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恋愛モード、遊びモード(皐月物語 118)

 朝の6時少し前、スマホのアラームが鳴る前に起きた藤城皐月ふじしろさつきはすっきり目覚めた勢いで学校の体操服に着替えた。顔を洗いに洗面所に行くと、すでに及川祐希おいかわゆうきが身だしなみを整えていた。
「おはよう、祐希」
「おはよう、皐月。お母さん、まだ寝てるみたいだから、今日の朝食はパピヨンでモーニングね。私は6時半の開店に合わせて行くけど、皐月も一緒に行く?」
「いいよ。行こう」
 芸妓げいこ置屋おきや小百合さゆり寮では時々こういう朝がある。前の日に皐月の母の小百合がお座敷の終わった後、祐希の母の頼子よりこと二人でお酒を飲んで夜更かしをすることがある。そうなると次の日は早起きができなくなるので、皐月と祐希の朝食は喫茶店のお世話になり、祐希の昼食は高校の購買のお世話になる。皐月は小学生なので、昼食はおいしい給食だ。
 祐希が登校の準備のため自分の部屋に戻ったので、皐月は1階へ下り、祐希が来るまで居間でモーニングサテライトを見て待つことにした。番組はすでに始まっているので、皐月は録画を再生速度を上げて追いかけ再生で視聴する。芸妓げいこの母の裏芸の相場に興味があるので、皐月は小学生にして経済ニュースを見るようになった。
 6時半になると、祐希が制服に着替えて下りてきた。皐月はカーディガンを着た祐希を見るのは初めてだ。オーバーサイズのグレーのカーディガンは地味なセーラー服を隠して、いつもの制服姿よりも可愛く見える。これは最強のパジャマ姿の上を行く可愛さかもしれないと思った。
「お待たせ。行こっか」
 皐月は見ていた動画を止め、テレビを消した。祐希が先に外に出たので、皐月が玄関の戸締りをした。皐月が祐希と二人で家を出るのは久しぶりで、今日みたいな日は週に一度あるかないかだ。
「祐希、今日からカーディガン着て高校に行くんだ。良く似合ってるよ」
「ホント? ありがとう」
 こういう風に並んで歩くのが制服デートなのかもしれないと、皐月は祐希の恋人のれんのことが羨ましくなった。春になったら自分も中学の制服を着るようになる。だが、あの校則の厳しい地元の市立中学では女の子と制服デートなんて絶対に許されないだろう。余計なことを考えたせいで、皐月の浮き立った心が暗い想像でけがされてしまった。

 喫茶パピヨンの朝は早い。開店の6時半を過ぎて店に入ると、席の半分以上はが常連客で埋まっている。パピヨンは禁煙の店で、喫煙者はすぐ近くにあるユズリハという喫煙可能な喫茶店に流れている。母の小百合は煙を嫌うので、昔からパピヨンの常連客だ。
 皐月が祐希に先立ってパピヨンに入ると、マスターの奥さんであり今泉俊介いまいずみしゅんすけのお母さんでもある素子もとこママが皐月たちを迎え入れた。
「いらっしゃい。皐月君、今朝は俊介がいるよ」
「ホント? ちょっと顔出してくるね。僕はモーニングはホットコーヒーでお願いします」
 皐月は祐希に適当な席に座ってもらい、自分は俊介のところに顔を出すことにした。
「俊介、おはよう」
「あっ、皐月君。おはよう。今日は店に来てくれたんだね」
「ここのモーニングが恋しくなってね」
 俊介はモーニングではなく、ご飯と味噌汁と焼き魚の定食を食べていた。もちろんそんな献立はこの店のメニューに載っていない。
「祐希と一緒に来たんだ。俊介さぁ、めし食い終わったら俺たちの席に来ないか?」
「え~っ、僕なんかが行って、二人の邪魔にならない?」
「なるわけねーじゃん」
「祐希さんって美人だから、緊張しちゃうんだよね」
「大丈夫だよ。そんなのすぐに慣れるから」
 俊介は何度か店で祐希のことを見ている。前に一度、祐希のことを紹介したことがあったが、その時の俊介はしどろもどろになっていた。
「祐希は7時15分の電車に乗るから、間に合うように来いよ」
「わかった。よ~し、今日は気合入れて突撃するぞ~」
「何だよ、それ」
 皐月が祐希のいるボックス席に戻ると、祐希はスマホをいじっていた。
