焼きそばと手相の模擬店(皐月物語 159)
桜淵高校の文化祭に来ていた小学生の藤城皐月と入屋千智は在校生の及川祐希と黒田美紅と合流して、動物科学科の出展する模擬店で卵料理を食べた。
その後、祐希は千智を連れて体育館にバンドの演奏を見に行ったので、皐月は美紅と普通科が出展する模擬店の焼きそばを食べに行くことになった。
美紅に連れられて皐月は普通科の校舎に入った。焼きそばの模擬店は2年生が出しているという。
美紅は3年生なので、2年生には仲のいい子がいないらしい。美紅は友だちのいない模擬店に入りにくいと言い、皐月がいれば一緒に入れるのでありがたいと喜んでいた。
2年生のフロアには下級生か一般客しかいなかったので、美紅は誰からも声をかけられなかった。ただ、同じ高校の女子が小学生男子を連れて歩いているのが珍しいのか、美紅と皐月は結構ジロジロ見られていた。
普通科の2年生たちはお化け屋敷や占い館など、文化祭で定番の模擬店を出していた。皐月たちが目指す焼きそばの教室の前には5人の一般客が並んでいた。皐月と美紅は中年夫婦と、中学生男子の3人組の後ろについて並んで待つことにした。
「美紅さんって、高校卒業した後の進路は決まってるの?」
「決まってるよ。私は美容師になるために専門学校に行くの」
「美容師! カッコイイね」
美紅のヘアースタイルはこの学校の他の子たちよりもどこか洗練されていた。校則でパーマやカラーが禁止されているので黒髪ストレートだが、カットの仕方がモード系のハンサムショートで格好いい。
「私の家って美容院なの。だから、私も美容師になりないって思うようになったんだ」
「美紅さんの髪って、家で切ってもらってるの?」
「うん。お母さんに切ってもらった。相手がお母さんだから、なんでも遠慮なく言えるのがいいんだよね」
「じゃあ、完全に自分の好みにしてもらえるね」
美紅の家の話を聞いていると、家族の仲がよくて羨ましく思った。皐月や祐希の家と違い、美紅の家には父親がいる。父親は美容師ではないが、美紅が美容師になりたいという夢を応援しているという。
話をしているうちに皐月たちの順番が来た。店の中に通されると、教室の勉強机で作ったテーブルに座らされた。メニューは焼きそばの一種類しかなかった。
「ここは焼きそばしかないんだね」
「さっき行った桜淵亭が特別なの。あそこは料理部と動物科学科の子たちがやっているからね」
あらかじめ焼きそばを作ってあったようで、注文したらすぐに運ばれてきた。紙の皿に盛りつけられた焼きそばは屋台で食べるようなシンプルな味だが、肉が多く、目玉焼きが乗っていて食べ応えがあった。
「焼きそば、おいしいね。家の近くの駄菓子屋で食べる焼きそばよりも豪華だ」
「へ~。皐月君の家の近くには駄菓子屋があるんだ。都会だね」
「都会じゃないよ、へへっ。豊川に遊びに来るようなことがあったら、一緒に駄菓子屋に行こう」
「ホント? じゃあ、祐希のところに遊びに行った時に連れてってもらおうかな」
「祐希がいない時に来てもいいよ。その時は豊川稲荷も案内するね」
皐月は美紅のことを好きになっていた。恋愛感情ではないが、ぽっちゃりした外見や優しい人柄に接していると、つい甘えてしまいたくなってしまう。こんな気持ちは親にも感じたことがなかった。
「皐月君って髪にカラーしてるんだね。その紫のワンポイント、格好いいよ」
「好きな地下アイドルの真似をしてみたんだ。でも、こんなことできるのは小学生までだな~。中学に上がったら校則が厳しくなるみたいだから、今から憂鬱だ」
「校則の範囲内で格好良くカットすればいいんだよ。私がいたらカットしてあげるんだけど、卒業したら東京に行っちゃうからな……」
「東京に行っちゃうんだ……」
皐月は新城の街を歩いてみて、活気のなさを感じた。美紅の住んでいるところは知らないが、祐希と中学が同じならこの辺りよりも寂れているはずだ。美紅が東京へ出ていこうと思うのもわかる気がした。
「美容専門学校は豊橋にもあるんだけど、家が遠いから通うのが難しいし、家を出るなら豊橋も東京も一緒だってお母さんに言われたの。それなら東京で勉強した方がいいかなって……」
皐月は祐希も東京に行きたいと言っていたのを思い出した。引っ越しの歓迎会の中での話なので、祐希にその理由を聞けなかったが、もしかしたら祐希が東京に出たがるのは美紅の影響もあるんじゃないかと思った。
