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彼女の友だち(皐月物語 158)

 及川祐希おいかわゆうき藤城皐月ふじしろさつき入屋千智いりやちさとを連れて商業科の3年生の模擬店を出て、商業科全学年が合同で運営しているセレクトショップへ向かった。
「祐希さん。卵料理の店には行かないの?」
 祐希の隣を歩いている千智が不安気な顔をしていた。
「そこに行く前に友だちを一人連れて行きたいんだけど、いいかな?」
「それはいいですけど、なんだか混んできたし、卵料理の店に入れるかな……」
「大丈夫だよ。席はたくさんあるから。千智ちゃんは心配性だね」
 皐月は祐希の言う友だちが誰なのかが気になっていた。普通に考えれば、祐希の親友の黒田美紅くろだみくだが、今の祐希のおかしな様子だと恋人の竹下蓮たけしたれんに会わせようとしているのかもしれない。
 できれば蓮と会いたくない。皐月は蓮のことを祐希のキスの癖や反応を通して、知りたくないことだけを知っている。だが、それ以上のことは知りたくはない。蓮の姿を見てしまうと、彼の残像が自分を苦しめるに違いないからだ。
 皐月は祐希も千智を見て苦しんでいるのかもしれないと思っていた。だが祐希を見ていると、千智と二人でいても楽しそうに見える。皐月には祐希が内心どう思っているのか、さっぱりわからない。

 商業科の運営する奥三河のセレクトショップは校門に近い体育館の中にある。ここでは地元企業の名産品以外にも、農業科で育てた野菜、動物科学科で作られた卵や乳製品や加工肉、森林科で製造した家具などが販売されている。
 館内はおおぜいの地元の人で賑わっていた。皐月は祐希と千智からそっと離れて、一人で名産品や工芸品を見ていようと思った。祐希は千智とばかり話しているので、自分なんかいなくてもいいんじゃないか、と卑屈になっていたからだ。
 大人に交じって館内を見てまわっていると、豊川の店では見たことも聞いたこともない物がたくさんあった。鳳来の和紅茶や新城茶、苺やトマトの寒天など、珍しい食料品が取り揃えられていた。すぐに食べられるものでは猪肉のコロッケに食欲をそそられた。

 皐月が天然石のブースで新城の山で採れたアメジストクラスターと水晶さざれで作られたボトリウムを見ていると、背後から声を掛けられた。
「皐月」
 振り向くと、祐希の隣には写真で見覚えのある、ふくよかな女子高生が立っていた。
「紹介するね。この子が黒田美紅」
 美紅は写真よりもかわいくて、頬がほんのりピンクに上気していた。
「はじめまして、皐月君。君のことは祐希からいつも自慢されてたから、よく知ってるよ」
「自慢?」
 機嫌が悪かったので、怪訝な顔で祐希を見た。
「ちょっと、美紅。やめてよ!」
 祐希は慌てているようだが、皐月には嫌がっている感じには見えなかった。さっきまでの自分への冷たい態度とはまるで違う、見苦しい媚態だ。皐月はこういう女を身近で何人も見ている。
「はじめまして、藤城です。黒田さんが高校で一番仲のいい友だちだと聞いています。一度お会いしたいと思っていました」
 美紅が蓮ではなく、皐月はひとまず安心した。相手が美紅なら、緊張も警戒もしなくてすむ。
「祐希の話だと、皐月君はいたずらっ子のイメージだったけど、こうして会ってみると、すごく大人びた子なんだなね」
 皐月は美紅から祐希へ視線を移した。今までの経緯から、皐月は作り笑顔をする気にもなれなかった。
「祐希って俺のこと、どんな風に話してんの?」
「どんな風って、ありのままだよ」
「ありのままか……。ありのままは恥ずかしいな。ちょっとくらいいい感じに話してもらえると、ありがたいんだけど」
 美紅がいるので、皐月はがんばって笑顔をつくり、柔らかい口調で話すようにした。そのせいか、祐希も無理めの笑顔になった。

