修学旅行の予習 清水寺の縁起(皐月物語 127.1)
前書き
この回は『皐月物語』のサイドストーリーです。
時間を修学旅行前日までさかのぼって、事前学習の時間に戻ります。皐月たちが修学旅行の訪問先について調べているところだけを書きます。
本編に上手く組み込めなかったので、サイドストーリーの形にしました。内容は趣味というか、遊びみたいなものです。
今後もこういったサイドストーリーを増やしていけたらいいな、と思っています。
それは修学旅行の前日の3・4時間目のことだった。6年4組では修学旅行の最後の打ち合わせと事前学習が行われた。
6年4組の児童たちは席を移動させて修学旅行での行動班ごとに固まった。藤城皐月たちの班は生活班と同じメンバーなので、給食の時と同じ席の配置だ。
他の班は京都のどの店で買い物をするだとか、何を買おうかと楽しんでいる中、修学旅行の訪問先の予習をしようと言い出したのは皐月だ。
皐月たちの班は全員、向学心が高い。オカルト好きの神谷秀真、鉄道オタクの岩原比呂志、仏像好きの二橋絵梨花、文学少女の吉口千由紀、学校で一番勉強のできる栗林真理。みんな皐月の提案に賛成してくれた。
この事前学習は皐月と秀真の主導で進められた。二人ともオカルトが好きだからというのが理由だ。
「じゃあ、今から知識の共有を始めよう。まずは清水寺から。ウィキペディアと公式サイトを開いてみて」
班のみんなは自分の Chromebook で皐月の言ったウェブサイトを開いた。
「調べることは寺や神社の由緒くらいでいいかな。他のことはここで調べる時間がないし、キリがない」
「そうだね。由緒だけでも、突っ込んで調べるととんでもないことになる。最低限の知識だけに留めておいた方が無難かも。神仏のことは僕が現地で話すから」
皐月の方針に秀真が補足説明した。どうやら秀真はみんなに知識を披露することに張り切っているようだ。
秀真は神仏に関して元々知識が豊富だ。皐月も修学旅行に備えてある程度は調べたが、まだ知識の定着度がふわふわしていて心もとない。皐月もこれをいい機会だと思い、神社仏閣や神仏の勉強をしなおそうと思った。
「そういう知識のまとめって ChatGTP にやらせたらいいんじゃないの?」
真理は生成AIに興味があるようだ。皐月も生成AIに興味がある。
「俺、それやったことがある。全然ダメだった」
皐月が ChatGTP に「京都の清水寺を作ったのは誰ですか?」と聞いたら、ChatGPTは「清水寺を建立したのは、賀茂忠広という僧侶です」と答えた。賀茂忠広をネットで検索しても何の情報も得られなかった。そもそも彼が存在したのかさえ分からない。
「清水寺のはじまりの話を書いてください」とも聞いてみた。すると怪しげな話を創作してくれて、それはそれで面白かった。だが、信頼性はゼロだ。
「そういうわけで、まずは公式サイトの由来と、ウィキペディアの創建伝承のところを読もうか。意見や疑問があったらみんなで考えよう」
6人は一斉に皐月の示したところを黙読し始めた。皐月と秀真はすでに何度も読んでいる。
清水寺の正式名称は「音羽山清水寺」で、開創は778年。794年に平安京に遷都される6年前のことだ。
大和国の興福寺の僧で、子島寺で修行していた賢心(後に延鎮と改名)が夢のお告げで山城国の音羽山に来た。そこで清らかな水が湧き出る滝を見つけ、この滝のほとりで滝行をしている老仙人、行叡居士と出会った。行叡は御年200歳だったという。
「夢のお告げって、昔話あるあるだよね。これって史実じゃなくてフィクションじゃないの?」
「伝統的なレトリックなんだと思う。由来なんて歴史っていうよりも神話だから。由緒書専門のライターだっているんだし」
