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初めてのスナック(皐月物語 168)

 修学旅行が終わり、3日目の学校ともなると教室内は完全に通常モードに戻っていた。何のイベントもない小学校生活は平穏だ。授業は淡々と進み、友だち同士で話すこともほとんどが日常生活に根付いた話題に変わっていた。

 藤城皐月ふじしろさつきの教室での過ごし方に変化があった。皐月は以前よりも女子に話しかけなくなっていた。
 皐月が教室に入って最初に話しかけるのは出入り口近くの席の松井晴香まついはるかのグループだ。朝の挨拶は今までと変わらないが、ファッションチェックと雑談をせずに、すぐに自分の席に行くようになった。
「今日もさっさと行っちゃったね、藤城君。晴香ちゃん、寂しくない?」
「いいよ、別に。塩対応されたわけじゃないから」
「笑顔だけは爽やかだよね」
 惣田由香里そうだゆかり小川美緒おがわみおは皐月を目で追う晴香のことを心配していた。

 皐月は席に着くと、同じ班の栗林真理くりばやしまり二橋絵梨花にはしえりか吉口千由紀よしぐちちゆきに小声で「おはよう」と言う。三人は皐月に挨拶を返すが、皐月は微笑むだけで何も話さない。
 真理と絵梨花は中学受験が近付いているので、今までよりも集中して受験勉強に取り組んでいる。皐月は二人の邪魔にならないよう、自分からは話しかけないようにしている。
 後ろの席の千由紀はあいかわらず本を読んでいる。皐月は千由紀の読書の妨げにならないよう挨拶を交わすだけにとどめて、ランドセルを教室の後ろの棚に片付けに行く。

 皐月はまた花岡聡はなおかさとしとつるむようになった。今までのように女子の話やエッチな話をしなくなり、二人でダンスの練習をしている。
 聡は本気でモテるようになりたいと思い始めているようだ。どうやったら格好良くなれるかというのを二人で話すようになり、そのひとつがダンスの練習だ。
 これは皐月からの提案だ。及川祐希おいかわゆうきの高校の文化祭でダンス部の人にレクチャーをしてもらい、聡にも教えたくてウズウズしていた。
「花岡って絶対にモテるようになるよ。めっちゃスタイルいいもんな」
「なんだ? どうした、急に」
「今って頭身が大事なんだ。ヘアーやファッションはどうにでもなるけど、頭身はどう頑張っても変えられないからな」
「なんだ? それじゃあ、まるで俺が不細工みたいじゃないか」
「そんなこと言ってねーだろ。聡はイケメンだよ」
 聡の顔は美形とはいえないが、パーツの配置のバランスは悪くない。脚が長く顔が小さめなので、背が伸びればもっと頭身が上がるだろう。
 聡は皐月を見て女子にモテたいという思いが強くなったと言う。6年4組では女子の好意を月花博紀げっかひろきが独占しているが、皐月もなかなか女子に人気がある方だ。以前の聡は皐月に嫉妬心をぶつけてきたが、考え方を改めたようだ。

 皐月は男子との会話を増やそうと思うようになった。修学旅行を通じて博紀のグループの男子たちとの親密度が上がったような気がした。修学旅行実行委員会が終わったので、これからは毎日ドッジボールに参加できる。
 今まで皐月は昼休みのドッジボールでしか博紀のグループの男子と遊ばなかった。だが、京都の夜のゲーム大会で仲良くなって以来、男子たちに話しかけられることが多くなった。皐月は彼らと話していると不思議と落ち着く。
 博紀の皐月への対応に変化が現れた。今までの博紀からは時に攻撃性を感じていたが、修学旅行が終わるとそのような態度がなくなった。博紀が変わると、博紀の取り巻きたちの皐月への接し方も変わる。
 博紀から皐月に話しかけてくることが多くなった。皐月が博紀と話していると、クラスの女子たちの視線が今まで以上に集中するのを感じるようになった。
 それは博紀が一人の時に向けられるあからさまな視線とは違い、博紀と二人の時に向けられる視線はどこか遠巻きだ。皐月はこれに似たような感覚を及川祐希おいかわゆうきの高校の文化祭で感じた。

