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高揚感に包まれて(皐月物語 94)

 この日の朝の会が終わった後、修学旅行実行委員の藤城皐月ふじしろさつきはクラスのみんなにアンケート用紙を配り、同じく実行委員の筒井美耶つついみやがアンケートの主旨を説明した。
 修学旅行ではどこに行くことを楽しみにしているかとその理由、これらを修学旅行のしおりに掲載すること。それにプラスして、栞を彩るイラストを募集した。各教室に備え付けられている鍵付きの御意見箱へ、明日の放課後までアンケート用紙を投函するようお願いをした。
「筒井、説明ありがとう」
「うまく言えたかな?」
「完璧!」
 壇上で言葉を交わした後、お互いの席に戻った。これから読書タイムが始まる。皐月は志賀直哉しがなおやの『城の崎にて』をもう一度読み返すことにした。

 2時間目が終わった中休み、6年1組の黄木昭弘おおぎあきひろが皐月のところへやって来た。遠慮がちに教室の中を見ていた昭弘を見つけた皐月は、事情を察して廊下に出て行った。
「黄木君、もしかしてイラストできた?」
「うん。ちょっと見てもらおうと思って持ってきた」
「明日の委員会で良かったのに」
「今日見てもらえば、直すところがあったら明日までに直せるから」
 皐月の知らないアニメのクリアファイルにB5の紙が何枚か入っていた。取りだしてみると、1枚目は栞の表紙のイラストが描かれていたものだった。
「うわっ、凄っ!」
 昭弘の描いたイラストは精密に描かれた八坂の塔やさかのとうを背景にした8人の男女のイラストだった。
「もしかして、これって俺たち?」
「そうだよ」
「ちょっとカッコ良過ぎじゃん、俺。気ぃ使わなくたってよかったのに」
「みんなのいいところを描きたかったんだ」
 街でよく見る似顔絵は悪いところを誇張して描かれている。だが昭弘は外見よりも内面の良さを引き出して描いているように思えた。皐月はそこに昭弘の性格の良さを見た。
「でも、自分はギャグみたいじゃん。しかも一番後ろに目立たないようにしてるし」
「一応、これが僕のキャラだから。自分が描く自分の絵はこのキャラにしてるんだ」
「へ~。そういうのって、なんだか漫画家っぽいな」
 レタリングも間違いがなく、完璧な仕上がりだった。文句をつけるところは何もない。皐月は昭弘のイラストが歴代最高の表紙絵になると思った。
「ありがとう。早速栞作りに取り掛かるよ」
 昭弘がはにかみながら笑っていた。皐月はまだ昭弘と用事以外の会話をしたことがなかった。皐月は昭弘ともっと仲良くなりたい気持ちになっていた。
「黄木君たちの班って、京都はどこに行くの?」
「僕たちは清水寺きよみずでら伏見稲荷ふしみいなり平等院びょうどういんを回るコースを選んだ。……藤城君は?」
 昭弘が会話を返したことが嬉しかった。皐月は勝手に昭弘のことを友達認定した。
「俺たちは自分たちで考えて、独自のコースを作った。回るのは俺たちも清水寺とか伏見稲荷とかメジャーなところばかりなんだけど、学校からのお薦めよりも1カ所多い、5カ所を回る予定なんだ」
「5カ所! そんなことできるの?」
「鉄道と徒歩だけで移動するっていうプランにしてね。ちょっとした強行軍だよ。バスみたいに渋滞による遅れはないから、きっとうまくいくと思うんだけど、ちょっと欲張り過ぎたから、もしかしたら失敗するかもしれない」
 皐月と昭弘は中休みが終わるまでお喋りをし続けた。修学旅行の話だけでなく、昭弘の好きな漫画やアニメのことで話が盛り上がった。皐月もそれなりにアニメを見るし、漫画を描く真似事をしたこともある。共通の話題には事欠かない。
 昭弘がどう思っているかはわからないが、皐月は昭弘と波長が合うように感じた。きっと昭弘も自分のことを友達認定してくれているだろう。

