中宮寺の半跏思惟像は目の毒だった(皐月物語 152)
法隆寺東院伽藍を出た6年4組の児童たちは修学旅行の最後の訪問先、中宮寺へ向かった。すると、2組の児童たちが入れ替わるように夢殿への参拝に来た。東院伽藍の廻廊にある入口と出口は少し離れているので、4組と2組の児童たちは言葉を交わすことができなかった。
藤城皐月は2組の児童たちの中に児童会と修学旅行実行委員の書記をしている水野真帆を見つけた。真帆は聖徳太子が好きで、夢殿に行きたがっていた。皐月はそんな真帆といろいろ話をしたいと思ったが、修学旅行が終われば真帆と話をする機会もなくなるだろう。
廻廊の北西の角から出た児童たちは鐘楼の前で立ち止まった。ガイドの立花玲央奈の代わりに、担任の前島先生から簡単な説明があった。
この鐘楼は鎌倉時代の建物で、袴腰付では現存最古の遺構だという。ガイドはそれだけという、あっさりとしたものだった。詳しい説明がなくても、大きな入母屋造の屋根と袴腰は見ているだけで美しい。前島先生はこの先を右に曲がり、中宮寺の入口へ進んだ。
右手に伝法堂という天平時代の貴族の邸宅だった建物があり、左手には現存最古の平唐門の北室院表門がある。唐破風屋根の輪垂木と蟇股がいい形をしている。
列の最後尾で皐月はガイドの立花の隣を歩いていた。皐月の反対側には二橋絵梨花がいて、緊張の面持ちで立花に話しかけた。
「あの……中宮寺の本尊って如意輪観音ということですが、弥勒菩薩じゃないんですか?」
皐月も絵梨花と同じことを疑問に思っていた。それは中宮寺の如意輪観音像と京都の広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像とあまりにも似ているからだ。皐月も絵梨花のようにずっと弥勒菩薩だと思っていた。
「中宮寺の本尊を如意輪観音としたのは信如という、鎌倉時代の中宮寺の比丘尼です。天台宗の密教を集大成したた『阿娑縛抄』という書物に聖徳太子が如意輪観音の生まれ変わりだと書かれていたので、本尊を如意輪観音としたようです」
絵梨花に対しては随分と難しい言葉を使うんだな、と皐月は二人の顔を見た。絵梨花を見る限りでは、話の内容はきちんと伝わっているようだ。立花は大人向けにはこんな感じでガイドをしているのかもしれないが、それでも難しい。皐月には「シンニョ」と「アサバショウ」の漢字が頭に浮かんでこなかった。
中宮寺の入り口前に着き、前島先生が自腹を切って児童全員の入場料を支払い始めた。予定されたコース以外の拝観料は本来なら児童たちの自己負担となるが、中宮寺への参拝は前島先生の個人的な趣味に付き合わされるので、先生の奢りだ。
「信如が中宮寺に来るまでは本尊が聖徳太子だったってことですか?」
皐月はみんなの前だからタメ口では話さず、敬語を使って立花に質問した。
「そうかもしれませんね。中宮寺の創建は607年と伝わっていますが、今ある半跏思惟像が創建時からの本尊だったかどうかはわかりません。信如が中宮寺に来た時の本尊が半跏思惟像だったとしたら、その美しい姿に聖徳太子を重ねて信仰されていたのかもしれません。これは私の妄想です」
立花の妄想話に女子三人が嬉しそうな反応をした。男子の皐月と秀真には今一つピンとこなかった。
「飛鳥時代の半跏思惟像は弥勒菩薩と考えるのが自然だと言われています。だから中宮寺の半跏思惟像は弥勒菩薩でしょうね。もし如意輪観音だとしたら、如意宝珠も法輪も持っていないし、腕も2本しかないから変です。如意輪観音は六臂といって、六本の腕を持つ仏像が普通ですから」
中宮寺の仏像は本当は弥勒菩薩だということがわかり、絵梨花はホッとした表情になっていた。