現実的な考え方をする真理の疑問に文学少女の千由紀が答えた。千由紀には由緒書が虚実入り混じった物語にしか見えない。
「行叡が200歳ってどうなの? そんなバカな話があるわけないでしょ?」
真理が突っ込み担当になってきた。その疑問に秀真が自説を展開した。
「200歳はさすがに嘘だ。好意的に解釈するなら襲名かな。賢心が出会ったのは何代目かの行叡なのかもしれない。でも、ただのお爺さんを権威づけるために200歳って盛っているんだろうね」
「居士ってどういう意味?」
「居士は出家をしない仏教信者、修行者の男性のこと。お坊さんじゃないのに山の中で滝行をしていたくらいだから、修験者なのかもしれない」
「音羽山って清水寺があるところと場所が違うでしょ? 山頂が京都と滋賀の県境と東海道新幹線が交差するあたりにあるよ? おかしくない?」
Googleマップを見ていた比呂志が地理的な疑問を呈した。鉄道オタクの比呂志は何がどこにあったのかが気になるようだ。
清水寺があるのは清水山で、京都市東山区にある。音羽山は京都市山科区と滋賀県大津市の境界に山頂がある。
「公式では音羽山で滝を見つけたと書いてあるね。音羽の滝で賢心と行叡が会ったって書いてあるけど、この音羽の滝が清水寺の音羽の滝とは限らないしね」
皐月が音羽の滝のことを言うと、絵梨花がウィキで音羽の滝のことを調べた。
「音羽の滝は3カ所あるね。賢心と行叡が会った音羽の滝は音羽山西中腹を流れる山科音羽川にある滝のことかな」
皐月たちはGoogleマップの投稿写真も見た。山科音羽川にある滝なら滝行ができるかもしれないと思った。
「滝行してたって書いてあったから、二人の出会いは音羽山の滝だよね。清水寺の音羽の滝じゃ修業なんて無理だ。シャワーにすらならないよ」
皐月はネットの写真を見ただけだが、なんとなくそんな気がしてきた。
絵梨花が何やら一所懸命調べていた。
「賢心は子島寺で修行していたって、清水寺のウィキに書いてあるよね。子島寺のページを見てみると、子嶋寺として今でも残っているみたいだよ。奈良県高市郡高取町だって」
「遠いな!」
土地勘があるのか、秀真が即座に反応した。皐月には高市郡高取町がどこにあるのか全くわからなかった。
「壺阪山駅か。近鉄吉野線だね。特急も停まる。子島寺と音羽の滝との位置関係は……ちょうど真北か。どれくらいで行けるんだろう。……2時間25分か。遠いな」
「ちょっと岩原君。2時間なら近いでしょ?」
「特急を乗り継いでだよ。名古屋~難波間より遠いって」
「特急? 奈良時代に電車なんて走ってるわけないでしょ! これだから鉄ヲタは……」
Googleマップに移動時間を算出させると、子嶋寺から音羽の滝まで徒歩で15時間27分だ。距離にして66.5キロ。
「じゃあ、夢のお告げで66キロも歩いて音羽の滝まで行ったんだ。『南の地を去れ』っていう漠然とした言葉で当てもなく北へ向かって歩いたんだよな。凄いな。やっぱり賢心と行叡が出会ったのは音羽山の滝だな」
皐月は自分の直感が確かなものだと自信を得た。
子嶋寺は奈良時代以前の創建だ。760年に孝謙天皇の勅願により報恩という僧が大和国高市郡に子嶋山寺を建てた。
各種史料によると、子嶋寺は子嶋山寺と書かれている。子嶋山寺は子嶋神祠のほとりに建てられた。子嶋神祠は現在の小島神社のことだ。
「小島神社か……ウィキにはないな。他のサイトで調べるか」
秀真は神社が好きなので、好奇心を抑えられない。秀真の関心が主旨から逸れてきたので、他の5人で事前学習を進めた。皐月は清水寺の学習に秀真を除く4人を誘導した。
