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修学旅行ごっこ 3 清水寺から八坂神社

 このコラムは小説『皐月物語』の中で修学旅行に行く小学生が立てた京都観光のプランを、著者が実際に行ってみて検証したものである。

 今回は最初の訪問地の清水寺きよみずでらへの到着から、次の訪問地の八坂やさか神社を出発するまでを記していこうと思う。
 まずは『皐月物語』の中で藤城皐月ふじしろさつきたちが作ったスケジュールの確認から。

9:36 清水寺着
10:35 清水寺発 徒歩で移動
10:55 八坂神社着

皐月のスケジュール

 実際に僕が歩いた時の記録は次の通り。想定時間とだいぶズレがあった。

9:37 清水寺着
10:01 清水寺発 徒歩で移動
10:41 八坂神社着

僕の行程

 清水寺境内の行動の検証をしてみる。
 皐月たちグループは清水寺での所要時間を1時間と見積もっていたが、これは学校推奨の滞在時間に則ったものだ。
 僕が実際に清水寺の境内を歩いてみると、一通り巡るのに24分しかかからなかった。30分以上も早く回ることができたが、これは今まで何度も清水寺を訪れたことがあるので、ある程度は予想できた。ただしこの所要時間にはトイレ休憩を含んでいない。
 この短時間で回れた理由を考えてみると、思い当たる要因が2点ある。一つは一人旅による雑談の少なさ、もう一つは修学旅行を想定して境内を隅々まで巡回しなかったことだ。
 ハプニング的なこともあった。それはオカルト好きの神谷秀真かみやしゅうまと皐月が楽しみにしていた地主じぬし神社が社殿修復工事のため閉門していたことだ、このため、境内での訪問先が一つ減ってしまった。
 縁結びの神様が祀られている地主神社へ行けない皐月の恋の行方はどうなるのか……。今後の皐月物語の展開を楽しみにしていて下さい。

地主神社

 清水の舞台から見た景色は展望台という観点から評価すると決して絶景ではない。
 いわゆる平安京だった京都市街は舞台の右手に少しだけ見える。眺めも良くないし、京都タワーの周囲にマンションや雑居ビルが林立していて、美しい光景とは言えない。個人的には嫌いじゃないけれど。

京都タワーと京都市街

 清水の舞台は御所ごしょとは向きが正反対になっているので、御所が全く見えない。
 天皇の住まいを見下ろさないように配慮して仁王門や三重塔が作られたと言う話もある。これはかつて東京駅周辺で皇居を見下ろさないようにビルの高さ制限があったという話みたいだ。現在では衛星やドローンでなんでも見放題なので、こういう配慮はあまり意味がなくなった。

 境内を眺めるという観点から見ると、清水の舞台からは奥の院と音羽おとわの瀧がいい感じに見える。

清水寺 奥の院

 だが景色としては奥の院から本堂を見た方がいい。映えるせいか、清水寺のイメージ画像は奥の院から本堂を見た写真がよく使われる。この記事の扉絵も本堂の写真にした。

清水寺 本堂

 なんだかんだで清水の舞台は観光地としては人気がある。僕だって清水の舞台ではテンションが上がる。一人で旅をしていても、清水の舞台に立つと嬉しくなってニコニコしてしまう。

清水寺 舞台の人々

 清水の舞台の上で、僕はくだらないことを考えていた。
 京都には世界遺産がたくさんある。もし戦争が支配者たちの茶番だと仮定するならば、世界遺産のある京都は核攻撃の対象からは外されるだろう。世界遺産とはこの水の星を統べる者たちが破壊せずに残しておきたいと考えているものだからだ。
 だがその他の建造物は支配者たちにとって特別守りたいものではないはずだ。だから彼らがこの世界を再構築したいと考えた時、庶民の住むエリアは強制的に建て替え立て直しをされることになるだろう。

 その時、建て替え立て直しに使用される道具が陰謀論界隈で話題になっている DEW(指向性エネルギー兵器)だと考えてみた。
 街は DEW による線香、じゃなく閃光で焼き払われてしまう。そんな事態を避けるため、市民は屋根を青で塗装するという対策を講じることになる。DEW のレーザーは青色に反応しないことがわかっているからだ。
 実際、いま世界で屋根を青で塗ることが流行し始めている。個人的には御呪おまじないのつもりでもいいから、家畜小屋は全て屋根を青で塗装しておいた方がいいと思う。
 さて、そんなこんなで街の建物の大半の屋根が青くなったとしたら、清水寺の舞台からの景色は相当不細工なものになるだろうと、市街地を眺めながら空想した。本当にくだらない。

 もう少し空想にお付き合いしてください。
 もしも時間旅行ができるのなら、僕は明治か江戸時代の景色を見てみたい。舞台が建てられた年代は定かではないらしい(11~12世紀頃)が、現在の舞台が建造されたのは1633年だという。
 できることなら僕は戦前の景色を見てみたい。戦前というのは京都では応仁の乱以前のことをいうそうだ。これは京都のジョークでよく使われるネタらしい。
 清水寺の開創は778年なので、平安京遷都以前に建てられたことになる。まさに古刹。平安京の時代の舞台がどんな感じかわからないけれど、もしも平安時代に行けるなら、清水の舞台から平安京を見るよりも朱雀大路すざくおおじを歩いてみたい。そして、芥川龍之介が小説『羅生門』で描いた、荒んだ羅城門も見てみたいな。
 未来人が時間旅行をしていると仮定しても、令和の時代の清水寺に観光で来ることはないだろうな、と思う。実際、境内に外国人は大勢いたけれど、未来人はいなかった(たぶん)。一人くらい未来人がいたら面白いのに。

