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修学旅行の予習 伏見稲荷大社(皐月物語 127.4)

 修学旅行の前日、6年4組では児童たちが修学旅行行動班ごとに固まって、最後の打ち合わせが行われていた。各班は初日の京都旅行の訪問先の情報収集を行っていた。
 皐月たちの班は訪問先の清水寺と八坂神社、下鴨神社の起源を調べ終え、これから次の訪問地の伏見稲荷大社について調べるところだ。密度の濃い時間を過ごしてきて、みんなに少し疲れが見えてきた。
 班長は文学少女の吉口千由紀よしぐちちゆきだが、この打ち合わせではオカルト好きの神谷秀真かみやしゅうま藤城皐月ふじしろさつきが中心になって行われている。
 他のメンバーは鉄道オタクの岩原比呂志いわはらひろし、歴史好きの二橋絵梨花にはしえりか、学力が学年一位の栗林真理くりばやしまりの3人。皐月たちの班の6人はみんな向学心が高い。
 皐月たちの班全員が自分の Chromebook で伏見稲荷大社の公式サイトと Wikipedia を開いている。
 事前学習に備え、神谷秀真はあらかじめ家で下調べをしていた。この時間は秀真によって伏見稲荷大社の起源に関する知識の共有が進められることになる。

「伏見稲荷大社の起源ははっきりとしているみたいだから、確認はあっさりと終わりそうだね」
 秀真は晴れやかな顔をしていた。清水寺、八坂神社、下鴨神社の起源はどれも一筋縄では行かなかった。秀真の話しぶりでは、伏見稲荷大社は前の三社ほど手強くなさそうだ。

「創建は西暦711年、秦伊侶巨はたのいろこによって、稲荷大神を稲荷山に祀ったことが始まりだと、『稲荷社神主家大西(秦)氏系図』に書いてある」
 秀真は伏見稲荷大社の公式サイトで、「伊奈利社創祀前史」の当該箇所を示した。

「711年って『なんと立派な平城京』の次の年だね。じゃあ奈良2年だ!」
「アホか、真理。奈良なんて元号があるか。この年は和銅4年だ」
「知ってるよ、そんなの。今は元号=時代だから、冗談で言っただけなのに。それに和同開珎わどうかいちんが作られた年が和銅元年の708年だから、711年が和銅4年くらい、計算したから分かってたよ」
 稲荷小学校で一番勉強のできる真理をアホ呼ばわりできるのは幼馴染の皐月だけだ。真理が受験勉強をするまでは皐月の方が勉強ができた。真理にはもう、利発だった皐月に羨望の目を向けていた頃の面影はなかった。
「年号を覚えているのはわかるけどさ。お前、元号なんかよく覚えてたな」
「だって和同開珎なのに和銅なんてややこしいじゃない。ドウの字が違うんだよ。それで印象に残ってただけ」
 歴史の年号を覚えるのは皐月も得意だが、こんな細かい所まで覚えている真理には舌を巻いた。

「秦伊侶巨って可愛い名前だね」
伊呂具いろぐともいうみたいよ。どっちの名前も意味がわからないね」
 真理と千由紀が無邪気に笑っていると、絵梨花がウィキペディアを見ながら言った。
「秦伊侶巨のお父さんは久治良くじらっていうみたいだよ」
「鯨! 日本史に出てくる人って入鹿いるかとか、海の生き物の名前を付けがちだね」
「アホか、真理。二人しかいないじゃん」
「わかってるよ、そんなの。あんた、今日はノリが悪いね?」
 こういう下らない話はいつも皐月が言い、真理が突っ込んでいた。だが、この日は立場が逆転していた。いつもの皐月なら「まぐろはいねーのか!」くらいは言っていたのに、濃密な勉強で疲れ始めていたせいで切れが悪かった。

 千由紀がウィキペディアの『稲荷社神主家大西(秦)氏系図』を見て話し始めた。
「ねえ、この久治良って人なんだけど、『賀茂建角身命かもたけつぬみのみこと二十四世賀茂県主かもあがたぬし』って書いてあるから、賀茂氏だよね? 賀茂建角身命は下鴨神社の神様だし」
 漢字が多くて読みにくい文章だが、千由紀の言う通り、確かに久治良は秦久治良じゃなくて賀茂県主久治良だ。
「秦伊侶巨は賀茂久治良の末子って書いてあるから、本当は賀茂伊侶巨なんだと思う。伊侶巨は秦家に婿入りしたのかな? 末っ子だし」
「賀茂久治良が秦氏と婚姻関係があったなら、伊侶巨の血の半分は秦氏だから、秦を名乗ってもおかしくないんじゃない?」
 ウィキペディアの引用を補完する説明が公式サイトの「伊奈利社ご鎮座説話」にも書かれている。そこにもはっきりと伊呂巨が賀茂県主の子孫と書かれている。
「伏見稲荷って秦氏が作った神社だと思ってたけど、本当は賀茂氏が作った神社なのかもしれないな。あるいは賀茂氏と秦氏の共同作業か……」
 秀真が誰に言うともなくつぶやいた。

 下鴨神社の下調べの時と同様に、ここでも無言で何かを調べていた絵梨花が有力な情報を見つけたようだ。
「興味深いものを見つけたよ。賀茂県主同族会っていうのが現代にもあって、同族会がウェブサイトを開いているの。そこに『賀茂県主の原像』っていうPDFファイルがあるんだけど、ちょっと見てほしい」

 絵梨花は開いたファイルの「第三章 神官職の継承と族長権の所在」をみんなに見せた。そこには「カモ社の神官継承表」があり、第6世代の神官として久治良の名前が書かれていた。
「伊侶巨が賀茂神社の神官の末っ子なら、秦氏を名乗っていても血筋は賀茂氏だよね。伏見稲荷大社は秦氏の神社と言われているけれど、神谷さんの言う通り、実は下鴨神社のような賀茂氏の神社なのかもしれないね」

 伏見稲荷大社の公式サイトには他にも興味深い話がたくさん載せられていた。知的好奇心の旺盛な皐月たち一同はもっと深く学びたいと思い始めていたが、修学旅行前の事前学習の時間には限りがある。まだ調べなければならないことが残っている。
「じゃあ、伏見稲荷大社の創建は平城京ができて2年目ってことを確認できた。とりあえず予習はここで打ち切ろう。これ以上深入りすると、起源を調べるっていう趣旨から外れちゃうから」
 秀真の提案で伏見稲荷大社の予習は終わった。調べれば調べるほど興味深いということは、ここにいる6人全員が感じていた。もっと調べたい気持ちを抑えながら、皐月たちは次の訪問地のことを調べ始めた。


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