「後で俊介が来るかもしれないから、その時はよろしくね」
「オッケー。前はあまり俊介君とお話ができなかったね」
「あいつってさ、祐希に会うの緊張しちゃうんだって。そりゃ祐希みたいな綺麗なお姉さんと話をするとなれば、誰だって緊張するよな」
「嘘っ! 皐月なんか最初から全然緊張してなかったくせに」
「そんなことないって。俺、初めて祐希に会った時、胸がときめいたんだぜ。それに今だって、こうして祐希を前にするとドキドキしちゃってるし」
「あ~っ、もう絶対に嘘!」
 店内には昭和歌謡が流れていた。皐月はパピヨンでモーニングを食べながら歌謡曲を聴いているうちに昔の曲が好きになった。モーニングの時間帯に昔の歌謡曲を流すのは常連に年配の客が多いのと、マスターの趣味だ。
「ねえ、皐月の体操服姿の写真、撮ってもいい?」
「いいけどさ……それってショタ写真だよね。俺って一応、小学生だし」
「変な言い方しないでよ。ただ美紅みくに見せてあげたいだけなのに」
 祐希の友達の黒田美紅くろだみくは皐月のファンだという。前に皐月と祐希は同級生の月花博紀げっかひろきと5年生の入屋千智いりやちさとの4人で豊川稲荷とよかわいなりで遊んだ時に4人で写真を撮った。その時の写真を祐希が学校で友達に見せると、女子高生の間で皐月派と博紀派ができた。美紅は数少ない皐月派の一人だ。
「写真はいいけどさ、拡散しないように気をつけてくれよ。俺、最近そういうの気にしてるんだから」
「へ~。どうしてそんなこと気にするようになったの?」
「うん、理由は後で話す。それよりまずは写真を撮ろうか。俺も祐希のカーディガン姿の写真撮りたいし」
 皐月はスマホで祐希の写真を撮り、祐希にも自分を撮影させ、その後は祐希の隣の席に移動して、二人で自撮り写真を撮った。ちょうどその時、俊介が皐月たちのテーブルにやって来た。
「皐月君たち、仲がいいね。二人の写真、僕が撮ってあげるよ」
 俊介は皐月のスマホと祐希のスマホでそれぞれ、皐月と祐希が二人並んだ写真を撮った。皐月が対面の席に戻ると祐希が皐月と俊介に声をかけ、二人が並んでいる写真を撮影した。
「二人の写真、撮っちゃった。後で送ってあげるね」
 祐希が嬉しそうに皐月と俊介に写真を見せた。そこには自然な表情をした皐月と、はにかんだ顔をした俊介が写っていた。
「そういや俺と俊介って、二人の写真なんか撮ったことなかったよな?」
「そうだっけ? 覚えていないや。そもそも皐月君と写真を撮ろうなんて考えたこともなかったし」
「俺さ、卒業するまでに班の子たちと一緒に写真を撮っておきたいって思ってるんだよね」
「だったら今日にでも撮ればいいじゃん。僕が撮ってあげるよ」
「いや、美香みかちゃんでカラーし直してからの方がいいな」
 皐月は土曜日に岩月美香いわつきみかの家の美容室に予約を入れてある。芸妓のみちると服を買いに行くまでにカラーをし直したいし、修学旅行へは髪を整えておきたいと思っていたからだ。
 俊介の母が皐月たちのモーニングセットを運んできた。祐希はアイスミルクティーを頼んでいた。祐希は家でもあまり珈琲こーひーは飲まない。
「あれっ? 皐月君って珈琲なんか飲むの? 今までずっとホットミルクだったじゃん」
「最近、珈琲の味を覚えたんだよ。いつまでも子供じゃいられねーからな」
「お父さんが言ってたんだけど、真理まりちゃんも珈琲を飲むようになったんだってね。やっぱ6年生になると少しは大人になるのかな?」
 俊介は皐月の幼馴染の栗林真理くりばやしまりのことをよく知っている。真理は今のマンションに引っ越すまでは栄町さかえまちに住んでいて、皐月たちと同じ通学班だった。引っ越してからは真理がモーニングに来ることはなくなったが、夕食はよくパピヨンに食べに来る。
「大人になるっていうよりも、毎日ちょっとずつ大人に近づくって感じだと思うよ。まあ、そういう感覚は人それぞれだとは思うけど。俊介だって日々成長してんじゃん。それが6年になると、もう少し加速した感じになるのかな……」
 祐希はモーニングセットの写真を撮り終えると、付け合わせのサラダから食べ始めた。あまりのんびりしていると電車に乗り遅れてしまう。