 動物科学科の卵料理の立て看板には『桜淵亭』と書かれている。動物科学科では毎年この店名で模擬店を出しているらしい。調理には他の学科の料理部生徒も参加している。
「ここの『たまごごはん』が美味しいんだよ。一般客の中には、毎年これを目当てに食べに来る人がいるんだって。去年、美紅と一緒に食べたよね?」
「うん、美味しかったね。でも、今年は料理部の1年生に料理好きの子が入ってきたから、オムレツが絶品なんだって。昨日食べた子たちの間で噂になってたよ」
 桜斑高校の文化祭は二日制で、金曜日の初日は学校内だけの文化祭だ。初日は部活やクラスの発表よりも、部活やクラスの垣根を超えた有志によるパフォーマンスの方に重点が置かれている。生徒だけの文化祭の方が盛り上がって面白い、と祐希が言っていた。

 桜淵亭の店内は地元の老若男女で賑わっていた。皐月の想像以上にテーブルが用意されていたので、並ぶことなく席に着くことができた。
「何食べようかな……。私は去年食べた『たまごごはん』にするけど、美紅はオムレツ?」
「うん。評判がいいみたいだから、食べてみる。皐月君はどうする?」
「う~ん。この『白いオムレツ』ってのが気になるな……。俺はこれにする。千智は?」
「私はたまごサンドがいい。サンドイッチではたまごサンドが一番好きだから、コンビニでは絶対にたまごサンドしか買わないの」
「あっ、俺も同じだ。たまごサンドってシンプルで美味いよね」
 皐月の幼馴染の栗林真理くりばやしまりはサンドイッチが好きだと言っていた。真理は受験勉強をしながら食事がとれるのがいいと言い、サンドイッチを好んで食べている。千智も中学受験をするので、真理のように勉強しながら食事をとっているのだろうか。
「千智。『たまごサンド』と『白いオムレツ』、シェアしない?」
「いいよ。私も『白いオムレツ』、気になってた」
 皐月と千智が話しているところを、祐希と美紅がじっと見ていた。二人とも何かを思いながら見ているような気がして、皐月は居心地が悪かった。

 ホール担当の女の子が注文を取りに来た。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」
『たまごごはん』と『たまごサンド』。あと『オムレツ』と『白いオムレツ』をお願いします」
 注文を伝えた祐希は彼女に何の反応も示さなかった。注文取りの子は学年が違って知らない子なのかもしれない。皐月は聞きたいことがあったので、自分で注文を伝えるつもりでいた。
「かしこまりました。『たまごごはん』、『たまごサンド』、『オムレツ』、『白いオムレツ』ですね。少々お待ちください」
「あの、すみません」
「はい?」
 注文取りの子はキッチンに戻ろうとしたところで声を掛けられ、意表を突かれたように皐月を見た。
「この『白いオムレツ』って、白身だけでオムレツを作るんですか?」
「いえ、黄身の白い卵で作るんですよ。鶏の餌をトウモロコシの替わりにお米にすると、黄身の色が白っぽくなるんです」
「へぇ~。餌がお米だと黄身も白くなるんだ。じゃあ見た目は白くても、普通のオムレツと同じ味なんですね」
「うちの学校は餌がいいから、スーパーの卵で作ったオムレツよりも美味しいですよ」
「ホント!? 楽しみだな。ありがとうございます」
 彼女は戻る時に転びそうになった。持ち場に戻ると仲間たちにからかわれていた。
「今の子、皐月君のこと気に入ったみたいだね」
「どうしてわかるの? 美紅」
「祐希にはわからないんだ」
 祐希は美紅の言うことがピンときていないようだったが、千智はなんとなく納得しているように見えた。皐月はこういう感覚が祐希と合わないところだと思った。

 皐月と千智は祐希と美紅が学校での内輪話をしているのを聞いていた。美紅は皐月たちに気を配って、会話に参加できるように話しかけてくれが、祐希は千智には話しかけても、皐月のことは相手にしようとしなかった。
 最初に来た料理は千智のたまごサンドだった。千智は卵が卵焼きだったことに驚いていた。サンドされた卵は分厚くて、フワフワに見えた。
 千智がサンドイッチに手を付けずに待っていると、オムレツやたまごごはんを女子たちが手分けして持ってきた。皐月の白いオムレツはさっきの女の子だ。
「凄い! 本当に真っ白のオムレツだ」
「面白いでしょ。料理部ではホワイトエッグを使ったレシピをいろいろ考えてるの」
「お姉さんは料理部だったんですか?」
「そうだよ。料理が上手になりたくて、料理部に入ったの」
「いいな~。料理部なら放課後は料理食べ放題ですね」
「部活で満腹になったら、家で晩ご飯が食べられなくなっちゃうよ~」
 皐月とホール担当の子が笑って話していると、祐希はすでにたまごごはんを食べ始めていた。先に食うのかと思ったが、祐希が美味しそうに食べているのを見ると、たまごごはんがどんなものなのか気になった。
 祐希のたまごごはんは刻み海苔の振りかけられたご飯の上に、トロトロのスクランブルエッグが乗っていた。出汁の風味と生姜の香りに食欲をそそられる。皐月も早く自分のオムレツが食べたくなり、祐希のことを気にしないようにした。