「ねえ、美紅さん。俺ってどんなヘアースタイルが似合うと思う?」
「そうね……皐月君は美形だから、どんな髪型でも似合いそう」
「俺が美形?」
「美形だよ~。焼きそば食べててもカッコいい」
箸でつまんだ焼きそばを口に運ぼうとしていたが、美紅に変な褒められ方をして急に恥ずかしくなった。
「皐月君はおでこを出しても似合うと思うよ。でも、今みたいな中性的な感じもいいな」
「美紅さんみたいに顔のことで褒めてくれる人なんて、今まで誰もいなかったよ」
その話は嘘で、顔立ちが綺麗だと言われることは、時々だがあった。千智にも容姿のことで褒められたことがあるが、美紅からの絶賛ほどではなかった。クラスの女子は誰も皐月のことを良く言わない。
「あ~っ、皐月君の専属スタイリストになりたいな~。ねえ、今度私に髪の毛切らせてくれない?」
美紅が急に前のめりになって顔を寄せてきた。
「美紅さん、どうしたの? 急に人が変わったみたい」
「あっ、ごめん。ちょっと取り乱しちゃったみたい……」
皐月は美紅の振舞いが男性アイドルに群がるファンみたいだと思った。同じクラスの月花博紀もファンクラブができる前は女子たちからこんな扱いをされていた。彼女らの生態を見ていると、皐月は全く博紀のことを羨ましいとは思わなかった。
「スタイリストってのはよくわかんねーや。俺が行っている床屋は昭和レトロなところで、そこの理容師さんはもうおじいさんなんだよね。一度でいいから、東京に行く前に美紅さんにお願いしてみたいな」
「えっ? 私、切ってもいいの?」
「いいけど、料金って高い? 俺が行ってる床屋って安いから、払えるかな……」
「私のカットモデルになってもらうんだから、無料でいいよぅ」
皐月と美紅は連絡先を交換した。美紅は車の免許を持っているというので、髪を切る時は車で迎えに行くと言ったが、皐月は自分が美紅の家の美容室まで電車に乗って行くと言った。
「私の住んでいるところは遠いよ。三河大野駅って知ってる?」
「もちろん、知ってる。行ったことはないけど、行ってみたい駅の一つだ。俺、愛知県の駅なら全部憶えてるよ」
「ホント? すご~い!」
「あはは。ありがとう。普通はそこ、キモ~いって言われるところだから」
鉄道好きの皐月にとって、駅訪問は趣味の一つだ。この桜淵高校に来る時に降り立った新城駅はとても興味深くて楽しかった。
皐月と美紅は焼きそばを食べ終わって教室を出た。時刻はまだ1時を過ぎたところだったが、文化祭二日目は3時に終わる。祐希からまだ連絡が来ない
「これからどうしようか……。どこか行きたいところってある?」
「どこもみんな面白そうだね。高校生の文化祭って、雑居ビルっぽいね」
「雑居ビルか~。まあ、いろいろな店が出てるからね。他にどこか入ってみたいところってある?」
「ここに来る途中に占いをやっている教室があったから、そこに行ってみたい。俺、最近オカルトが好きだから、占いにもちょっと興味があるんだ」
「じゃあ、入ってみようか。でも、プロの占い師じゃないからあまり期待しないでね」
占いの部屋は普通科の1年生が開いていた。中に入るといろいろな占いのブースがあり、地元の小中学生や私服で来ている他校の高校生で賑わっていた。
その中で皐月は見覚えのある顔を見つけた。その二人は名鉄豊川線の車内で皐月の写真を撮っていた女子高生だった。彼女らはどの占いにしようか迷っているようだ。
「美紅さん。あの二人の女の子って知ってる?」
「んん……どこかで見たことがあるような気がするんだけど……。皐月君の知ってる子?」
「知り合いってわけじゃないけど、顔は知ってるって程度」
二人は皐月と美紅が彼女らを見ながら話しているのに気がついた。二人は皐月を見つけて思わず歓声を上げたが、すぐに自重して声を抑えた。
「あっ! わかった。一人は中学の時の同級生だ。雰囲気が変わったから、わからなかった」
相手も美紅に気がついたようで、手を振ってきた。美紅は嬉しそうに彼女のもとへ行った。
「美紅ちゃんだよね? 久しぶり~。この高校だったんだ。めっちゃお洒落になったね~」
「佳奈ちゃんもかわいくなった! 都会っぽくなってて、すぐにわかんなかった」
美紅と佳奈が連れのことを忘れてはしゃいでいたので、皐月はもう一人の女子に声をかけた。
「この前、電車の中で俺の写真撮ってたよね?」
皐月は険しい目で彼女を見た。話し方も詰問調になっていた。
「あ……うん、ごめんね」
「写真、拡散してない?」