「前島先生、中宮寺の菩薩半跏像が好きなんですって。せっかく近くまで来られたのに、見ないで帰りたくないっておっしゃってました」
立花は話を雑談に戻し、前島先生と二人で話していたことを教えてくれた。皐月は仕事以外のことで二人が何を話していたのか気になっていたが、仏像にまつわる雑談だったようだ。前島先生は児童とほとんど雑談をしないので、先生と気さくに話せる立花のことが羨ましかった。
「その気持ち、わかります。私、仏像の中では中宮寺の弥勒菩薩の顔が一番好きなんです。頭の上の双髻も可愛い」
仏像好きの絵梨花も弥勒菩薩像を見たがっていた。修学旅行に行く前は広隆寺と中宮寺、両方の弥勒菩薩半跏思惟像を見たいと言っていた。
「もうすぐ本物が見られますよ。私も何度か見たことがありますが、中宮寺の仏像の美しさは他の仏像とはレベルが違います」
立花はどこか夢見るような顔になっていた。それに誘発されたのか、絵梨花もうっとりしているように見えた。皐月にはこういう女性の気持ちがよくわからない。
「絵梨花ちゃんって美形が好きだったんだ。へぇ~」
栗林真理がからかうように絵梨花の顔を覗き込んだ。絵梨花にしては珍しく、羞恥を隠し切れていなかった。
「美しい顔が嫌いな人なんていないでしょ。……もうっ」
狼狽する絵梨花が面白いのか、普段はこの手の話には無反応の吉口千由紀も笑っていた。玲央奈がちらっと皐月の方を見た。
「なあ、皐月。山門の屋根瓦の家紋って十六菊家紋じゃん。皇室と関係あるのかな?」
神谷秀真が面白そうな話題を振ってきた。だが、皐月は中宮寺に関しては何も事前学習をしてこなかったので、本尊を弥勒菩薩と勘違いするくらいの知識しか持ち合わせていない。
「聖徳太子が皇族だからかな?」
皐月と秀真が曖昧な知識で話をしていると、立花が二人を見かねたのか、補足説明をしてくれた。
「中宮寺は聖徳太子がお母さんの穴穂部間人皇女のために創建した尼寺なの。お母さんが用明天皇の皇后だから、皇族関係のお寺ということになるわね」
立花と皐月は話す時に敬語を使わない関係になっていた。立花の言葉を聞き、秀真がデリケートなことを質問した。
「聖徳太子が架空の人物だとしたら、穴穂部間人皇女のために中宮寺を建てたっておかしくないですか?」
立花は秀真の言葉を笑顔で聞き、優しく答えた。
「もちろん、おかしなことになりますよ。でも、中宮寺は昔から今日まで存在し続けていますし、由緒としてそういう話にしてるんです。時代が古すぎるし、史料も残されていないので、学術的に正確なことを明らかにすることは不可能だから、参拝客は中宮寺が示した由緒を信じるしかないのです」
秀真は納得がいかないのか、憮然としていた。
「秀真さぁ、神社の由緒だっていい加減なのばっかじゃん。中宮寺もそういうものだって思えばいいんだよ」
「まあ、そうだけどさ……」
「中宮寺も法隆寺もそうだけど、清水寺の時みたいに由緒を推理して楽しもうぜ。オカルトも歴史もそういうものじゃないの?」
秀真は少し黙りこんだが、憑き物が落ちたようにすっきりとした顔になった。
「そうだよな……。オカルトはエンターテインメントだよな。そして、歴史はロマンだ」
秀真と皐月が笑い合っていると、前島先生から声がかかり、クラス揃って中宮寺の中に入ることになった。
山門の左隣に築地塀を改築して作った入山受付がある。そこから中に入ると、左手に土産物屋があり、本堂へは中庭の先の小さな門を通って行く。中庭はよく手入れがされていて、黒鉄黐が植えられていた。冬になると赤い実を付ける。尼寺ならではの四季を楽しむ繊細な心遣いだ。
「皐月さん、門跡寺院って知ってる?」
立花に名前を呼ばれて驚いた。皐月はまだこの呼び方に慣れていない。
「門跡寺院? 何それ?」