 清水寺の見どころの一つに音羽の瀧もある。
 ここは訪問時間を短縮するために栗林真理くりばやしまりが立ち寄らないでショートカットしようと提案していた所だ。だが、担任の前島先生は奥の院と音羽の瀧はぜひ見てほしいと言っていた。だから僕は前島先生のアドバイスに従い、僕は奥の院と音羽の瀧を見ることにした。
 実際に歩いてみると、奥の院と音羽の瀧はセットになっていて、奥の院だけを見て戻ることは出来なさそうだ。でも両方回ったところで大して時間はかからないので、絶対に見るべきだと思う。奥の院から本堂を見る体験は絶対に外せない。

清水寺 本堂と三重塔

 音羽の瀧はオチとしては面白い。これが滝?
 音羽の瀧は学問や恋愛などにご利益があるということなので、修学旅行で清水寺を訪れる少年少女にとっては行っておいた方が後悔がないだろう。リピーターの大人にとっては、まあ通り過ぎるだけでもいいかなという気にはなる。
 実際、僕も音羽の瀧を通り過ぎてしまった。でも音羽の瀧は願いを叶えてくれる滝なのだ。それにこの滝の清らかな水が清水寺の由来になっているのだ。飲まない手はない。
 音羽の瀧は3本に分かれたかけいから水が落ちるように作られている。右端が健康、美容、左端が出世という風にご利益があるらしい。あまり関心がなかったから碌に調べもしなかったが、こんなご利益があるのだったら全部飲んでおけばよかった、かな?

音羽の瀧

 清水寺の現在の宗派は北法相宗だ。かつては法相宗ほっそうしゅうという、奈良時代に平城京を中心に栄えた南都六宗なんとろくしゅうの一つの宗派だった。
 南都六宗は僕たちのイメージする葬式仏教とは違い、仏教の教理の研究を中心に行っていた学僧衆の集まりだったらしい。法相宗は唯識論ゆいしきろんという、この世の中にあるすべてのものは心が創り出したものであるという思想を研究していたという。
 昔の仏教は気高いね。だから教義なんかわからなくても惹かれるのかな。

 清水寺を出て八坂神社に向かうのに、清水坂から産寧坂、二寧坂、ねねの道を通って円山公園を抜け、八坂神社へ入るコースを選んだ。

清水坂

 皐月の担任の前島先生が清水寺での滞在時間を最低でも1時間は欲しいと言ったのは清水坂などでお店をゆっくり見たり、お土産を買う時間を考慮したからだろう。自分が実際に体験してみて、この見積もりは妥当なものだと思った。
 清水寺から八坂神社までの所要時間は Googleマップでは20分と算出した。だが、実際に歩くと40分もかかった。
 小学生の修学旅行らしくウインドーショッピングに徹してみたものの、脇目を振らずに目的地へと進むわけではないので予想以上に時間がかかった。
 スマホのマップは見にくいので、経路の分岐点は清水坂を歩きながら目視で探した。

産寧坂分岐点

 転ぶと三年以内に死ぬと言われる産寧坂。転ばずにすんでラッキー。みんな転んだら死ぬかと思って、恐る恐る歩いている。

産寧坂

 法観寺の八坂の塔にも寄り道をした。修学旅行実行委員の黄木昭弘おおぎあきひろは修学旅行のしおりの表紙にこの八坂の塔を描き、実行委員の8人を配置した。
 ここはちょっと順路を逸れなければ見られないので、見過ごしてしまう人が多いかもしれない。かくいう僕も、実際に八坂の塔を自分の目で見たのは初めてだった。

法観寺 八坂の塔

 二年坂の分岐点も歩いていてすぐにわかった。わかりやすいってイイね。

二年坂分岐点

 二年坂も転ぶと二年以内に死ぬらしい。呪いの坂かよ。
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

二年坂

 でも、清水坂から産寧坂、二年坂と歩くコースは風情があっていいね。転んだら死ぬなんて都市伝説だから、気にしなくてもいい。

 ねねの道も良かった。ねねとは豊臣秀吉の正室ねねのことで、この地で余生を送ったことからねねの道と名付けられたそうだ。
 ねねの道は御影石を敷き詰めた石畳の道で、距離にして250mの短い道だ。ここまで歩いて来た坂道とは違って平坦な道で、電線も地中に埋設されていてすっきりとしている。美しい道だが、いい写真が撮れなくて残念だ。

ねねの道

 円山公園は京都市最古の公園らしい。ここは桜の名所で、公園の中央にある枝垂れ桜が有名だ。
 僕がここに来たのは時期外れなので、桜は咲いていなかった。だから人がほとんどいなくて寂しかった。
 桜の咲く時期に花見に来たことがあるが、それは見事な桜だった。店もたくさん出ていて、賑やかで楽しかった。

円山公園の枝垂れ桜

 円山公園を抜けると八坂神社の裏手の東北門から入ることができる。本来なら表玄関でもある西楼門から入りたいところだが、今回はスケジュールの都合上、仕方がなかった。清水寺から八坂神社まではおよそ1.4kmの道のりだった。

 次は八坂神社から祇園に寄り道をして、京阪本線の祇園四条駅までの行程を書くつもりです。

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音彌
最後まで読んでくれてありがとう。この記事を気に入ってもらえたら嬉しい。