「あっ、美紅からだ。俊介君、可愛いって」
 祐希のスマホに親友の美紅からメッセージが届いたようだ。
「祐希、もしかして俺たちの写真、美紅さんに送ったの?」
「送ったけど?」
「さっき拡散しないでってお願いしたじゃん」
「拡散って、美紅にしか送っていないよ? それに美紅にはさっき皐月が言ったこと伝えておいたから、心配しなくてもいいと思う」
 イライラしている皐月を横目に、祐希はトーストにかぶりついた。皐月はさっき、どうして拡散してほしくないかの説明を後回しにしたことを後悔した。
「どうしたの?」
 俊介が心配げな顔をしている。皐月はブラックで珈琲を一口飲んだ。
「前に博紀の写真が SNS で広まったことがあったんだ。それがちょっとした事件になってね」
「へ~、それは知らなかった」
「博紀がネットで自分の写真を見つけてさ、ちょっとショックを受けちゃってね。それで博紀のファンクラブの女子たちがブチ切れてさ、犯人捜ししたりして大変だったんだ」
 祐希は食事をしながらも、皐月の話を真剣に聞いていた。俊介は博紀のことを尊敬しているので、少なからずショックを受けているようだ。
「そのことがあってからは、博紀の写真を撮ったら拡散しないようにっていうルールがファンクラブにできたんだ」
 珈琲とトーストの匂いに我慢できなくなって、皐月はパンの耳にかぶりつき、珈琲で流し込んだ。
「千智もさ、塾の帰りに知らない男の人から隠し撮りされたことがあってさ、それ以降、塾の行き帰りは帽子をかぶるだけじゃなく、マスクまでするようになったんだって」
「そうなの? 千智ちゃん、私にはそんな話、してくれなかったな……」
 祐希は一言喋り終わると、皐月のようにパンの耳をミルクティーで流し込んだ。俊介が祐希のがさつな食べ方を見て驚いている。
「俺だってこの前、電車の中で女子高生に写真を撮られたんだぞ。自分が実際にやられてみてわかったけど、あれって相当気持ち悪いな」
 皐月はもう一度、パンの耳を食べた。バターを塗ったところを後回しに取っておくのが皐月のスタイルだ。
「私も写真撮られたことあるよ。そうだね……確かに気持ち悪いよね。撮った写真が何に使われるかわからないからね」
「だから拡散しないように気をつけてほしい。美紅さんにもこの話をしておいてくれないかな。頼むよ」
「わかった。美紅だけじゃなく、他の友達にも伝えておく」
 祐希が食べるペースを上げ始めた。それを見た俊介が席を立った。
「じゃあ皐月君、また後で。今日は店に来てくれて、ありがとう」
「ここのモーニングは最高だね!」
 皐月は取っておいたバターの滲みこんだ食パンのクラム白いところをゆっくりと口に含んだ。パンに対するバターの割合と塩加減がちょうど皐月の好みになり、給食では絶対に叶わない幸せな気持ちになった。

 稲荷小学校に着き、皐月が6年4組の教室に入ると、今日も真っ先に会ったのは松井晴香まついはるかだった。晴香がいつも一緒にいる二人、小川美緒おがわみお惣田由香里そうだゆかりもいる。
「おはよう、諸君」
「おはよう。諸君って何? 上から目線?」
「違うよ。お前らってのを敬意と親愛を込めて言ったんだよ」
 晴香からふわっといい匂いがした。
「あれっ? 松井、香水つけてる?」
「よくわかったね。あんたはいつも、よく気が付くよね」
「普段と違って大人っぽい匂いだからな。そんなセクシーな香りを撒き散らしていたら、俺、晴香のこと好きになっちゃうじゃん」
「じゃあ後で美耶みやにこのパフュームつけてあげよ」
 軽くかわしているようで、晴香は皐月の言葉に喜んでいる。晴香を喜ばせるのは皐月の趣味で、ラスボスを攻略するような面白さがある。
「晴香、良かったじゃん。月花げっか君も晴香のこと、好きになっちゃうかもよ?」
 由香里は自分も博紀のファンクラブに入っているのに、ファンクラブ会長の晴香を博紀にくっつけようとする。由香里は自分が恋愛するよりも、人の恋愛を見たり、小説やマンガの恋愛を楽しむのが好きらしい。
「なんだ、俺の気持ちをもてあそんでおいて無視かよ」
「あんたなんか、どーでもいいのよ」