「門跡寺院は皇族や公家が住職を務めるお寺のこと。中宮寺は戦国時代に火事で炎上しちゃってね、法隆寺の子院に避難してきたの。それで、そのまま今の場所にお寺を移転することになったの。中宮寺はその時から門跡寺院の尼寺、門跡尼寺になったんだって」
「へぇ~。皇族や貴族の寺か……」
小さな門を抜けると、左手に表御殿がある。表御殿は宮家を迎えるために建てられたもので、一般公開はされていない。
「じゃあ、モンゼキってどういう字を書くの?」
皐月は漢検2級を持っているが、門跡がどんな字なのか知らなかった。一度見た漢字は大抵は憶えてしまうので、知らない漢字があると悔しくなる。
「モンは門前町の門で、ゼキは足跡の跡。足跡ってソクセキとも読むでしょ?」
吉口千由紀が立花の代わりに説明してくれた。立花が目を大きく開いて千由紀を見ていた。
「なんだ、漢字自体はそんなに難しくはないんだな。じゃあニジは?」
「ニジは尼寺の音読み。国分尼寺くらい知ってるでしょ? 門跡も尼寺も仏教用語だから、漢検の勉強じゃカバーできないよね」
「そうかもね。じゃあ、吉口さんはなんで門跡のこと知ってるの?」
「何かで読んだのをたまたま覚えていただけ」
砂利の上を歩きながら秀真が立花に話しかけた。
「ガイドさん。穴穂部間人がペルシャ人って話があるんですけど、どう思いますか?」
秀真の質問はいつも唐突だ。
「ああ……。波斯人がペルシャ人を意味するから、穴穂部間人がペルシャ人の血をひいているかもしれないって言いたいんですね。推測の域を出ないとは思いますが、ロマンのある話ですね。穴穂部間人のお母さんの小姉君は絶世の美女だったと言われていますから、当時は珍しい外国人だったという話もありますね」
「じゃあ、聖徳太子にはペルシャ人の血が流れているってことですね」
「あれっ? 神谷さんは聖徳太子のことを架空の人物だって言ってませんでしたか?」
秀真は絶句した。
「そのストーリーだと、穴穂部間人皇女がペルシャ人のハーフで、その子供がクウォーターっていう話になるんでしょうね。でも、聖徳太子がペルシャ人の血を引いているって考えると、面白いですね」
立花は秀真をはぐらかすような言い方で話を終わらせた。聖徳太子の話題を避けているのか、皐月には立花が秀真を突き放しているような感じを受けた。信仰の対象になっている所では聖徳太子の正体を詮索するような話はタブーなのかもしれない。
中宮寺の本堂は池に浮かんでいるように建てられている。建物は新しく、高松宮妃の発願により、1968年に建てられたものだ。池から伸びた柱が大きく広がる屋根を支えていて、現代と古代を一つの形にした優美な姿の本堂だ。
春になると池の周りの山吹が咲き乱れる。山吹の花は実をつけないため、庭に植えるとその家の子孫が途絶えるという迷信がある。あえて境内に山吹を植えているところに尼寺らしさを感じる。
参道から本堂へ渡る端の前で前島先生は児童たちに中宮寺の由緒と見所を簡単に説明した。
中宮寺は聖徳太子が母のために創建した尼寺であること。
本尊の菩薩半跏思惟像は、飛鳥時代の最高傑作の仏像だということ。その仏像は口元にかすかな笑みを浮かべるアルカイックスマイルが特徴で、レオナルド・ダ・ビンチの「モナリザ」、エジプトのスフィンクスと並ぶ世界三大微笑像の一つであるということ。
聖徳太子の王妃、橘大郎女が死去を悼んで造った天寿国繡帳残闕という、日本最古の刺繍が残されていること。現物は見られないが、レプリカは見られること。
「みんなをここに連れてきたのは、日本で一番美しい仏像を見てもらいたいと思ったからです。それでは、行きましょう」
日本で一番美しい仏像という言葉に、女子児童がざわついた。そんな女子を見た男子たちは少し白けたようにため息をついていた。
