修学旅行の予習 八坂神社の由緒(皐月物語 127.2)
修学旅行の前日、6年4組では児童たちが修学旅行行動班ごとに固まって、最後の打ち合わせが行われていた。各班は初日の京都旅行の訪問先の情報収集を行っていた。
皐月たちの班は最初の訪問地の清水寺の起源を調べ終え、これから次の訪問地の八坂神社について調べるところだ。
班長は文学少女の吉口千由紀だが、この打ち合わせではオカルト好きの神谷秀真と藤城皐月が中心になって行われている。
他のメンバーは鉄道オタクの岩原比呂志、仏像好きの二橋絵梨花、学校で一番勉強のできる栗林真理の3人で、みんな向学心が高い。
皐月たちの班全員が自分の Chromebook で八坂神社の公式サイトと Wikipedia を開いている。
事前学習に備え、神谷秀真はあらかじめ家で下調べをしていた。この時間は秀真によって八坂神社の起源に関する知識の共有が進められることになる。
「もっとも尊重すべきは八坂神社の公式サイトの情報だと思うけど、これがちょっと問題があって……」
口ごもる秀真に促されて八坂神社の歴史のページを見ると、創祀については諸説あり、社伝としては2つの説が伝わっているという。
1 渡来人が神様をお祀りしたのがはじまり
2 お坊さんがお堂を建立したのがはじまり
「説が二つあったら、どっちかが嘘か、両方が嘘じゃん」
真っ先に突っ込みを入れたのは真理だった。
「そうなんだけどさ、八坂神社って複数の神社の集合体だから、両方とも正しいっていうこともあるよね。まあ、気分はすっきりとはしないけど」
皐月も真っ先に真理と同じことを考えた。でも境内社がたくさんあるので、境内社の数だけ由緒があるとも考えられる。
公式サイトの渡来人が神様をお祀りしたという話は、斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した伊利之が新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を当地(山城国愛宕郡八坂郷)に奉斎したことにはじまる、とある。
「素戔嗚尊って新羅の神様?」
「いや、日本の神様だよ」
「でも伊利之って外国人だよね?」
「うん、渡来人だから」
「じゃあ、どうして素戔嗚尊が新羅にいたの?」
「天から追放されて、新羅の曽尸茂梨ってところにいたことがあるんだって」
秀真の説明を聞いていた真理は露骨にげんなりとした顔をした。これは皐月も同感で、神社の由緒や神話のことを調べていると、糸が絡まったように事情が複雑で、考えるのが嫌になる。
公式サイトのお坊さんがお堂を建立したという話は、貞観18年(876)南都の僧・円如が当地にお堂を建立し、同じ年に天神(祇園神)が東山の麓、祇園林に降り立ったことにはじまる、とある。
「お坊さんがお堂を建てたって、それじゃお寺でしょ?」
「まあ、そうだね。平安時代は神道と仏教がごっちゃになってたからね。明治時代に神道と仏教がまた分かれたんだけど」
「ややこしい……。くっついたり離れたり、もう訳わかんない」
真理の機嫌が悪くなってきた。秀真が悪いわけじゃないのに、秀真から覇気が消えた。
「とりあえずさ、八坂神社の創建は飛鳥時代ってことでいいんじゃない? 公式でもそう書いてあるんだし」
皐月は強引に結論に持っていった。ウィキペディアには伊利之による創建説は現存する歴史資料からは根拠に乏しいと書かれている。それでも公式の見解を尊重して、二つの説の古い方を頭に入れて八坂神社に訪れたいと思った。
「神谷さん。八坂神社の御祭神についてなんだけど、聞いてもいい?」
「うん、わかる範囲で答える」
絵梨花は八坂神社の祭神に興味を示したようだ。これは皐月も事前に調べたことがあるが、ややこしい話で、いまだによくわかっていない。
「ウィキでは明治時代の神仏分離以前の主祭神が牛頭天王になってるよね。でも、もう少し読み進めると、祭神は当初は『祇園天神』または『天神』とだけ呼称されていたって書いてある。天神ってどんな神様なの?」
「天神か~。天神っていろいろ意味があるんだけど、この時代だと天津神って意味かな」
日本神話に登場する神は二系統に分類できる。一つは天津神で、もう一つは国津神という。
天津神は高天原にいる神々、または高天原から天降った神々の総称。倭王権の皇族や有力な氏族が信仰していた神が天津神。漢字で天津神を天神と言う。
国津神は地(葦原中国)に現れた神々の総称。蝦夷、隼人など倭王権によって平定された地域の人々が信仰していた神が国津神。漢字で国津神を地祇と言う。
「それで、八坂神社の御祭神の素戔嗚尊は天神なの?」
「素戔嗚尊は高天原の神だから天津神なんだけど、高天原から追放されたから国津神になったんだよね……」
皐月は素戔嗚尊のことを天津神だと思っていたので、秀真の説明に驚いた。皐月の関心は素戔嗚尊と牛頭天王の方に向いていて、天神はノーマークだった。
「牛頭天王は天神?」
「いや、違う。牛頭天王は祇園精舎の守護神。インドの神様ってことなんだけど、実際はどうなのかよくわかっていないらしい。祇園精舎の守護神だから祇園天神って呼ばれるようになったみたいだけど」
「じゃあ、天神って何なんだろう……」
「わかんない……」
「天神は主祭神の素戔嗚尊や、かつての主祭神だった牛頭天王とは違う神様ってことになりそうだね」
秀真も絵梨花も黙り込んでしまった。皐月も何が何だか分からなくなった。そんな中、比呂志が疑問を投げかけてきた。
「そもそも、ここで言っている神って本当に神様のこと? それとも神と崇められていた人のこと? 今って何かに秀でている人のことを神って言うよね。昔もそうだったのかな?」
比呂志の疑問は信仰の根幹に関わることだ。神を神と信じるかどうかの話になる。
「たぶん人のことだろうね。私には神話が神様の話とは思えない。変な神ばっかりだし」
千由紀は信仰から距離を置くタイプのようだ。
「天津神って宇宙人のことじゃない?」
真理は少しふざけ気味に深刻になった場を和ませようとした。皐月の影響で真理には宇宙人の話には免疫がある。幼馴染の真理と皐月は、親が仕事から帰ってくるまでの暇つぶしに色々なことを話してきた。こういうオカルトの話は皐月が好きで、よく真理に聞いてもらっていた。
次の訪問地の事前学習のこともあるので、八坂神社のことはこの辺りで打ち切らなければならない。皐月は秀真に代わって強引にまとめることにした。
「八坂神社の創建は飛鳥時代で、祀られている神様は素戔嗚尊。公式サイトの見解に沿って覚えておけばいいんじゃないかな。疑問はいろいろあると思うけど、そういうのは謎として残しておいてもいいと思う」
無難にまとめたな、と皐月はあまり面白くなかった。謎を謎として残しておいても気持ち悪いだけだ。完全に不完全燃焼だが、時間がないから仕方がない。
これで八坂神社の予習は終わった。調べれば調べるほど興味深いということは、ここにいる6人全員が感じていた。もっと調べたい気持ちを抑えながら、皐月たちは次の訪問地のことを調べ始めた。