 この日の掃除の時間も皐月が一人になった瞬間に、吉口千由紀が話しかけてきた。
「今日、大丈夫だよね?」
「大丈夫。家を出る時にメッセージを送ればいいんだよね」
「うん。店の前で待ってる。場所はわかる?」
「教えてもらった店名を検索した。ストリートビューで店の外観も見たよ。吉口さんのお店って評判がいいんだね」
「コメント、少ないよ。常連客しか来ない店だから」
 皐月と千由紀が話しているところに野上実果子のがみみかこが通りかかった。髪はプリンから黒に戻っているが、夜職の女の子が昼に出歩くようなジャージのコーデなのは相変わらずだ。
「千由紀、藤城にナンパされてたのか?」
「してねーよ。クソ野上」
 皐月も実果子もヘラヘラしていた。二人の挨拶は5年生の時からいつもこんな感じだ。
「大丈夫だよ、実果子。藤城君のこと取らないから」
「何言ってんの、千由紀……」
 珍しく実果子が顔を赤くした。千由紀は皐月と実果子の匂い袋の話を知っている。皐月は千由紀と実果子の関係性をまだよくわかっていないが、二人のやりとりを見て親友に近いことはわかった。
「なあ、野上。お前、俺のことでクラスの奴らにからかわれたり、苛められたりしてねーか?」
「何もねーよ。みんな私にもお前にも興味ねーから。噂の相手が月花だったら殺されていたかもな」
「相手が女子に不人気の俺で良かったじゃん」
「嘘! 藤城君、女子に人気あるじゃない」
「吉口さんにだけにね」
 軽く雑談をした後、実果子は手を振って千由紀と皐月から離れて行った。

 藤城皐月ふじしろさつきが家に帰ると、及川頼子おいかわよりこだけでなく母の小百合さゆりも家にいた。小百合はまだ芸妓げいこ姿になる前の姿だった。この日は明日美あすみと同じお座敷だと聞いている。
「ねえ、ママ。明日美ってお酒が弱いんだってね。お座敷でどんな感じなの?」
「ああ……皐月は明日美とそういう話をするようになったんだ。確かに明日美はお酒が弱いよ。でも、少しは客に付き合って飲むけどね。どんな感じかぁ……明日美はトークを頑張ってるかな」
「へぇ……」
「明日美は若くて綺麗だから、普通に話をするだけでも客が喜んじゃうからいいよね。でも、本人は客と話すのが苦手みたいだけど」
 皐月は明日美が客と話をしているところを想像すると、いつも嫉妬してしまう。
「客にいやらしいこととかされないの?」
「あんたもそんなことを心配するようになったんだね……。私たち芸妓は大丈夫だから安心しなさい。そういうことをしたい客はそもそも芸妓なんか呼ばないから。今の時代のスケベな客はそういうコンパニオンを呼ぶのよ」

「そんな仕事をしている人たちがいるんだ……」
「そう、大変な仕事なの。彼女たちとお座敷で会ったことがあるけど、みんな本当によくやってるよ。だから芸妓なんかよりずっと人気があるの。若い客はみんなコンパニオンに流れているからね」
 小百合は話しにくそうにしていた。
「豊川の芸妓も先細りだよ。でも、仕事がなくなるってことはないから大丈夫」
 小百合は皐月を心配させないように話した。小百合の仕事は途切れずにあるし、ヘルプで頼子が駆り出されることもある。確かに芸妓の仕事に関しては心配ないのかもしれない。
 だが、皐月は芸妓の未来よりも母の未来が心配だ。母はどんどん老けていくので、いずれお座敷に呼ばれなくなる日が来る。母の師匠の和泉いずみや、組合長の京子きょうこは現在ほとんどお座敷に呼ばれない。

