修学旅行の予習 下鴨神社の由緒(皐月物語 127.3)
修学旅行の前日、6年4組では児童たちが修学旅行行動班ごとに固まって、最後の打ち合わせが行われていた。各班は初日の京都旅行の訪問先の情報収集を行っていた。
皐月たちの班は訪問先の清水寺と八坂神社の起源を調べ終え、これから次の訪問地の下鴨神社について調べるところだ。
班長は文学少女の吉口千由紀だが、この打ち合わせではオカルト好きの神谷秀真と藤城皐月が中心になって行われている。
他のメンバーは鉄道オタクの岩原比呂志、歴史好きの二橋絵梨花、学力が学年一位の栗林真理の3人。皐月たちの班の6人はみんな向学心が高い。
皐月たちの班全員が自分の Chromebook で下鴨神社の公式サイトと Wikipedia を開いている。
事前学習に備え、神谷秀真はあらかじめ家で下調べをしていた。この時間は秀真によって下鴨神社の起源に関する知識の共有が進められることになる。
「賀茂御祖神社なんだけど、言いにくいから通称の下鴨神社って言わせてね。下鴨の方が言いやすくて……」
確かに秀真の言う通り、賀茂御祖神社と発音するよりも下鴨の方が言いやすい。
「で、下鴨神社ができたのはいつかっていうと、公式では紀元前90年にはすでに祀られてたって書かれている。弥生時代だよ? 凄くない?」
公式サイトの創祀の説明を見ると、「崇神天皇の7年(BC90)に神社の瑞垣の修造がおこなわれたという記録があるため、それ以前の古い時代からお祀りされていたと考えられます」と書かれている。
瑞垣は玉垣ともいい、神社などの周囲に設けた垣根のことだ。神社だけでなく、神霊の宿ると考えられた山・森・木などの周囲に巡らした垣も瑞垣だ。
「俺たちの家の近くの神社って、なぜか瑞垣がないんだよな……」
皐月たちの家の近くの豊川進雄神社、素盞鳴神社、稲田神社、秋葉神社、熊野神社には簡易な塀や柵はあっても、瑞垣(玉垣)と呼べるような垣根はない。
「それでね、瑞垣の修理をしたっていうことは、その頃にはそれなりの神社があったってことだと思うんだよね」
「じゃあ最初の下鴨神社って、建物とか今の下鴨神社とは全然違うのかな?」
下鴨神社の画像を見ていた栗林真理が秀真に疑問をぶつけた。真理が見ていたのは丹塗りの柱で造られた楼門と瑞垣の写真だ。
「資料が残っていないからわからないけど、全然違うと思うよ。弥生時代に今の下鴨神社のような建築ができるわけないから。で、参考になりそうなのが旧約聖書に出てくる幕屋なんだけど……ちょっと画像を出すね」
秀真はグーグルで「幕屋」の画像検索をした。そこには古代の工事現場みたいな写真が多数掲載されている。
「幕屋って何?」
「幕屋はね、古代イスラエルの移動式神殿のことだよ。幕屋の構造って神社と似ているんだ。昔の神社は聖書に出てくる幕屋のようなものだったのかもしれないね」
神社と幕屋はそれぞれ垣根で囲った中を聖域として、その中に神社なら「拝殿」と「本殿」、幕屋なら「聖所」と「至聖所」がある。それらの配置や機能も良く似ている。
「神社と聖書って関係があるの?」
吉口千由紀が神道とユダヤ教の関連性に興味を持ったようだ。
「関係はある……と思っている。神社の原型は幕屋だと思う」
4時間目が終わるまでに打ち合わせを終わらせなければならないので、秀真はまだ話したいことがたくさんあったけれど、我慢した。
「神谷氏、下鴨神社のウィキペディアには『社伝では、神武天皇の御代に御蔭山に祭神が降臨したという』って書いてあるけど、これってどういうこと?」
岩原比呂志から難しいところを聞かれて、秀真と皐月は少し焦った。これは秀真と皐月も困っていたところで、ウィキペディアに書かれた社伝が何なのか、調べてもよくわからなかった。
「御蔭山っていうのは京都市左京区にある小さな山のことで、御生山ともいうんだ。ここに下鴨神社の境外摂社の御蔭神社があって、御蔭神社は下鴨神社の奥宮で----」
「ちょっと待って、神谷氏。何言ってんのかわかんない」
「えっ? なんで?」
秀真の悪い癖が出た。自分の好きなことになると相手の知識のレベルを考えないで、言いたいことを捲し立ててしまう。女子には引かれると言うことを秀真はこれまでの経験で学んでいたが、相手が比呂志だから気が緩んだのかもしれない。