前島先生に率いられて、6年4組の児童たちは本堂への橋を渡り始めた。本堂の開かれた大きな扉には十六菊家紋が施されていた。本殿の奥に黒い仏像が影のように見えた。それが中宮寺の本尊、菩薩半跏思惟像だ。
階段を上ると、はっきりと弥勒菩薩が見えた。皐月は列の最後尾にいたので、前にいる児童たちが立ち止まっているのがもどかしかったが、半跏思惟像を見た瞬間、自分も他のクラスメイトたちと同じ行動を取っていた。遠くから見ただけでも、ここの仏像が日本一美しいことがわかったからだ。堂内は御香のいい香りがしていた。
茣蓙の手前で靴を脱ぎ、畳の敷かれた本堂に上がった。そこにはすでに参拝客がいたので、稲荷小学校の児童たちは邪魔にならないよう静かに整列して参拝の順番を待った。
待っている間も決して退屈することはなかった。少し離れた所から半跏思惟像を見ていても飽きることがない。右手には濱野年宏氏による『聖徳太子絵伝四季図大屛風』が展示されていて、聖徳太子の生涯の事跡が華麗な筆致で描かれている。正面左手には天寿国繡帳残闕のレプリカが展示されている。
児童たちがお喋りをせずに真剣に堂内を見学していると、尼僧が録音された解説を流してくれた。小学生には少し難しかったが、事前に前島先生から基礎的なことを聞いていたのである程度は理解できたはずだ。
先に来ていた参拝客たちが場所を譲ってくれたので、児童たちはゆっくりと半跏思惟像に近づいた。普段は謙虚な二橋絵梨花が積極的に一番前の真正面へ出た。前島先生とガイドの立花玲央奈は両端にいた。
皐月は漆黒の半跏思惟像に修学旅行で見てきた仏像とは違う美しさを感じていた。上半身に衣をまとわない仏像はいろいろあるが、この半跏思惟像は妙に艶めかしい。この仏像を好きな前島先生は一体どうい気持ちで見ているのかと思うと、いろいろ性的なことを勘繰ってしまう。
「先生」
皐月の耳元で囁いたのは花岡聡だった。
「この仏像、エロくないか?」
「……エロいな。確かに」
「こんなの毎日見てたら、尼さんも大変だよな」
「バカ……そんなこと、ここで言うなよ」
皐月はいたたまれない気持ちになり、みんなより早く半跏思惟像の前から離れた。聡は半跏思惟像を気に入ったのか、まだ残って仏像を見ていた。
皐月はみんなの背後からもういちど半跏思惟像を見た。じっと見ているうちに、この弥勒菩薩像が女性のように見えてきた。一度そう感じてしまうと、好色な目で見ずにはいられなくなってしまう。ヤバい趣味に目覚める前に、皐月はこの場を離脱することにした。
皐月はひとり廻廊に出た。半跏思惟像を見て不埒なことを想像した人間が大勢いると思うと、気持ち悪くなってきた。自分もその一人かと思うと自己嫌悪に沈んでしまう。聡の言ったことは間違いないと思った。前島先生をまともな目で見られなくなりそうだ。あの絵梨花でさえ変な目で見てしまうかもしれない。
(とんでもないな、ここって……)
恐る恐る本堂の中を覗いてみると、児童たちは畳に座って仏像を見ていた。後から来る参拝客の邪魔にならないように場所を空け、ガイドの音声を聞きながらじっくりと拝観していたが、男子たちの落ち着きがなくなっていた。前島先生と絵梨花はいつまでも半跏思惟像の前から動こうとしなかった。
ガイドの音声が終わったので、案内人の立花が児童たちを御堂の外に出るように促した。本堂の周りの廻廊をひと廻りして、庭を見てから外に出るように誘導したので。その様子を見て、先に廻廊に出ていた皐月も後に続いた。池には石を積んだ島があり、そこに亀がいた。
中宮寺本堂の前に集合した6年4組の児童たちは全ての修学旅行の行程を終えた。あとは地元の豊川へ帰るだけとなった。