行叡は賢心に「あなたが来るのを待ち続けていた。私は東国に修行に行く。どうかこの霊木で観音像を彫刻し、この霊地にお堂を建ててくれ」と言われた。
賢心は行叡が残した霊木に千手観音像を刻み、行叡の住んでいた粗末な小屋に安置した。これが清水寺の始まりだという。
「この話ってね、法嚴寺でも同じ話があるんだよ」
清水寺に話を戻してすぐ、絵梨花が法厳寺の話を持ち出した。清水寺の話がなかなか進まなくて、少し空気が重くなりかかっていた。
「法嚴寺?」
「うん。今まで話してきた音羽山にある古いお寺」
「同じ話って何?」
「法嚴寺の始まりがね、清水寺とほとんど同じなの」
法厳寺の創建は清水寺と同じ778年。
小島寺の延鎮上人が霊夢に導かれて金色に光る水源地に辿りつき、牛尾山(音羽山)に入山。そこで行叡居士と出会った。時は770年だった。その8年後、天智天皇が手彫りした観音菩薩像を本尊とし、光仁天皇より勅許を賜って法厳寺が創建された。
「清水寺の縁起とほとんど同じだね。創建された年は同じだし、登場人物も同じ、ログラインも同じ。ここまで似るのって、普通パクりだよね。でも、賢心と行叡が出会ってから8年の時が経っているっていうところが興味深い」
自分でも小説を書く千由紀には話の構成の類似が気になるようだ。
「江戸時代、法嚴寺は清水寺の奥の院って言われていたんだって。本尊も縁起も同じだし」
「神社でいう奥宮みたいなものかな」
絵梨花の言葉に秀真が加わってきた。
「法厳寺って元々は音羽山の山頂の音羽山権現社っていう神社だったみたいだよ」
「そうなの? 権現社ってお寺じゃないの?」
「うん。権現って仏や菩薩が人々を救うために仮の姿をとって現れることなんだけど、ここでは音羽山の神を本地垂迹説で神仏混淆にしちゃったんだろうね」
「難しくてわからない」
皐月には秀真の言うことが理解できたが、真理には言葉や概念が難し過ぎたようだ。
「音羽山権現社ができたのって垂仁天皇の時なんだ。垂仁天皇は紀元前の人で弥生時代の天皇だから、仏教伝来の前だよね。だからお寺はあり得ないから神社。音羽山権現社って、昔は別の名前で呼ばれていたんだろうね」
「すげ~。さすが秀真、俺の師匠」
「いや、ネットで調べただけだし」
「『法嚴寺由来』によると、賢心の霊夢に出てきてお告げをしたのは音羽山権現社の祭神の宇賀徳生神なんだって。頭髪は真っ白で、白の顎髭を垂し延された白装束の老翁だったらしいよ。これでスッキリした」
「なんか200歳の行叡とごっちゃになりそう」
「あっ、そうか……。僕、栗林さんの言うようにごっちゃになってたかもしれない」
「でも秀真の言う通り、『法嚴寺由来』にはそう書いてあるってことだよな。じゃあ、それでいいじゃん」
「由緒とか歴史なんて、当事者以外どうでもいいよね」
皐月は自分以上に冷めたことを言う千由紀に驚いた。
「話がこんがらがってきたんだけど、ちょっとまとめてもいい?」
「じゃあ、真理がまとめろよ」
「うわ~っ。嫌なこと言うね、皐月は」
真理は目を瞑って少し俯き、眉間に人差し指と中指を当てて考え始めた。「整った。じゃあ、まとめるね」
・清水寺と法嚴寺は同じ起源を持つ
・賢心が行叡から開山を託されたまでの話が同じ
・賢心と行叡が出会ったのは法嚴寺の伝承の方が8年早い
・縁起に出てくる音羽の滝の場所は清水山ではなく音羽山
・創建伝承は法嚴寺のもの
・清水寺が法嚴寺の縁起を借りたか、あるいは共有している
「まあ、そういうことになるのかなぁ……」
「寺社の始まりなんてそんなもんだよ。清水寺は資料が残っているだけいい方なんじゃない? もっとひどい寺社なんていっぱいあるよ」