 給食の時間はいつもよりも雰囲気が良かった。これは昨日の学活の時間で京都の訪問先を決定したからだ。修学旅行のイメージが具体的になったことで、クラスの児童の高揚感が上がっている。
 皐月の班では二橋絵梨花にはしえりかが普段よりも明るくなっていた。今日は控え目な絵梨花が饒舌になっていて、東寺とうじ立体曼陀羅りったいまんだらのことを一所懸命語っていた。皐月は絵梨花の昨日の「私が最近明るくなったのはね、藤城さんのおかげでもあるんだよ」と言った言葉を思い出した。
 吉口千由紀よしぐちちゆきも自分から話をするようになってきた。今までは心を閉ざすように本の世界に没入していた千由紀だが、自分から班長に立候補したりと、同じ班のメンバーに対してだけは心を開き始めたように見える。千由紀はスケジュール通りコースを回れるかどうかを心配していて、どこでお土産を買おうかみんなに相談していた。
 栗林真理くりばやしまりだけはいつもと変わらないように見える。今日はみんなの話を聞く側に回っているようだが、ときどき寂しそうな顔をする時がある。絵梨花は気付いてなさそうだが、皐月にはその小さな変化がわかる。修学旅行までに真理と二人で会う機会を作らなければならないと思った。
 神谷秀真かみやしゅうま岩原比呂志いわはらひろしは修学旅行に向けて情報収集を積み重ねていて、オタク度がパワーアップしている。今までの二人は皐月がいなければ班の女子たちと話ができなかったが、京都の訪問先を決める過程で班の女子と直接話せるようになった。秀真や比呂志が絵梨花や真理や千由紀と喋っているところを見て、クラスの男子たちが刮目相待かつもくそうたいするようになった。

 給食が終わり、男子たちは校庭に出て3組とドッジボールをするという。今日は勝つぞと気炎を揚げていた。
「おい、藤城。お前も来るよな?」
「悪ぃ、しげ。今日は行けないわ」
「なんだよ、付き合い悪いな。どうせまた、女と喋ってんだろ?」
「修学旅行実行委員の仕事があるんだよ」
 村中茂之むらなかしげゆきはクラスで一番、皐月が女子と仲良くしていることを嫌っている。少し離れたところにいた月花博紀げっかひろきが慌ててやって来て、茂之のことを諌めた。
「おい村中、皐月は委員会で忙しいんだからしょうがないだろ」
「でもこいつがいねーと、チーム力ががた落ちじゃん。最近、3組に負けっぱなしだぞ、俺たち」
「そんなに負けてんのか? あーっ、俺もドッジやりてーよ! 最近全然やってねえし」
 皐月は根性がないので体力筋力系の運動はあまり得意ではないが、器用なので技術重視の球技は得意だ。ドッジボールは皐月の特性に合っている。
「悪いな、皐月。俺が修学旅行実行委員を代わってもらったから、遊べなくなっちゃって」
「いや、博紀は気にしなくていいよ。俺は実行委員も楽しんでるし。それより今日は勝てよ」
「ああ、今日は負けねえ」
「藤城、修学旅行が終わったらドッジ付き合えよな」
「当ったり前じゃん!」
 後ろ髪を引かれる思いで皐月は児童会室へ向かった。茂之とはクラス対抗の球技の時は百年来の親友のように仲良くなる。皐月も茂之と遊ぶのは楽しいし、好きだ。茂之はクラス対抗の時は博紀よりもキャプテンシーを発揮する。
 ドッジボールは楽しいが、修学旅行の準備をすることも楽しい。楽しいことは全取りしたいという欲張りな皐月だが、今日は物理的に不可能だ。ドッジ脳になった気持ちを仕事脳に切り替えることにした。

 児童会室にはすでに水野真帆みずのまほが来ていた。江嶋華鈴えじまかりんはまだ来ていない。真帆は Chromebook を立ち上げて、Googleドキュメントを開き、web会議用マイクのテストをしていた。
「会長、少し遅れるって」
「わかった。ところで水野さん、どうして江嶋のこと会長って呼んでるの? 児童会じゃない時くらい、名前で呼んだらいいのに」
「んん……、慣れかな。会長とは児童会以外では話したことないし」
「へ~、そうなんだ」
 真帆が華鈴と児童会以外で交流がないというのは意外だった。皐月には二人は仲良く見えるし、信頼し合っているようにも見えるからだ。でも彼女らがプライベートで何を話しているのかと考えると、皐月にはなにも想像できない。
「俺のことも委員長って呼んでるよね。でも、修学旅行が終わったら委員長じゃなくなっちゃうじゃん。この先も俺のこと、ずっと委員長って呼ぶの?」
「どうだろう……まだわからないけど、修学旅行が終わったら委員長と話すこともなくなるんじゃない?」
「そんなことない! 話すよ」
「そう?」
「当ったり前じゃん!」
 どうして真帆がこんな寂しいことを言うのか、皐月にはわからなかった。真帆は自分と華鈴の会話のログを「私の小学校生活の大切な思い出」と言ってくれた。真帆が自分に関心がないわけがないと、皐月は確信している。
「でも、クラスも違うし、もう委員長と一緒に仕事する機会はないと思うよ」
「別に仕事以外で雑談したっていいだろ? 校内で見かけたら俺から声かけるよ」
「……うん」
「もしかして迷惑?」
「ううん。別に迷惑じゃないけど……でも、私と話しても楽しくないよ」
「そうか? 俺、今超楽しいんだけどな」
「私、雑談って苦手なんだよね。まわりの子と共通の話題がないから、話が続かなくて……」
「共通の話題とかどうでもいいじゃん。話なら俺がいくらでも続けるよ」
「……委員長って変わってるね」