「うん……。佳奈と二人でシェアしているだけだよ」
「本当?」
「うん……」
皐月に責められ、彼女は恐縮していた。本気で悪いと思っているようなので、皐月は彼女に対する攻撃性が萎えてきた。
「写真をばら撒かないでくれて、ありがとう」
皐月の言葉と微かな笑顔に彼女は初めて笑顔になった。薄くメイクをした彼女はなかなかかわいかった。編み込みのハーフアップもよく似合っていた。
「皐月君。友だちを紹介したいんだけど……」
美紅が遠慮気味に聞いてきた。皐月が機嫌悪そうにしていたのを見ていたようだ。
「はじめまして。藤城皐月です。美紅さんとは友だちです」
皐月は営業スマイルで快活に自己紹介をした。自分から話すことで、場の空気を自分主導の流れにしたかった。
「私は杉浦佳奈。美紅とは中学時代の友だちだったの。中学の時に豊川に引っ越しちゃったから、美紅たちみんなと疎遠になっちゃった」
佳奈も薄くメイクをしていた。高めのサイドポニーテールがかわいくて、クラス内のカーストが高そうに見えた。
「彼女は渡辺天音。私の高校の同級生。天音はもう皐月君と仲良くなったの?」
佳奈は皐月と天音が険悪になっていたのを見ていなかったようだ。天音が皐月の顔色を窺ったので、皐月は頷いた。佳奈も天音と一緒に皐月の写真を撮っていたことが後ろめたかったようで、皐月が頷いたのを見てホッとしたようだ。
皐月は三人の女子高生に気を使われて居心地が悪かった。なんでこんなところにいなければならないのだろう、と気持ちが荒んできた。この場を離れたかったので、人の並んでいない手相のブースに逃げた。
手相を見てくれたのは真面目そうな男子生徒だった。占いブースは女子生徒の占い師に人気が集まっていたが、皐月は男子と話せることが妙に嬉しかった。
「うちの制服の女子と一緒にいるみたいだけど、君のお姉さん?」
大人しめの男子だと思っていたが、相手が小学生男子だからなのか、リラックスして話しかけてきた。
「違うよ。お姉さんの友だち」
その場限りの相手なので、皐月は適当に答えた。
「へぇ~。なんだか変な組み合わせだね。で、手相で何を占ってもらいたいの?」
目の前の男子生徒にまともな占いができるとは思えなかった。ノートPCが開かれているので、ネットで調べながら占うのだろう。皐月はそれでもいいと思った。こんなのはただの遊びだ。
「……じゃあ、恋愛をお願いします」
「わっかりました~。君ってモテそうだから、いろんな子に告白されて、誰にしようか悩んでいるのかな?」
「別にそんなことで悩んでないよ。それじゃ、占いじゃなくて人生相談じゃん」
皐月の背後に美紅と佳奈と天音がやってきた。女子三人に見下ろされて、占い男子が急にたじろぎ始めた。
「じゃあ、右手の掌を見せて。右手の手相は自分の力でどうにかなる未来を表すっていうから」
皐月が手を開いて見せると、占い男子が驚いた。
「手相が濃いね。エネルギーが強いんだ。細い線が多いから繊細なんだね。イケメンで優しいから、そりゃモテるわ」
背後の女子がざわつき始めた。
「二重感情線か……。初めて見たよ。これって、レアな手相で、恋愛ではモテる手相なんだ。二人分の恋愛感情を持ってるっていうことだから、二人の女性を同時に愛することができそうだね」
皐月は想像以上に本性を見透かされていて驚いた。占い男子はネットで調べたことを言っているだけだ。彼女のいなさそうな彼に人生経験だけで自分のことを洞察できるわけがない。
「手相にM線が出てるね。運が強いんだ。生命線から上昇線がはっきりと出てるのもいいね。薬指に向かっているのはセンスや才能で運が開ける暗示。上昇線が小指にも向かっているから、これは人気が高まっているってこと。やっぱりモテてるじゃん」
占い男子が皐月の背後の三人の女子をチラッと見て、すぐに目を伏せた。
「頭脳線が長いね。月丘まで伸びてる。下に曲がる頭脳線は文系タイプだ」
月丘とは小指側の手首の上にある膨らみのことだ。皐月の頭脳線と運命線は月丘に向かって平行に伸びている。
「読書とか好き?」
「好き。最近になって小説を読むようになった」
「お~っ、当たってる。やっぱ文系脳だ」
自分で占っておいて当たってるとは面白い。占い男子は占いに詳しいというよりも、手相を調べるのが楽しいようだ。皐月は彼に好感を持った。
「運命線も月丘から出ている。月丘は人との縁の深さや強さを表すエリアだから、ここから運命線が出ているってことは、客商売や芸能関係に向いているね」