 白いオムレツは色も形もきれいだった。スプーンでつついてみると、ふわっと柔らかい。もったいないと思いながらスプーンを入れると、中からトロッと半熟の卵が出てきた。色はもちろん白だった。
「千智、食べてみる?」
「皐月君が先に食べてよ」
「俺は後でいいよ。このスプーン、まだ口をつけていないから遠慮しないで」
「じゃあ、いただきます」
 スプーンに乗った白いオムレツを食べると、千智は目を見開いて「ん~」と言った。
「美味しい! 味はレストランのオムレツだ」
「ホント? 俺も食べる」
 千智からスプーンを受け取り、柔らかいところを掬って口に運ぶと、バターの風味が豊かな高級な味がした。
「本当に美味しいね。家で食べるオムレツと全然違う」
 千智の顔を見ると顔を赤くしていた。スプーンで間接キスになったことが恥ずかしかったのだろう。皐月も同じことを意識していたので、すぐにわかった。
「皐月君。私のサンドイッチも食べてみて」
「うん。でも、どうやって食べようかな……。分厚くて柔らかいから難しいな」
「そのまま食べてよ」
「ん。わかった」
 たまごサンドは端の方までしっかりとたまごが挟まれていた。大きく口を開けてかぶりつくと、卵焼きは甘めの味付けで美味しく、パンにマヨネーズが塗ってありコクがあった。
「うんまっ! これ、めっちゃ美味しいじゃん。千智も食べてみてよ」
「うん……」
 千智は皐月がかぶりついたところから食べた。また間接キスになったが、今度は順序が逆だ。千智が食べているところを見ると、皐月は柄にもなく恥ずかしくなってしまった。
「美味しいね」
 照れながら笑う千智は誰よりもかわいかった。こうして二人で並んで座り、食べ物を分け合っているとデートをしているみたいだ。嬉しそうに笑う千智を見ていると、一緒にいるだけでも幸せな気持ちになる。