 華鈴が児童会室に入って来た。走って来たのか、息が上がっている。
「ごめんね、遅くなっちゃって。早速やろうか。水野さん、準備はできてる?」
 会議用テーブルに並んで座っていた皐月と真帆だが、皐月が真帆の向かい側に移動して、華鈴が皐月の横に座った。
「すぐにでも始められるよ。じゃあ打ち合わせ通り、私が栞を読んで、会長と委員長が意見を出し合うってことでよろしく」
 真帆が事務的に進行した後、 Googleドキュメントのマイクのアイコンをクリックした。これでマイクを通して入力された声が文字起こしされる。
「なんか緊張するわ……。このスピーカーみたいな機械、すごいな。俺、こんなの初めて見た」
 350ml缶よりも少し大きな円筒状の機器はスピーカーフォンというもので、360度全方位から集音できる無指向性マイクだ。
「お父さんがテレワークで使っていたのを借りてきた。いつも借りられたら委員会でも使いたいんだけど、そういうわけにはいかないんだよね」
 皐月と真帆が喋っている言葉が次々と文字に変換されていく画面を見て、真帆が嬉しそうな顔をしている。
「水野さん、何ニヤニヤしてんの?」
「委員長、これ見てよ」
 真帆が皐月に Chromebook の画面を見せた。
「お~っ、スゲ~。ちゃんと文字になってる。今喋ってる言葉もどんどん文字になる。たまに変な変換してるのもあるけど」
「このマイク、調子いいみたい」
 真帆は Chromebook を元の向きに戻した。
「じゃあ作業に入るね。まずは『集団行動と約束』から。……ん~、どうしよう」
「どうしたの? 水野さん」
「会長、この1番の『集合』と、2番の『点呼の仕方』は手を入れなくてもいいんじゃない?」
 『集合』には速やかに行うとか、静かに行うと書かれていて、『点呼の仕方』には「○組○班です。○名、全員そろっています」という台詞を伝達する手順が書かれているだけだった。
「そうだね……実行委員と班長がわかっていれば済むことだよね。ここは省略しようか」
「じゃあ3番の『気をつけること』から読むね。『(1) 時や場をわきまえて行動する。特に神社仏閣などの見学地や公共の場では、礼儀正しく、周囲の人に迷惑をかけないように、お互いに心がけましょう』。これ、何か付け足すことってある?」
「文が長いよね。二つ目の文で『時や場をわきまえて行動する』の理由が説明されているから、これ以上何も付け足さなくてもよさそうね」
 皐月の存在を気にもせず、真帆と華鈴がどんどん作業を進めていく。皐月は二人のやりとりを見て、これが児童会のやり方なのかと感心したが、雰囲気が少し堅苦しいと思った。それに、もう少し自分のことも気にしてもらいたい。
「ちょっと俺も言っていい? ここにさ、『地元の人や観光客に良く思われたらいいことがあるかも』って書き加えたらどう?」
「何、それ? 補足説明になってないよ。それに『いいことがあるかも』って適当過ぎない?」
 華鈴が児童会長モードに入っている。これではどっちが委員長なのかわからない。
「つまらない注意事項に少しでも関心をもってもらえるんだったら何でもいいじゃん。それに俺、適当に言ったつもりはないんだけど。いいことはあるかもしれないし、ないかもしれないけど、少なくとも悪いことはない」
「んん、それはそうだけど……。でも地元の人や観光客に良く思われたかどうかなんて、その場じゃわからないでしょ?」
「わかるよ、雰囲気とか視線で」
「そうかな……」
 華鈴は納得がいかない様子だ。これは皐月の感覚的な話なので、華鈴には理解されないかもしれないとは思っていた。
「会長、採用でいいんじゃない? 誌面が楽しくなるし」
「そうそう。水野さん、いいこと言うね」
「じゃあ、それでいいよ。次にいこう。『京都班別行動について』」
 華鈴が作業スピードを上げてきた。テンポよく進む作業は気持ちがいい。
「じゃあ読みます。『1 回りを見て行動しましょう』」
 真帆は文字起こしされた文章に改行を入れながら作業を進めようとしている。
「回りを見て行動って、『人や物にぶつからないように気をつけよう』ってことかな?」
「多分江嶋の言う通りだと思うんだけど、それじゃあ、つまんないな」
「なによ、つまらないって」
「実行委員が先生の代弁をしてもしょうがないだろ。それに『ない』みたいな否定語を使うと、文章が暗くなるじゃん」
「じゃあ、『回りを見て行動しましょう』にはどんな文を追加するの?」
「そうだな……『初めて見る町は、どこを見ても楽しいよ』なんてどうかな?」
 咄嗟に考えたので、いまいちいい文章が思い浮かばなかった。
「それじゃ、私の言ったことと意味が違ってくるじゃない。藤城君、さっき私の言う通りだって言ったよね? 同じ意味で言い換えるのかと思った」
「これから旅行に行くんだから、ちょっとでも楽しくなりそうなことを書いた方がいいかなって思ったんだけど……」
「いいんじゃないの、会長。私もこっちの方がいいな」
「もう、水野さんまで……。水野さんって藤城君に甘くない?」
「いいじゃん、甘くたって。江嶋も俺に甘くしてくれよ」
「頭からガムシロップでもかけてあげようか?」
 華鈴は昔から先生の立場になって物を言う癖があったな、と皐月は5年生の時の華鈴を思い出した。皐月はそういう考え方のできる華鈴のことを尊敬する気持ちもあるが、お前どっちの味方なんだよ、と思うこともある。
「私は委員長の『実行委員が先生の代弁をしてもしょうがない』っていう言葉を聞いて、なるほどって思ったの。注意事項なんかネガティブなことしか書いていないんだから、片っ端からポジティブ変換していった方がいいんじゃないかな」
「ポジティブ変換か……そうだよね。なるほど」
「それに会長、私、委員長に甘くしているつもりはないよ。ただ意見が合うだけ」
 規則の理由づけは、最初のうちは皐月と華鈴の意見が合わず、遅々として進まなかった。だがポジティブ変換というコンセプトが定まったことで、作業効率が上がってきた。
 「集団行動と約束」が終わり、「旅館での過ごし方」へ移ろうとしたところで予鈴が鳴った。
「放課後、続きやってく?」
 皐月は華鈴と真帆に恐る恐る尋ねた。二人の自由時間を拘束するのは気が引ける。
「私はいいよ。水野さんはどう?」
「私も大丈夫」
「ありがとう。じゃあまた児童会室でやろう」