 小百合は豊川の芸妓を先細りだと言ったが、大丈夫だとも言った。だが皐月は母の言う大丈夫を信じていない。それは少しだけ豊川芸妓組合の内情を知っているからだ。
 組合長の京子きょうこ検番けんばんで話をしていると、皐月のような子供にも、京子がこの先どうするつもりなのかがなんとなく見えてくる。
 まず、京子には後継ぎがいない。京子にはかつて芸妓をしていた玲子れいこという娘がいるが、現在は芸妓をしていない。玲子は自分でクラブを開いていて、店も繁盛している。玲子が芸妓組合を引き継ぐかどうかはわからない。
 京子は明日美の高卒認定試験の合格を支援している。芸妓なんかやめて、他の人生を選んでもいいと言う。同僚のりんは明日美に大学受験を勧めている。京子は若い芸鼓には転職を促しているような感じもする。皐月はずっと、京子が明日美に芸妓組合を継がせるつもりでいるのかと思っていた。
 玲子の経営するクラブには芸妓と兼任している若いホステスがいる。玲子は若い芸妓に芸妓以外の収入を得られるような場を作っている。玲子のクラブは京子が芸妓組合を解散した後の受け皿なのかもしれない。
「まあ、皐月は何も心配しなくてもいいよ。私も明日美もなんとかなるから」
「頼子さんも?」
「当然。私と頼子は二人で力を合わせて生きていこうって決めてるんだから」

 頼子が台所から居間へやってきた。
「あら、皐月ちゃん。おかえり」
「ただいま、頼子さん。今から友だちの家に遊びに行くんだけど、何か手土産になるお菓子ってある?」
「お菓子か……。女の子なら洋菓子の方がいいわね」
「なんで女の子ってわかったの?」
「だって皐月ちゃんが手土産を持っていく子なんて、男の子のわけがないでしょ? この前、家に来た江嶋さん?」
「違うよ。別の子」
 母親に女の子と遊ぶ話を聞かれるのは嫌な感じだ。皐月は頼子を恨んだ。
「皐月。あんた、最近は女の子とばかり遊んでいるのね」
「変な言い方するなよ。今日は読書が好きな子の家に行って、自慢のコレクションを見せてもらうだけだから。それに俺、女子と遊ぶより男子と遊ぶ方が楽しいし」
 言葉に気をつけないと、この二人には知られたくないことまでバレてしまう。だが、皐月はこういう話の流れになると明日美や祐希との関係を疑われなくてすむと思うので、軌道修正をしないつもりだ。

「はいはい、わかったよ。あんたは最近、変に色気づいてきたからね」
「小百合は心配し過ぎなのよ。いいじゃない、自分の息子が女の子にモテるなんて」
「じゃあ、頼子は祐希ちゃんが男にモテてもいいの?」
「そんなのダメに決まってるでしょ!」
 頼子の剣幕に皐月はたじろいだ。皐月はまだ頼子に怒られたことがない。祐希のことで怒っていても、頼子が怒っている姿を見るとビビる。
「あの年頃でモテたって、穴モテに決まってるんだから」
「アナモテ?」
「あんたは早く出かける用意をしてきなさい。頼子も変なことを言わないで!」
「ごめんね~、小百合。皐月ちゃん、お菓子の用意しておくからね~」
 皐月は追い出されるように自分の部屋へ戻った。頼子の言ったアナモテという言葉が気になったので、すぐにランドセルからスマホを取り出して調べた。
 頼子の懸念はすぐにわかった。及川祐希おいかわゆうきと元彼の竹下蓮たけしたれんの関係や、祐希が蓮と別れようと思った理由も察しがついた。

 皐月は自分も付き合っている女子たちをそんな風に見ているんじゃないかと考えた。
 自分は同時に複数の相手と恋愛をしている。そのことは自分でも不誠実だと思っているが、恋人と二人でいる時は本気で相手のことを好きになっている。決して相手のことを遊びとは考えていない。
 逆のことを考えてみた。自分が相手から遊び相手にしか見られていないんじゃないか、と。
 芸妓のみちるははっきりそうだと言った。皐月はそれでもいいと思っている。江嶋華鈴もそんな感じの言い方をしたが、本心ではないだろう。及川祐希には好きな男の代わりにされているような感じがした時がある。
 性に興味があったり、快楽を求める気持ちは自分も相手も同じだ。そう思うと、皐月は自分のことを遊び相手と見られても、自分以外の誰も責める気にはなれない。
 皐月は母と頼子に見送られて家を出た。見送りなんかいらないと言ったが、それでも見送ろうとするのは、これから会う女の子に悪いことをするなと釘を刺しているつもりのように思えた。皐月は千由紀に悪いことをするつもりはない。