「あのね、下鴨神社のウィキに書いてあるんだけど、御蔭神社っていうのは下鴨神社に関係のある神社のことでさ、境外摂社っていうのは下鴨神社の敷地の外にある関連神社のことなんだ」
「ありがとう、藤城氏。で、奥宮って何?」
「奥宮っていうのはね、同じ神様を祀った神社で、本殿よりも山奥とかにある神社のこと。よくあるパターンだと、最初に山の頂上に祠を建てたんだけど、参拝に不便だから、里に同じ神様を祀った神社を造っちゃって、こっちの神社にお参りしよう、みたいな感じ」
「ふ~ん。じゃあ、下鴨神社って御蔭山にあった御蔭神社が里に下りてきたってこと?」
「まあ、そう言ってもいいんじゃないかな」
この判断で間違いないんじゃないか、と下鴨神社と御蔭神社の関係をよく調べていなかったが、皐月は自分の勘を信じることにした。
無言で何かを調べていた二橋絵梨花が有力な情報を見つけたようだ。
「御蔭神社の起源なんだけど、神社にある立札の画像があってね、そこに凄いことが書いてあったから、みんなも見て」
絵梨花の見つけた制札板の画像には御蔭神社に伝わる御生神事のことが書かれていた。その情報によると、御生神事は第2代天皇の綏靖天皇の御世(BC581)に始まるとあった。
「うわっ! めっちゃ古っ! これって何時代?」
「弥生時代が紀元前10世紀から紀元後3世紀中頃までだから、弥生時代だね」
皐月は弥生時代の期間のことをよく知らなかった。学校で教わった記憶がなかったからだ。絵梨花は歴史のことをよく勉強している。
「わかった。じゃあ下鴨神社のウィキペディアにあった社伝ってのは、この御蔭神社に伝わる話のことだね。納得」
「じゃあ、下鴨神社の起源をまとめるね」
皐月は秀真の代わりに、これまでの情報をまとめる役を買って出た。
「下鴨神社の起源はウィキにあるとおり、神武天皇の御代に御蔭山から始まった。その根拠は下鴨神社の奥宮の御蔭神社で紀元前581年に御生神事が行われていたこと」
「神武天皇ってどんな天皇だっけ?」
「神武天皇は初代天皇で、即位したのは紀元前660年。下鴨神社も御蔭山も、祀られているのは神武天皇のお母さんの玉依姫命と賀茂建角身命という玉依姫のお父さん。神武天皇のおじいさんになるわけだな」
このあたりの事情はちょっとややこしい話なので、授業の時間を考慮して割愛した。
「で、下鴨神社の公式にあるように、紀元前90年に神社の瑞垣を修理したから、それより前には今の場所に下鴨神社があったってことだろうね」
皐月は起源を調べていて、八坂神社よりも下鴨神社の方が感覚的にすっきりしている感じがした。だが、神秘的なのは下鴨神社だ。あまりにも古過ぎる。
平安京以前の京都のことを皐月はよく知らない。大和政権の支配下にあったことはわかるが、それ以前はどうなっていただろうか。八坂神社を調べていた時は渡来人がやって来たことがわかった。賀茂御祖神社の祀られている賀茂建角身命は賀茂氏の始祖だ。
「秀真、賀茂氏って渡来人じゃないよな?」
「違う。ウィキペディアには賀茂県主氏の祖の賀茂建角身命は天神系って書かれている」
「ああ……なるほど。でも、それって天孫降臨を渡来って考えない前提だよな?」
「まあ、そういうことになるね」
「ちょっと、あんたたち。何言ってんのか全然わかんないんだけど」
真理が秀真と皐月にいら立っている。さすがに専門用語が多過ぎた。いくら真理が利発でも、普通の小学生に初めて聞く神話時代の話なんか分かるわけがない。
「悪い。下鴨神社の起源の確認をするだけだったな。これでこの話は打ち切るから、次に行こうか」
皐月は秀真からの事前のレクチャーで日本の神々の大雑把な系譜のことを聞いていた。
天神系というのは天津神のことで、瓊瓊杵尊が天孫降臨した際に付き随った神々とその子孫。
賀茂建角身命は神武東征の時に神武天皇の先導をした。賀茂建角身命には八咫烏鴨武角身命という別名がある。八咫烏は神武東征の際、高皇産霊尊によって神武天皇のもとに遣わされた。
これで下鴨神社の予習は終わった。調べれば調べるほど興味深いということは、ここにいる6人全員が感じていた。もっと調べたい気持ちを抑えながら、皐月たちは次の訪問地のことを調べ始めた。