 放課後の作業の再開を約束して、三人は教室に戻った。皐月が教室に戻ると茂之が話しかけてきた。
「今日は勝ったぜ!」
「マジか! やったな」
「今日は苦しい戦いだった。でも筒井さんが助っ人で来てくれて助かったよ。あの子、大活躍だったぞ」
「筒井、やるなぁ。あいつ、運動神経だけはいいからな」
「筒井さんも実行委員だろ? 委員会に出なくてよかったのか?」
「ああ。今日の仕事は副委員長と書記の三人でやってたから。他の委員にはなるべく負担をかけないようにしてるんだ。今日も放課後は三人だけの委員会だ」
「そうか……あまり無理するなよ」
 遊びの場以外ではやや冷淡な茂之が優しい言葉をかけてくれたのが嬉しかった。
 茂之は美耶に気があるんじゃないか、と皐月は思っている。クラス対抗戦をしている時、美耶がいると茂之はいつも以上に張り切っているし、美耶を見る目が完全に恋する少年なので分かりやすい。
 茂之は美耶が自分のことを好きなのが気に入らないから、自分に対して当たりがきついんだ、と皐月は思うようになった。一学期までの皐月は恋愛感情に疎かったので、そういうことに気付かなかった。だが、恋することを知った今なら皐月にも茂之の気持ちがわかる。
 席に着くと、前の席の真理が後ろを振り向いた。今日は振り向く向きが逆で、絵梨花に背を向けるようにしている。
「今日のお座敷は安城あんじょうだって」
「うちも同じだ」
 交わした言葉はこれだけだった。小さな声だった。今晩のお座敷はりん百合ゆりも安城まで遠征するから、帰りが遅くなるということだ。皐月は放課後の委員会の約束を少し後悔した。なるべく早く仕事を終えて、真理の部屋に行こうと思った。


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音彌
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