皐月の母は芸妓をしている。自分の母にこの線が出ているのかはわからないが、自分も芸妓のような仕事が向いているのかもしれないと思った。
「手相占いだと、君の恋愛運は恵まれすぎているくらいで、アイドルとかホストみたいな人気商売が向いていると出ました」
「え~っ! なんかヤダな……」
「嘘だ! 僕から見ると、君みたいな子なんて羨まし過ぎるよ。君って勉強できる?」
「全然。超バカだし、勉強なんか大嫌い」
「じゃあ、スポーツは?」
「鈍臭い。足が遅いし、泳げない」
「そうなんだ……。もし全部できたら僕は君に嫉妬しちゃうところだった」
皐月は占い男子に礼を言って、手相のブースから離れた。次に美紅が手相を見てもらうことになった。
皐月は美紅の占いの結果に興味がなかったので、佳奈と天音と話しながら美紅を待とうと思った。自分から二人に話しかけるつもりだったが、佳奈の方から話しかけてきた。
「手相占い、すごかったね。皐月君って女の子にモテるの?」
「前、電車の中で見たでしょ? 俺、あの時の女の子と付き合ってる」
「うわ~っ。あの超かわいい子と付き合ってるんだ。手相、当たってるね」
この時初めて皐月は自分だけでなく、千智もしっかりと見られていたんだと思った。
考えてみれば、電車に乗る時に彼女からは千智の方が良く見えていたはずだ。電車が発車してからは自分しかいなかったので、皐月は自分だけがジロジロと見られていたのかと思い込んでいた。
「どうして俺たちの写真を撮ったの?」
「それはさあ……ねえ」
佳奈は天音の方を見て頷き合っていた。
「二人ともかわいかったから」
二人ともと言われ、ホッとした。もしかしたら二人が写真を撮った目的は自分ではなく、千智だけだったのかもしれないと思ったからだ。皐月は自意識過剰だったことが恥ずかしかった。
「ねえ、杉浦さんと渡辺さんって豊川の人なんだよね。どこの中学出身だったの?」
「私たちは稲荷中」
さっきからずっと佳奈が喋っていて、天音は何も話さない。
「二人とも稲荷中なんだ。俺、来年そこに行くんだ。稲荷中って雰囲気どうだった?」
皐月は地元の市立中学に行くことに不安を抱いていた。近所に稲荷中に通っている友だちがいるが、中学へ行くようになってから交流が途絶えてしまった。
「最初は生徒が多くてビックリすると思う。私が通ってた時は校則が厳しかったけど、今はどうだろう……。天音の弟って中学生だよね? 何か変わったとか聞いてる?」
「私たちの頃よりも校則が緩くなったみたい。いじめもないし、いい先生が多いって言ってたよ」
「えっ! そうなの? いいな~。私たちの世代って最悪だったよね。中学行くの、嫌だったもん」
「弟は学校行くの楽しいって言ってるよ」
皐月は真理から聞かされていた情報が古いことを知った。学校の雰囲気は年によって変わるらしい。
「いい話を聞かせてくれて、ありがとう。俺、中学に上がるのが不安だったけど、ちょっと楽しみになってきた。渡辺さんと杉浦さんと会えて良かった」
皐月は二人に対して作り笑いではなく、初めて心からの笑顔になった。
「天音。皐月君と一緒に写真を撮ってあげる。皐月君、いい?」
「いいよ」
「ありがとう。皐月君は天音のお気に入りなんだよね~」
「ちょっと、恥ずかしいから言わないでよ」
「いいじゃない、別に。でも皐月君にはかわいい彼女がいるから、天音に勝ち目はないからね」
「そんなこと考えてないってば」
二人のやりとりを聞いていると、皐月は二人の関係に上下関係があるように感じた。佳奈の方が天音より上なのだろうか。それとも佳奈の方が天音よりも陽キャなだけなのだろうか。天音は少し引っ込み思案に見えた。
「天音のスマホ、借りるね」
佳奈は天音からスマホを受け取り、皐月と天音の写真を撮った。楽しそうに天音に写真を見せている佳奈は、ただ単に天音に世話を焼いているだけのようにも見えた。
「皐月君。この写真、欲しい?」
「うん。送って」
天音と皐月はアカウントを教え合い、写真が送られてきた。これで美紅だけでなく、天音ともSNSで繋がった。
「二人はこれからどこに行くの?」
「私たちは演劇を見て帰るよ。今日はここの演劇部の劇を見に来るのが目的だったの」
「へぇ……」
「佳奈は演劇部なの。3年生は文化祭で上演して部活を引退するんだよ」
美紅の占いが終わり、美紅と佳奈が少し話した後で別れて、占いの館の教室を出た。