 吉口千由紀よしぐちちゆきの母の店は『夕夏ゆうか』というスナックだ。西本町の繁華街から外れた場末にひっそりと店を開いている。それでも駅から近いので、客はそれなりに入っているらしい。
 藤城皐月ふじしろさつきは千由紀の家の場所を憶えておいたので、ナビを見なくても行ける。線路に向かって細い路地を歩いていると、スナック『夕夏』が見えた。『夕夏』は3件並んでいる店舗の真ん中にある。『夕夏』の両隣の2件も飲食店で、小料理屋と別のスナックが軒を連ねている。

 店の外に吉口千由紀が本を読みながら立っていた。窓のない白い壁にもたれかかり、片手で文庫本を読んでいる千由紀はなかなか様になっていた。
「吉口さん、来たよ」
「あっ……藤城君。いらっしゃい。実際に家まで来られると緊張するな」
「なんでだよ? いつも学校で一緒にいるじゃん。緊張してるのは俺の方だよ。スナックって入るの初めてだから」
「緊張しなくていいよ。スナックは気軽に入れるお店なの」
 スナック『夕夏』はメゾネットタイプの店舗兼住宅で、二階が住居になっている。『夕夏』の外観は白を基調にした清潔な印象で、白地の看板に薔薇色の丸っこい字で「夕夏 Yuuka」と書かれている。扉にはスナックにしては珍しく、禁煙のステッカーが貼られている。

 千由紀は扉を引いて、平然と大人の世界に入った。皐月はおそるおそる千由紀の後に続いた。
 店内は看板のフォントと同じ薔薇色で統一されていた。皐月は情熱的な赤い内装の『Coro Da Noiteコーホ・ダ・ノイチ』というクラブを見慣れていたので、『夕夏』のほわんとした雰囲気が一目で気に入った。
 カウンターの奥にいるのが千由紀の母の吉口夕夏よしぐちゆうかだ。夕夏は皐月の男友達の母親たちとは違い、小奇麗な身なりにしていた。髪の一部は店のイメージカラーの薔薇色に染められていて、口紅の色も店の色に合わせていた。
 夕夏は皐月がよく見る芸妓よりも女性的だった。スナックのママということで、皐月はもっと退廃的なイメージを持っていたが、予想外の清潔さだった。
「こんにちは。まあ、かけて」
 夕夏は千由紀と皐月をカウンターに座らせた。大理石を模したカウンターは喫茶店や食堂と違い、高級感がある。カウンター奥の棚には選りすぐられた日本酒や洋酒がライトに照らされて並んでいる。皐月は初めて見るスナックの店内を見回した。

「何か飲む?」
 夕夏はまるで客を相手にしているように皐月に注文を聞いた。思わぬ展開に皐月は戸惑い、どう振舞ったらよいかわからなくなった。
「アイスコーヒーってありますか?」
「あるわよ。ウチは喫茶店もやってるから。千由紀、あなたは何?」
「私は水割り」
「水割り! 吉口さんってお酒飲むの?」
「飲むわけないでしょ。ノンアルに決まってるじゃない」
 千由紀と夕夏が驚く皐月を見て笑っていた。皐月は二人に翻弄されていた。変な親子だな、と思った。
「藤城皐月君って言ったわね。藤城君も飲んでみる?」
「いいんですか?」
「藤城君が親に内緒にしてくれるんだったら、いいわよ。水割りじゃなくて、ハイボールにする? もちろんノンアルだけど」
「じゃあ、ハイボールでお願いします」
 皐月は明日美がウイスキーが好きだと言っていたことを思い出した。ノンアルでもいいから、一度はウイスキーを飲んでみたかった。

