取材が監視からの目くらましになる
小説を書いているといろいろなことを調べるようになる。
最近ではランドセルのことや、高卒認定試験について調べた。ランドセルは皐月君の鍵を描写するために必要で、高卒認定試験は明日美さんの今後の行動に関わることなので知っておきたかった。どちらも今までの自分の生活とは無縁のものだ。
これらのことを調べているうちに、ブラウザでこれらの広告が表示されるようになった。
まあ、これは単なる Cookie なのかな、とは思う。検索履歴などを保存しておけば、Webサイトの利便性が高まるというのが建前のやつだ。
私はこの手の技術に疎いので、正確な知識もないし、リスクの判定もできない。だからプライバシーの侵害は当たり前のようにされていて、情報漏洩は当たり前のようにダダ漏れになっていることを前提にネットを利用している。
で、小説の取材でいろいろなことを調べたら、それらの広告が出てきたという話に戻る。
仮に誰かが私のことを知ろうと思って(監視しようと思って)、私の検索履歴をぶっこ抜いたとする。そうすると、取材として検索したことが私の人格や思想を形成する情報の一部として記録されることになる。
これはとても愉快なことだ。
だってこれらの情報は私の生活に何も基づいていないからだ。小説という妄想の世界での関心事に過ぎない。
日常生活に基づいたことをネットで調べると、調べれば調べるほどに自分のことを知るための情報を相手に与えることになり、監視者に自分の人間性を事細かに知られることになる。
小説の取材で知らないことを調べると、自分の知らないことを調べるわけだから、調べれば調べるほどに自分の実像から遠ざかることになる。監視者からすれば、「こいつは何なんだ~」ということになる。
もっとも、私の書いている小説と合わせて解析されれば「あ~小説の取材ね」とバレてしまうことになるが……。監視者(十中八九AI)がそこまで丁寧に私のことをしらべるのかな?
どこの誰かは忘れてしまったが、情報分野の専門家の外国人だったかな、その人は毎日30分は自分の興味のないことをネットで調べるようにしていると言っていた。そうすることで監視者の目をくらますことができるのだという。
面白い発想をする人だなと思って、何となく覚えていたことを思い出したので、ちょっと雑文として残しておこうと思った。いい話だな~と思ったことはちゃんとメモを残しておくようにしなければいけないね。