「あ~、そーですか。でもさ、俺よりも博紀よりも花岡はなおかの方がお前に惚れちゃうかもな。隣の席でずっとフェロモンに当てられ続けるんだからさ」
「嫌だ!」
 晴香が叫んだところに花岡聡はなおかさとしがやって来た。
「先生、おはよう。今日も朝から女とイチャついてるな」
「イチャついてないわ! バカっ!」
 晴香は聡のことを毛嫌いしている。聡は晴香の好きな月花博紀とは真逆なタイプで、爽やかさに欠けるところがある。
「花岡、おはよう。悪いな、お前の女と仲良くしちゃって」
「いいよ。存分に可愛がってやってくれ。キスまでなら許してやるから」
「サンキュー。心が広い」
「お前ら、キモいんだよ!」
 聡がセクハラ発言したのに、晴香は聡にではなく、皐月に思い切り蹴りを入れた。顔が歪みそうなくらい痛かったが、皐月は何事もなかったような顔をして痩せ我慢した。聡は晴香の隣の自分の席にランドセルの中身を入れ、ランドセル置き場に逃げて行った。
「松井……足、痛い」
「あんたが悪いんでしょ? 私が花岡の女みたいなこと言うから」
「ごめんごめん。ちょっとからかい過ぎた」
「今度そういうこと言ったら殺すからね」
「出たー! 晴香の『殺す』」
 由香里が嬉しそうだ。由香里は晴香の毒舌が大好きだから喜んでいるが、美緒は少し怖がっているように見える。
「小川、今日は外ハネにしてこなかったんだ」
「うん。ちょっと時間がなかった」
「そっか。でも、いつものボブも似合ってて可愛いよ。じゃあね」
 皐月は背中のランドセルが重く感じ始めたので、美緒たちに手を振って自分の席へ行った。

 皐月が自分の席に着くと、同じ班の女子3人は席に着いていたが、男子の他2人はまだ来ていなかった。
「おはよう」
「藤城さん、おはよう」
 隣の席の二橋絵梨花にはしえりかはいつも勉強の手を止めて挨拶を返してくれる。本人曰く、学校ではあまり真剣に勉強をしていないそうだ。
「おはよう」
 後ろの席の吉口千由紀よしぐちちゆきも読書を一時中断して、皐月に挨拶を返して読書に戻った。千由紀は今日から新しい本を読み始めたようだ。何の本か聞きたかったが、今は聞くのを遠慮しておいた。すぐに読書を再開したので皐月は千由紀の邪魔をしたくなかった
 前の席の栗林真理くりばやしまりは勉強に集中しているので、何も言ってこない。真理は学校でも受験勉強に集中できるタイプだ。こういう時、皐月は勉強を邪魔したくないので、真理にちょっかいを出さないようにしている。絵梨花は勉強に戻る気がなさそうなので、皐月は体を寄せ、小さな声で話しかけた。
「修学旅行ってたくさん歩く予定じゃん。靴ってどうする? 新しいの買ったりする?」
「私はもう買った。エアークッションの靴。今日の体育の授業で慣らそうと思ってる」
 本を読むのをやめて、千由紀が絵梨花に代わって質問に答えた。最近の千由紀は皐月たちのお喋りによく付き合うようになった。
「私は今履いている靴で行こうと思ってるけど、甘いかな?」
「二橋さんは身体が軽いから、足に負担がかからないし、大丈夫だと思うよ」
「でも吉口さんは新しい靴を用意したんだよね。私も新しい靴、考えてみようかな。藤城さんは?」
「俺は新しい靴、買うよ。旅行用に新しい服を買ったから、それに合わせて靴も買おうかなって思って」
 真理が勉強の手を止めて振り返った。
「皐月、おはよう。修学旅行に着ていく服、買ったの?」
「まあね。俺ってろくな私服持っていないからさ、この際ちょっとお洒落しちゃおうかなって思って」
「そうか……もう買っちゃったんだ。なんだ、私が服選んであげたのに」
「その時はまた頼むよ」
 皐月は真理の言葉にわざと素っ気なく答えた。真理の言い方が学校では心理的な距離が近すぎると感じたからだ。皐月は教室で二人が仲良くしているところをあまり見られたくないと考えている。うっかり仲良くし過ぎると、雰囲気で周りに二人の関係を気付かれるかもしれないので、用心するに越したことはないと思っている。素早く絵梨花と千由紀に視線を走らせると、皐月には何となく二人が怪訝けげんな顔をしているように見えた。