土産物を買う時間がまだ少し残っていた。南大門の前で集合するまでは自由に買い物をしてもよいことになったので、皐月は中宮寺の売店を覗いてみようと思った。
中宮寺庭園の砂利の上を歩きながら山吹越しに本堂を見ると、これで修学旅行が終わるんだな、と皐月は激しい寂寥感に襲われた。中宮寺にもまた来ればいいと思ってはいるが、今この時、このメンバーでここに来ていることが皐月には得難いものとなっていた。
ガイドの立花は女子に囲まれていた。皐月はわざとみんなから遅れ、最後尾で一人になった。もしかしたら感極まって泣いてしまうかもしれない。皐月はぐちゃぐちゃになった感情を持て余していた。
売店前の藤棚の下で、残ってここで買い物をする者と、先へ進んで土産物屋で買い物をする者とに分かれた。売店には半跏思惟像の写真パネルやポストカード、御守などが売られていた。児童たちの興味を引く物がなかったのか、ほとんどの児童が担任の前島先生と一緒に中宮寺を後にした。
皐月は売店に残った。絵梨花と千由紀と真理も残った。ガイドの立花も残ったので、秀真も残っていた。
残った女子たちは御守を見ていたが、秀真は弥勒菩薩の写真を見ていた。あまりに熱心に見ていたので、皐月は秀真に話しかけた。
「さっき実物を見てきたじゃん」
「あの大きな写真のパネル欲しいな……。でも買えない」
「秀真はまるで仏教徒だな」
「そうか? 弥勒は救世主だろ? 何教とか関係ないよ」
秀真はオカルト好きでも、特に予言関連の話題に強く興味を示している。秀真は現在を終末の世と捉えていて、救世主の降臨を待望している。皐月は秀真のそんな話を聞かされてオカルトに興味を持つようになった。
「俺は御守を見てるよ」
売店には亀の形をした御守や、山吹を象った御守が売られていた。中宮尼寺と抜かれた亀の形をした緑のキーホルダーもあった。
「すみません。この散華というのは何ですか?」
絵梨花が手に取って店員に尋ねたのは宝珠の形をした色紙に花や弥勒菩薩の描かれたものだった。
「寺院で法要をする時に、仏様を供養するためにお花が撒かれるんですね。元々は生花が使われていたんですが、いつしか蓮の形をかたどった色紙が代用されるようになったんです」
ここで売られているような散華は社寺の修復・復興などの記念法要で寺に縁のある画家に絵を描いてもらい、木版画に仕立てられたものだという。その時々に新しく豪華な散華が発行されてきて、今では収集家たちのコレクターズ・アイテムになっているそうだ。
「玄関、窓辺に花を生ける感覚で散華を飾ってみてはいかがですか。お花の横にカードスタンドに挟んで並べると華やかになりますよ」
絵梨花は目を輝かせ、これからの季節の紅葉と弥勒菩薩の散華を購入した。
「この御守、かわいくない?」
烏丸凛と一宮風花が山吹守りを手に取っていた。
「おっ、可愛いな。これ、買おうかな」
皐月も一目見て、この御守を気に入ってしまった。着替えなどを入れるリュックの中に非常用に二千円を入れておいたので、何個か買えそうだ。
「藤城君が山吹? 男の子はこっちの亀まもりの方が似合うと思うよ」
皐月は凛と風花とはそれほど親しくしてこなかったが、修学旅行特有の雰囲気だからなのか、風花から長年の友達のように親しく話しかけられた。
「好きな女の子とペアで持ちたいんだよ」
「うわっ! 誰と誰?」
皐月が御守を三つ持っていたのに気がついた凛が騒いだ。
「それは烏丸と一宮だよ」
「え~っ! 嘘でしょ?」
皐月は軽くからかったつもりだったのに、凛はキレ気味だった。皐月は傷ついてしまい、バカなことを言ったと後悔した。
「そういえば二人は博紀のファンクラブの会員だったな。じゃあ、お前らにはやらない」
「いいよ、もらわなくても別に」
