修学旅行ごっこ 5 下鴨神社と鴨川デルタ
このコラムは小説『皐月物語』の中で修学旅行に行く小学生が立てた京都観光のプランを、著者が実際に行ってみて検証したものである。
今回は賀茂御祖神社(下鴨神社)への到着から鴨川デルタでお昼ごはんを食べ、出町柳駅へ戻るまでを記していこうと思う。
まずは『皐月物語』の中で藤城皐月たちが作ったスケジュールの確認から。
実際に僕が歩いた時の記録は次の通り。想定時刻より15分ほど前倒しとなった。
今回の旅だと昼食の時間が早くなりそうだったので、下鴨神社と鴨川デルタの順序を入れ替えて時間の調節をした。
出町柳駅で京阪電車を降りた僕は小学生の修学旅行を想定して、お昼ごはんは弁当に近いものを買おうと考えていた。駅の近くのコンビニで何か簡単に食べられるものを買うつもりだったが、駅構内にお店を見つけたので、そこで買うことにした。
まずは『おにぎり利次郎 出町柳店』。僕が買いに行った時は一人の若い白人の男性が買い物をしていて、若い女性の店員さんと身振り手振りでコミュニケーションを取っていた。少し待ったけれど、京都らしい情景に旅情を感じた。
僕はここで米屋のおにぎりの鮭を一つと、米粉でカラッと揚げた鶏の唐揚げを4個買った。僕にアレルギーはないけれど、苦手なニンニクが不使用というのはありがたかった。
「これだけで足りるんですか?」
そんなに大食漢に見えたのだろうか? 若くて可愛い女の子にこんなことを言われると店の物を全部買いたくなってしまうが、隣の店でパンを買うと言っておにぎり利次郎を離れた。
すぐ隣に『志津屋 叡電出町柳店』というベーカリーがある。志津屋には美味しそうなパンがたくさん並んでいて、僕はここでカレーパンを一つだけ買った。本当はあれもこれもとたくさん買いたいところだったが、ダイエットをしなければならない身なので我慢した。
昼食を買った僕は叡山電車の出町柳駅を見た。この頭端式ホームは昭和の匂いが残っていて、遠い昔の思い出が蘇った。
僕が鞍馬に行ったのは1988年(昭和63年)の秋だった。初めて就いた仕事を辞め、京都と奈良を10日ほど一人旅をしていた時だった。その時、この出町柳駅から鞍馬へと電車に乗って行った。
当時はまだ京阪の出町柳駅はなかったと思う。記憶が曖昧になっていて、本当に心に残ったことしか覚えていない。あの時の旅ではメモも写真も一切残していなかった。
若くて貧乏だった僕は古本屋で買ったガイドブックを片手に京都を回った。その本には叡山電車がまだ京福電気鉄道叡山本線と書かれていた。この本を読み返してみると、情報量の少なさに泣けてくる。
高野川にかかった河合橋を渡ると、右手に葵公園がある。ここで僕は大きな間違いをした。
葵公園の入口に下鴨神社の糺の森への案内看板が建てられていたが、何を思ったのか、僕は葵公園の中に入ってしまった。なんとなく雰囲気で道なりに進んでいくと、綺麗で大きなな公衆トイレがあった。なんか変だな、記憶と違うなと思いながら歩き続けると幹線道路に出てしまった。
ここまで来て後戻りするのも業腹なので、下鴨本通を歩いて下鴨神社への案内看板を探すことにした。この道沿いの光景は特に京都らしくなく、ありふれた日本の街並みだった。
一つ目の信号を右に曲がり、御蔭通に入るとすぐに河合神社が見つかった。ちょっと大回りになってしまったが、知らない景色を見られたのは楽しかった。