 祐希と美紅は皐月たちに構わずに二人で話をしながら食事をしていた。祐希たちは自分たちの邪魔をしないように配慮しているのか、それとも除け者にしているのか。皐月にはその判断がつかなかった。
「ねえ、千智。食事が終わったら『ふれあい動物園』に行ってみない? なんだか動物を触りたい気分なんだ」
「いいよ。私、モルモットとかハムスターとか触ってみたいな。いつか飼ってみたいって思ってるの」
 皐月は早く千智と二人になりたいと思っていた。今日の祐希は一緒にいても全然楽しくない。昨日の夜のことを考えると信じられないくらいだ。
「ねえ、千智ちゃん。一緒にバンドを見に行こうよ。私の友だちが出るの」
 千智は困惑していた。皐月も二人で動物を見に行く話をしているところに割り込んでくる祐希の神経が理解できなかった。祐希は食事が終われば持ち場に戻るんじゃないかと思っていた。
「私、祐希さんの友だちのこと、知らないから……」
「だから紹介したいなって思って。みんなカッコいいよ」
「男の人ですか? 私、そういうの興味ないから」
 千智の強い態度に祐希がうろたえていた。祐希はミスを取り返すように優しく事情を話して、説得しようとしていた。
「どういうこと?」
 皐月は向かいにいる美紅に聞いてみた」
「祐希の恋人がバンドにいるの。見せびらかしたいんだろうね」
「ふうん……」
 皐月は残っているオムレツを早食いして完食した。千智のサンドイッチはまだ少し残っていた。
「千智ちゃん。祐希は千智ちゃんに彼氏を見てもらいたいの。祐希が友だちとか言うから、話がややこしくなっちゃて……」
「そうだったんですか……。皐月君、どうする?」
「俺はパス。バンドも祐希の彼氏も興味ない。千智が行きたかったら行ってきてもいいよ。俺は動物と遊んでいるから、後で合流しよう」
 祐希の様子がおかしかったのが恋人がらみだということは皐月にもなんとなく察しがついていた。だが、祐希と蓮の間になにが起こっているのかはわからない。知りたいとも思わないから、早く祐希から離れたい。
「ごめんね、千智ちゃん。蓮君を見てもらいたいって言うのが恥ずかしくて……」
「そういうことならお付き合いします。祐希さんの好きな人なら見てみたい」
 千智は祐希との今までのメッセージのやりとりで恋人がいることを知っているようで、蓮という名前を言われても普通に対応していた。
「ありがとう。よかった~。じゃあ、演奏が終わった後、蓮君に会ってもらいたいな」
「ごめんなさい。そこまではちょっと……。私、男の人って苦手だから」
「あっ、そうだったね。ごめん」
 皐月は祐希が蓮の話をしているのを聞いても、思っていたよりも心がざわつかなかった。それはきっとこの場に千智がいるからだろう。
 複数の女子と一緒にいると、どうしても差がはっきりとする。皐月にとって大切な女性は体を合わせた祐希よりもプラトニックな千智だ。千智と一緒にいる限り、祐希に恋人がいようが気にならないのは新たな発見だ。
「皐月君。私も動物と触れ合いたいから、私が戻るまで他のところを見てもらっててもいい?」
「ああ……そっか。千智だって動物と遊びたいよね。わかった。じゃあ、他のところを見てるよ」
 皐月に行くあてはなかった。文化祭にはいろいろな出し物があるが、小学生が一人で知らない高校の中を見てまわるのはなんとなく気が引ける。
「皐月君には私がついてるから、祐希、バンドが終わったらすぐに千智ちゃんのこと返してあげてね」
「わかってるよ、美紅。皐月のこと、よろしくね」
 美紅の声が少し上ずっていた。緊張してるんだな、と思った。皐月は美紅が自分のファンだということを知っている。美紅のことをかわいいな、と思った。

 皐月たち四人は桜淵亭を出た。祐希は千智を連れて体育館へ行き、皐月は美紅とこれからどこに行こうか話し合った。
「皐月君。さっきのオムレツで足りた?」
 美紅が恥ずかしそうに聞いてきた。二人きりになると美紅が急に緊張し始めたようで、声が少し震えていた。
「全然。オムライスにしておけば良かったかなって思ってる」
「私もまだおなか空いてる。じゃあ、もう少し何か食べない?」
「食べたい。でも、甘い物は嫌だな……。塩気のあるものがいいな。どこかでここみたいにお店を出しているところってあるのかな?」
 美紅は少しふくよかな体型をしている。その見た目に甘えてしまい、話す言葉がついタメ口になってしまった。だが、美紅に嫌がっている様子はなかったので、このまま話し方を変えないでいようと思った。皐月は美紅の勧めるものなら何でも食べてみたくなった。
「焼きそばとかどう?」
 紙の校内マップを見ながら美紅が言った。皐月と千智が持っている校内マップはこのプリントを写真で写したものだ。美紅に顔を寄せて、プリントに目を落とした。
「焼きそば食べたい! ソース味、大好き」
 美紅は皐月と同じくらいの背の高さだった。美紅の方を見ると、顔の近さが祐希や千智よりも近い。
「焼きそばの店は普通科の2年生が店を出しているね。ちょっと待つかもしれないけど、行ってみようか」
「行こう行こう。俺、一人で校舎の中に入るの嫌だったから、美紅さんが一緒に行ってくれて、ホント嬉しい」
「私も皐月君と一緒に歩けて嬉しい。……私、皐月君のファンなんだ」
 美紅が急に顔を赤くして、モジモジし始めた。これは皐月のクラスの月花博紀げっかひろきに群がるファンクラブの女子と同じ反応だ。
「知ってるよ。ありがとう。美紅さんは数少ない俺のファンだってね。博紀より俺のファンになってくれて嬉しいな」
「えっ? 皐月君のファンって多いよ。博紀君と半々くらいじゃないかな?」
 皐月が祐希から聞いていた話は嘘だった。祐希の意図はわからないが、美紅のおかげでもっと自分に自信を持ってもいいことがわかった。


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音彌
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