 夕夏は冷蔵庫から缶のノンアルのウイスキーとハイボールを取り出した。皐月は飲み物をボトルから作るというイメージがあったので、缶を開けるだけだったのに少しがっかりした。
「吉口さんって、いつもノンアルを飲んでるの?」
「飲むわけないでしょ。今日は店のカウンターで飲むから、ちょっと大人ぶってみただけ」
「藤城君の前だからカッコつけたんでしょ?」
「もう、いいでしょ! お母さん」
 千由紀の前には水割りが、皐月の前にはハイボールが出された。千由紀に促されて軽くグラスを合わせると、少し大人になった気がした。
「おいしい?」
「うん。おいしい」
 初めて飲むノンアルのハイボールは悪くなかった。ウイスキーの味もなんとなくわかった。これが美味しいかどうか皐月にはわからないが、アルコールが入っていれば中毒性があるのかもしれないと思った。
 お酒は場の雰囲気やおしゃべりを楽しむものだと聞いたことがある。皐月はまだその意味がよくわからないが、カフェ巡りと同じなのかと漠然と思った。

「藤城君のお母さんは芸妓げいこさんなんですってね。藤城君に似て綺麗な方なんでしょうね」
「そんなことないですよ。ただのオバさんです」
「そう? ウチのお客さんが『豊川の芸妓はレベルが高い』って言ってたわ」
「それは僕の母以外の芸妓のことだと思います」
 テンプレのような会話をしながら、皐月は早くこの場を離れたいと考えていた。千由紀の母に値踏みをされているようで落ち着かない。だからこそ、離れたいという気持ちを押し殺して対応しなければならない。
「藤城君。千由紀と遊んでくれてありがとう。この子が友だちを家に連れてくるのは初めてなの。私の仕事がこんなだから、恥ずかしいのかな」
「ちょっとお母さん、やめてよ」
 夕夏がママから母に変わっていた。皐月は少し気が楽になった。
「千由紀はよく藤城君の話をするのよ。学校でこんなことがあったとか、こんな話をしたとか」
「もうやめて……」
 千由紀を見ると、耳を真っ赤にして俯いていた。

「吉口さんに小説を読む楽しみを教えてもらったんです。それまでは漫画を読んだり、アニメを見たりするだけだったんですが、小説を読んでみたら面白くて」
 皐月はもう一口、ハイボールを飲んだ。二口目は美味しかった。
「吉口さんに新しい世界を教えてもらってからは、毎日が楽しくなりました。吉口さんは僕の人生を変えてくれた」
「そんなことないよ。藤城君はいずれ文学に出会ってた」
「いや、この年で出会えたからよかったんだ」
 夕夏が嬉しそうに頷いていた。
「吉口さんと文学の話をするのが楽しくて、今日は遊びに来ました。学校だとゆっくり話すことができないから、ここに来るのをとても楽しみにしていたんです」
「そうなの……。藤城君、ゆっくりしていってね」
「はい」
 千由紀がグラスの水割りを一気にあおって飲み干した。

「お母さん。もう部屋に行くからね」
「何か食べ物を作って、持っていってあげようか?」
「いい。二階にも食べ物や飲み物はあるから」
 皐月も残りのハイボールを飲み干した。やっぱり美味しかった。
「今日は夕食までに帰ります」
「あらそう? ウチで食べていってもいいのよ?」
「いえ。家で夕食が用意されているので、今日は失礼します」
「まあ。お母さん、芸妓さんのお仕事があるのにえらいわね~。私も見習わなくっちゃ」
 皐月は及川頼子おいかわよりこのことは伏せておいた。隠すつもりはないけれど、話すと話が長くなる。早く千由紀の部屋に行っておちつきたかった。
「じゃあ、もう行くからね」
 千由紀は皐月を連れて、店の奥の扉を開いた。スナックのさらに奥はどうなっているのか、皐月はわくわくしながら千由紀の後について行った。


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音彌
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