河合神社は賀茂御祖神社(下鴨神社)の摂社で、御祭神は玉依媛命。下鴨神社の東本殿に祀られている神様と同じだ。
玉依媛命の名前の意味は神霊の依り代となる巫女となり、個人名というよりも役職のような印象を受ける。日本では卑弥呼の時代からこういう名付け方をする癖があるようだ。
河合神社の属する賀茂御祖神社(下鴨神社)や、奈良時代まで元々一つだった賀茂別雷神社(上賀茂神社)の御祭神についてはいろいろ思うところがあるので、少しだけここに書いておこうと思う。
下鴨神社の摂社の河合神社の由緒書によると、玉依媛命は神武天皇(初代天皇)の母ということになっている。そうなると、父は豊玉彦という海神だ。ちなみのこの系譜によると、姉は豊玉姫で、浦島太郎の話に出てくる竜宮の乙姫のことだ。
だが上賀茂神社の公式サイトには御祭神の賀茂別雷大神の母が賀茂玉依比売命で、祖父が賀茂建角身命と記されている。
それなら豊玉彦と賀茂建角身は同一神なのかというと、恐らく別の神だろう。ということは、河合神社と下鴨神社のタマヨリヒメは別の神ということになる。
こういう日本神話のややこしいところというか、何かを隠して誤魔化そうとしているところが僕はあまり好きではない。考えていると気持ちがモヤっとする。だからといって単純明快に嘘で塗り固められても腹が立つ。
神話の世界に深入りするのは嫌だから、先へ進む。
河合神社の「かわい」というのは川合のことで、川の合流点という意味だ。賀茂川と高野川が一つに合わさるこの地に相応しい神社名だと思う。
河合神社は延喜式に『鴨河合坐小社神社』という古い神社名で載っている。(河合神社由緒書より)
御祭神の玉依媛命は神武天皇の母とういことで日本建国に貢献し、内助の功により日本婦人の鑑として仰がれているそうだ。また、見目麗しいその御容貌により美人の神様として信仰されている。この日は市杵島比売命に次いで二柱目の美の女神様に参拝できた。これで少しは僕もイケメンになれるかな?
河合神社の境内には小さなお社がいくつかある。その中の一つの任部社という摂社が僕の小説『皐月物語』の登場人物の神谷秀真のお目当ての神社だ。
任部社の御祭神は八咫烏命。『新撰姓氏録』によると、八咫烏は賀茂建角身命の化身だという。
この賀茂建角身命は下鴨神社の西本殿に祀られている神様だ。つまり下鴨神社は八咫烏を祀る神社ということになる。
オカルト好きの神谷秀真は八咫烏に心魅かれている。それは八咫烏が日本サッカー協会のシンボルマークだという理由ではなく、都市伝説で「八咫烏」という秘密結社があると言われているからだ。
鴉の鳴き声は嘴太鴉なら「カー」で、嘴細鴉なら「ガー」。
漢字の鴉は「牙」という字が使われている。「牙」は音読みで「ガ」。つまりガ-と鳴く鳥が鴉だと漢字を作った人は考えたらしい。そんな法則で、九と鳴くから鳩、苗と鳴くから猫だとか。
でもね……『七つの子』という謎めいた童謡では、烏は「かわい」と鳴いているんだって。そう……河合神社の「かわい」とね。河合河合と啼くんだよ。
七つの子って何だろう? 鴉は7羽も子を産まないし、7歳の雛なんて有り得ない。
山の古巣って何だろう? 古巣とは元住んでいた所だから、『七つの子』の語り手はもう古巣にいないが、七つの子はまだ古巣にいるってこと?