凛も風花もむくれていたが、皐月にはどうして二人がむくれているのかわからなかった。
「その可愛い御守、私にくれるんじゃないの?」
真理がムッとした顔で横に来ていた。
「お前は自分で買えよ」
「なによ、その言い方。まあ、最初からそのつもりだったけど。で、御守をあげるのは明日美姐さんと祐希さん?」
「そう」
真理は口ほどには怒っていなかった。どういうつもりなのかわからないが、真理はいつも皐月の女性関係には寛大だ。
「ふ~ん。で、千智って子にはあげないの?」
「えっ? そりゃあげたいとは思うけど、消費税分の小銭が足りないんだ」
「そんなの出してあげるよ」
真理が財布から200円を取り出して、皐月に手渡した。
「ありがとう……」
「別に返さなくてもいいから」
真理は山吹守りを手にとってレジへ向かった。一緒にいた絵梨花と千由紀も同じお守りを手にして真理について行った。
「藤城君と栗林さんって仲が良過ぎだよね。栗林さんカッコいい」
「凛の憧れだもんね、栗林さん」
皐月は真理が女子から憧れの目で見られているとは思わなかった。自分の好きな子が同性から憧れられているのは嬉しいものだ。
「私も山吹守り、買おうかな……」
「なんだ、烏丸。俺とペアの御守が欲しいのか?」
「違うわ。私は栗林さんとおそろいの御守が欲しいの。あんたが亀、買いなさいよ」
「そうだな……。亀守りも可愛いよな……。やっぱ、こっち買おっ」
山吹守りを手にした皐月がレジで支払いを終えると、秀真が木の板に弥勒菩薩がプリントされているものを持ってきた。
「何、これ。格好いいな」
「いいでしょ。大きな写真は買えないけど、これなら買える。この半跏思惟像を勉強机に飾ろうと思っているんだ」
「このポーズで考えたら、どんな難しい問題でも解けそうだな」
凛と風花が会計を済ませて店から出て来ると、山門の前で待っていた立花の前に7人全員が集まった。
「みんな集まりましたね。では出発します」
立花に引率されて、6年4組の7人は中宮寺を後にした。皐月はまた列の最後尾からついて行こうと思っていたが、一緒にいた秀真が立花の隣へ駆けて行ってしまった。中宮寺から南大門まではかなり距離がある。彼女とまだ話す時間が残されていると思うと、皐月も秀真の後に続かなければと思った。
伝法堂を左へ曲がり、鐘楼を過ぎると、東院伽藍の廻廊から稲荷小学校の児童たちがゾロゾロと出てきた。他のクラスも参拝が終わったようだ。
2組のガイドの男性が立花に話しかけてきた。ガイドを恙無くやれたかどうかを聞いているようだ。この状態が続くと立花と話をすることができなくなる。
「藤城君」
並走して歩いていたのは1組だった。児童会長で修学旅行実行委員の副委員長の江嶋華鈴が声をかけてきた。
「もしかして中宮寺に行ってたの?」
「そうだよ。前島先生が連れて行ってくれたんだ」
「いいな……。私も行ってみたかった」
「本尊の仏像がすごく良かった。日本一美しい仏像だって言われているみたいだけど、実際に見て見ると本当にそうだと思った。いつかまた見に来たいな……」
近くに真理がいなかったら、いつか二人で見に来ようと言っていただろう。皐月はこの場では何も言わなかったが、気持ちを目で伝えてみた。いつか言葉ではっきりと、華鈴にもこの気持ちを伝えられたらと思った。
立花が立ち止まったので、皐月たちも慌てて立ち止まった。だが、1組の児童たちは歩き続けていた。
「他の参拝客の邪魔になると行けないから、1組の後ろについて行きます」
立花は先輩ガイドのアドバイスに従い、稲荷小学校の集団の一番あとについた。稲荷小学校の児童たちは長い行列を作って東院四脚門を出た。
最後まで読んでくれてありがとう。この記事を気に入ってもらえたら嬉しい。