何日か過ごしていると、右隣の少年が千智に話し掛けてきた。彼は皐月の幼馴染の月花直紀だった。
「直紀やるじゃん。あいつ人懐っこいよな」
「うん。あの時はちょっと救われた」
直紀は千智に「見かけない顔だけど、何組だった?」と聞いてきた。東京から引っ越してきたと話すと「それじゃあ知らないわけだ」と微笑みかけてくれた。このことがきっかけで千智は直紀と話すようになった。
直紀はクラスで人気者だったようで、彼の周りにはいつも友達がいた。女子にも人気があるのか、女の子とも屈託なく話をしていた。
「直紀って女子に人気あるんだ」
「そうみたい。月花君のこと好きな子いたし」
「あいつ、俺には全然そんな話しないんだよな」
「たぶん本人、気付いていないんだと思う」
千智の話し相手が直紀から直紀の友達に広がるのに時間はかからなかった。クラスの男子が次々と千智に話し掛けてくるようになり、いつしか千智はいつも男子に囲まれるようになっていた。
「別に自慢しているわけじゃないんだからね」
「うん。単なる事実だ。でも男子だったら機会があれば千智みたいな可愛い子と話してみたくなるよ」
「先輩も可愛い女の子とお話ししたいの?」
「かわいい子、大好きだよ。だっておれ、アイドルオタクだし」
「そうなんだ……鉄道オタクだけなのかと思ってた」
「基本的にオタク気質なんだよね。それより千智、自分のこと可愛いって認めたね」
「えっ? えっ?」
「千智は『先輩も』って言ったよね。これで俺は確信したよ。千智はちゃんと自分のこと可愛いと思ってるって」
「もしかして私、誘導された?」
「そういうつもりはなかったんだけど、結果的にそうなったかな。俺って天才かも」
「もうっ……。そうね、私に意地悪した子たちよりは可愛いかなって思ってるよ」
「そうそう。それでいいんだよ。ちなみに千智みたいな可愛い子っていうのは一般論じゃないよ。俺は本気で千智のこと可愛いって思ってるから」
千智は女子とも仲良くしたいと思っていた。むしろ最初に女の子の友達が欲しいと思っていた。けれど直紀を中心に男子に囲まれた状況では、クラスの女子は誰も千智に話し掛けてくれなかった。ただ、ちらちらとこちらへの視線を感じていたので、関心を持たれていることはわかっていた。
さすがにこれはまずいと思い、千智の方からクラスの女子に話しかけるようにしたが、誰も話し相手にはなってくれなかった。話せても一言二言、人によっては無視された。これはいじめの初期段階だ。
千智は緊張した。しかしそんな千智にはお構いなしに直紀たちは無邪気に話しかけてくる。時が過ぎ、ほとんどの男子から好意を感じられるようになっていた。さすがにこれは異常事態だ。千智は放課になると逃げるように教室から出るようになった。
「直紀はバカだから空気読めないんだよな……」
「でも男子だから女子のそういう綾みたいなのがわからなくても仕方がないよ。だから私から離れようと思ったんだ」
「千智は賢いね」
「ううん。もう手遅れだったの」