『名探偵コナン』に出てくる黒の組織のボス、烏丸蓮耶のメールアドレスが携帯電話のボタンのプッシュ音で『七つの子』に聞こえるという。秘密結社、烏、七つの子……。
『七つの子』という動揺は想像力をかき立ててくれて、面白いね。
河合神社を出て、糺の森と呼ばれる参道を歩き、下鴨神社の本殿へと向かった。この季節の糺の森は葉が落ちて、寂しいものだった。
でもこれも四季折々、冬の風情だ。寂しくたっていいじゃないって納得。
糺の森を抜けると賀茂御祖神社(下鴨神社)の楼門が見えた。朱塗りの柱が雅だ。
楼門の手前に相生社という縁結びの霊験あらたかな社がある。自分はまあいいかな、と思ってスルーしてしまったが、『皐月物語』の中では女子児童たちにお参りをさせてあげないと可哀想だ。
下鴨神社は摂社末社が数多くある。全て参拝して、全て写真に収めたいところだったが、この旅は小学生の修学旅行のごっこみたいなものだから、全部パス。コース料理でメインの肉料理だけを食べている気分だ。
楼門をくぐり、舞殿の横を通って中門の中に入った。ここで下鴨神社の本殿に参拝できる。だがここでは前に来た時と同じ失望を味わった。
拝殿前には十二支を守る神々が祀られている言社がある。この領域の全てを覆うように鉄パイプで骨組みされ、天井には透明のビニールで屋根が張られていた。
これが世界遺産なのかと思った。どのような意図でこうしてテントを張っているのかはわからない。でも何か事情があるのだろう。僕はその理由を調べる気にもならなかった。
下鴨神社の本殿は二つある。西殿には賀茂建角身命が、東殿に玉依媛命が祀られている。
賀茂建角身命は別名で八咫烏鴨武角身命とも言う。下鴨神社は八咫烏神社だ。
ここでお参りをしていた僕は急に疲れが出てしまった。昼食前でお腹が空いてきたということもあるが、痛めていた足の調子が悪くなってきた。すぐに中門から外に出て、暖かい陽光を浴びた。
中門を出て左手には御手洗池と、井戸の上に立つ御手洗社がある。この一帯は拝殿前と違って、空が抜けていて気持ちがいい。
御手洗社は通称で、本当は井上社という。御祭神は瀬織津姫命。大祓詞という神道の祭祀に用いられる祝詞に出てくる神で、祓い浄めの女神だ。
瀬織津姫命は災難厄除けの神とされ、御手洗池では葵祭で斎王代の禊が行われる。バプテスマのように全身を水に沈める儀式ではないが、意味は同じだろう。
今思えば、僕もここで身を清めておけばよかったのかもしれない。体調が少し悪くなったのは、僕の何かが穢れていたためなのかもしれない。だが、あの時の僕は池まで下りて、手で水を掬う余裕もなかった。
下鴨神社の楼門を出て糺の森を歩き、鴨川デルタへ行って昼休みだ。ここから河岸まではおよそ 1.1km。実際に歩いたら10分ほどで着いた。今度は迷わずに、最短距離で行けた。
河合橋の手前で高野川の河岸に降りられる階段がある。そこから下りて河合橋をくぐり、鴨川デルタと呼ばれるところまでとぼとぼと歩いた。
鴨川デルタはドラマやアニメの聖地巡礼の地として有名だ。僕は『ドキュメント72時間』という番組で知り、一度行ってみたいと思っていた場所だ。
出町の飛び石を歩く前に、高台にある鴨川公園のベンチに座ってお昼ごはんを食べた。さっき買ったおにぎりと唐揚げとカレーパンだ。
体調を崩していたのでまるで食欲がなくなっていたが、この後でロキソニンを飲んでおこうと思っていたので、無理にでも食べた。食べればこの後の観光に必要な体力も湧いてくるだろう。
実際にここまで歩いてきて、体調を崩したり疲れたことは『皐月物語』を執筆するのにいい取材になった。皐月たちの担任の前島先生が懸念した通りになりそうだ。小学生の皐月たちは大丈夫かな? 子供は体力があるし、身体も軽いから案外大丈夫なのかもしれない。
出町の飛び石のいい写真を取ろうと思ったら賀茂大橋まで足を延ばさなければいけなかったようだ。まあ、写真だけならネットでいくらでも見られるからいいっちゃいいけど、ブログに載せる写真を撮るなら人の写真を勝手に使うわけにはいかない。
僕はここでまたしても大きな失敗をした。
今思えば少しだけ頑張って出町の飛び石を渡り、高野川の対岸から出町柳駅へ向かえば良かった。だが、あの時の僕は疲れていたので、つい最短距離の来た道を帰るという選択をしてしまった。
実につまらん! 皐月たちには絶対に飛び石を渡って駅へ行かせてあげようと思う。
次は出町柳駅から伏見稲荷大社を参拝する行程を書くつもりです。