皐月が不満気でいると、秀真が慰めてくれた。千由紀の言うように、寺社の起源なんて神話くらいに思っておいた方がいいのかもしれない。
「でも、創建の2年後から清水寺と法嚴寺は分岐するよね」
絵梨花が興味深いことを言った。
「清水寺の公式サイトによると、行叡と別れて音羽山にお堂を建てた2年後に、賢心と坂上田村麻呂が音羽の滝で出会うんだって」
758年生まれの坂上田村麻呂は780年、田村麻呂は妻の病気平癒のため鹿を捕えようとして音羽山に入った。すると、田村麻呂は山中で修行中の賢心に出会った。
田村麻呂は賢心に殺生の罪を説かれ、大師と仰いで寺院建立の願いに協力を申し出た。そして、十一面千手観世音菩薩を本尊として祀るために自邸を本堂として寄進した。音羽の滝の清らかさにちなんで清水寺と名付けた。
「坂上田村麻呂って蝦夷平定をした人だよね」
「そう。794年に朝廷軍が蝦夷軍との戦いに勝利したの」
「ああ、よかった。合ってた。さすがは絵梨花ちゃん」
「真理、合ってたってなんだよ?」
「蝦夷平定は小学校で習わないけど、中学受験の入試では出るの。私は絵梨花ちゃんみたいに年号まで覚えていないんだけど……」
暗記くらいしかできないと言っていた真理だが、それでもうろ覚えのことが多いのかと、皐月はこの時初めて知った。中学受験では覚えなければならないことが多過ぎるのかもしれない。
皐月は坂上田村麻呂のことを何も知らないので、ウィキを見る前に絵梨花に聞いてみた。
「坂上田村麻呂って軍人?」
「軍人であり貴族であったってところかな」
「田村麻呂は賢心に自分の家をあげたって書いてあるけど、今の清水寺が建っている所に住んでたってこと?」
「どうなんだろう……そうだと思うけど。平安京に遷都する前だから長岡京に住んでいたのかな? 清水寺になる所にあった家は別荘だったのかもしれないな……。よくわからない」
調べ物をしていた真理が絵梨花のフォローをした。
「坂上田村麻呂が賢心に会ったのは23歳の時だって。この時に近衛府の将監になったって書いてある。なんだ、これ?……ああ、御所の警護兵ってことか。じゃあ、長岡京の御所で働いていたってことだね」
「ということは……近衛府の将監に決まったから長岡京に引っ越さなきゃいけなくなって、それで住んでいた家を賢心にあげたってことか……な?」
皐月は真理の話を聞き、自分なりに納得してしまった。史実かどうかはどうでもよく、自分の思いついたストーリーを信じたくなった。
桓武天皇によって794年に都は長岡京から平安京に遷都された。坂上田村麻呂は同じ年の794年に蝦夷平定から帰還したが、まだこの時は新しい都は完成していなかった。
新京ができるまでの間、田村麻呂は諸国をまわり、神社に奉幣した。この時に自身が建立した清水寺にも参拝した。
その4年後の798年、田村麻呂は延鎮(もとの賢心)と協力して、清水寺の本堂を大規模に改築した。観音像の脇侍として地蔵菩薩と毘沙門天の像を祀った。
以上の縁起により、清水寺では行叡を元祖、延鎮を開山、田村麻呂を本願主と位置づけている。本願主とは寺院・仏像などを創立し、法会を執行する発起人のこと。
「じゃあ、清水寺は坂上田村麻呂の寺ってこと?」
「まあ、そういうことでいいんじゃないの」
「それって法隆寺が聖徳太子の寺で、東大寺が聖武天皇、唐招提寺が鑑真の寺っていうのと同じ?」
「まあ、そんな感じかな。よく知ってんな、真理」
「テストで出そうなところしか知らないよ」
これで清水寺の予習は終わった。調べれば調べるほど興味深いということは、ここにいる6人全員が感じていた。もっと調べたい気持ちを抑えながら、皐月たちは次の訪問地のことを調べ始めた。