 今週は皐月たちの班が給食当番だ。給食が終わり、みんなで給食室に食器を返しに行くと、その帰りに皐月は真理に呼び止められた。
「ねえ、皐月が買ったっていう服、もしかして明日美あすみ姐さんが選んだの?」
「そうだよ。なんで知ってんだよ?」
「お母さんが言ってた。明日美姐さんが皐月の服を選ぶって張り切ってたって」
 明日美が百合ゆり(芸名)に皐月の服の話を持ち掛けた時、りん(芸名)がそばにいたのだろう。それなら真理がこの話を母の凛子りんこから聞いていてもおかしくはない。
みちる姐さんにも服、選んでもらったんだよね」
「満姉ちゃんはまだ。今度の日曜日に選んでもらうことになってる。二人ともせっかくの休みなのに、俺の服選びに付き合わせちゃって、悪いなって思う」
 本当は満と買い物に出かけることを楽しみにしているが、皐月は真理に悟られないように負の感情を強調した。
「別にいいんじゃない? 姐さんたちだって若い男の子と一緒に出かけられるんだから悪いことないでしょ。いつも酔っ払いのおじさんの相手ばかりしてるんだし」
「へ~、真理って寛大だな。てっきりヤキモチでも焼くのかと思った」
「なんで私が焼きもち焼くの? 相手は芸妓だよ?」
「まあ、そりゃそうか。相手は大人だもんな」
 真理が明日美に嫉妬していないことがわかったのは皐月には収穫だった。真理は皐月が小さいころから明日美に可愛がられているところを見てきた。明日美が皐月の恋愛の相手だとは思いも寄らないのだろう。
「それに皐月のやることにいちいち嫉妬してたら身が持たないよ。今朝だって松井さんたちと仲良くしてたでしょ?」
「なんだ、見てたのか」
「皐月が誰と仲良くしようが構わないけどさ、私と二人でいるときだけは他の女のこと考えないでほしいな」
「真理、お前……そんなこと考えてたのか?」
「お母さんの影響かな……。これって愛人の発想だよね」
 真理はなんともない顔をしながら悲しいことを言う。真理は凛子に恋人がいることを嫌っていて、凛子が恋人に会う日は情緒が不安定になる。そんな時、真理は皐月にすがるようになった。
「今日、学校が終わったら真理んに行こうか?」
「大丈夫。最近は勉強が調子いいから、精神的に安定している」
「そうか」
「うん。それに皐月と会うと、その後勉強したくなくなっちゃうから」
 教材室の前を歩いていると、真理が無造作に引き戸を開けた。周囲を確認すると、皐月の手を引いて教材室にもぐり込んだ。
「どうしたんだよ」
 真理が皐月の首に腕をまわしてきて、キスをしてきた。さっき給食で食べたナポリタンの匂いがした。
「どうしよう……。家に来てほしくなっちゃった」
「行こうか?」
「いい。受験が終わるまでは勉強に集中しなきゃ」
「そうか……偉いな」
 今度は皐月から優しく口づけをした。
「さすがに学校はヤバいから、もう行こう。俺、先に出るから」
「うん」
「いつでも会いに行くから」
「ありがとう」
 皐月と真理は自然と抱き合い、お互いに腕を背中にまわして唇を重ねた。放課後二人は会わないことになったので、真理の家でするようなキスにエスカレートした。

 真理を教材室に残し、皐月は慌てて玄関へ向かった。5時間目の体育の授業の準備をしなくてすむように、皐月は体操服で登校して来た。少しでも昼休みに遊ぶ時間を長く取りたいと思って準備していたのに、予定が狂った。
 靴箱で皐月は口元を手でぬぐった。靴に履き替えていても皐月はまだ真理のことを考えていた。本当はドッヂボールなんかしないで、昼休みはずっと真理と二人でいたかった。真理の家に会いに行くことを断られたのは寂しかったが、そのおかげで皐月の身体の変化が元に戻った。
 走って校庭に出て、太陽の光を浴びると興奮が冷めてきた。明日美のことを思い出して罪悪感に襲われたが、走る足を速めて息が上がると考える余裕がなくなってきた。グランドでみんなの姿を見つけると、皐月の気持ちは自然と遊びモードに切り替わっていた。


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音彌
最後まで読んでくれてありがとう。この記事を気に入ってもらえたら嬉しい。