黙っていればわからない(皐月物語 117)
宵の内が終わろうとする頃、藤城皐月は明日美の部屋を後にした。表に出ると空が澄んでいた。月と街灯だけに照らされた歩道を歩いていると、今別れたばかりの明日美のことばかり思い出す。
視線の先のスクランブル交差点はアーケードの明かりで奥の方だけが明るかった。振り返って明日美のマンションを見ると、夜の底に輝きながら聳えていた。皐月はスマホを取り出し、酔狂で写真を撮った。HDR(High Dynamic Range)で撮影された明日美の住む建物はまるで夢の城のようで、ちっぽけな自分とは不釣り合いな物に見えた。
明るいアーケードの下を歩き、暗く細い路地裏に入ると、焼肉屋の『五十鈴川』の看板が煌々と光を放っていた。換気扇から肉を焼くいい匂いがした。皐月はいつか、明日美と焼肉を食べに行ってみたいと思っていた。
街燈もない暗い路地に小百合寮の行燈看板が淡く光っていた。皐月はスマホの時計で門限の9時に間に合っているのを確認し、玄関の鍵を開けた。
家の中に入ると、玄関を仕切る硝子戸が開け放たれていた。居間には及川親子が音楽の映像を流したまま談笑していた。祐希はちょうど風呂上がりのようだ。
「ただいま」
「おかえり」「おかえり」
味も素気もない挨拶だが、これがかえって家族らしくて皐月は気に入り始めていた。
「皐月ちゃん、どんな服を買って来たの?」
頼子が席を立ち、皐月の方へ歩いて寄って来た。
「ちょっと待って。見せるから」
皐月は玄関を上がった所にある楽器置場の部屋から明るい居間まで移動し、『コンパル』の紙袋から服を取り出した。まずは白のクルーネックニットを身体に当てて見せ、次に黒のテーパードパンツを腰に当てて見せた。頼子がトップスを皐月の身体に当てて、皐月の上下揃った姿を祐希に見せた。
「皐月、イケてんじゃない。こういうのが明日美さんの趣味なんだね」
祐希が明日美のことを名指しで言うのを、皐月はこの時初めて聞いた。
「そうらしいね。白と黒のモノトーンのシンプルな組み合わせのコーデが好きみたい」
「皐月ちゃん、ちょっと着て見せてくれない?」
頼子からリクエストが出た。皐月はこういう遠慮のなさを嬉しいと思えるようになった。
「じゃあ、ママの部屋で着替えてくる。今着ている服は洗濯籠に入れておくね」
皐月は小百合の部屋に入り、照明をつけて襖を閉めた。風呂に入る前に新しい服を着たら汚れやしないかと気になったが、とりあえず着替えてみた。姿見で全身を見ると、中性的なデザインがなかなかいい感じだ。
(俺って結構カッコいいかも)
いい気分になったところで、襖を開けて頼子と祐希にお披露目した。
「どう?」
「あら! 皐月ちゃん、格好良くなったね。アイドルみたい」
「へへへっ、ありがとう」
想像以上に頼子に褒められ、顔がニヤついてしまった。
「これなら千智ちゃんとデートしても恥ずかしくないね」
祐希に入屋千智の名を言われ、皐月は急に現実に引き戻された。自分が今置かれている複雑な恋模様を思うと、気持ちが重くなってくる。明日美に買ってもらった服を着て、千智と会うわけにはいかない。
「まあ、似合っているみたいでよかった。でも、こんな服着て学校に行けるかな……」
「いいじゃない。お洒落して学校に行けば」
「でもさ……俺ってそういうキャラじゃないし」
頼子はあまり細かいことを気にしない性格のようだ。だが皐月は自分がどういう風に人から見られているのかを気にする性格だ。今までおしゃれな服を着て学校に行ったことがなかったので、急にキャラ変することに抵抗がある。
「修学旅行でクラスの女の子に聞いてみれば? その服で学校に行って、千智ちゃんに見せてあげるといいよ」
祐希はやたらと千智のことを引き合いに出す。現実的な意見を言った祐希に感心したのに、その直後に千智のことを持ち出され、皐月はあまりいい気がしなかった。
三人で話をしていると、玄関の前が赤く光った。家の前に車の停まったのがわかった。呼び鈴が鳴ったので、玄関まで出た皐月が鍵を開けた。母の小百合がお座敷を終えて帰ってきた。皐月と小百合は玄関先でタクシーを見送り、皐月は和服姿の母を家に迎え入れた。
「ただいま」
「おかえり」
皐月が起きている間に小百合が帰宅した時は、皐月が三味線や鼓を楽器置場に仕舞う。これはこの家に住むようになってから皐月が自分で考えた小百合寮の習わしだ。
「それって、今日買った服?」
「そうだよ。似合ってる?」
「いいねぇ。やっぱり明日美は私じゃ考えもしない服を選ぶわね。良かった。ところでその服、随分高そうだけどお金足りたの?」
「ちょっとオーバーしちゃった。夕食は御馳走になった」
「そう……。明日美には悪いことしちゃったわね」
皐月はお金のことで小百合に怒られるものだと思っていた。だが小百合はこうなることを予想していたのか、特に怒ることもなかった。
「あんた、その服に合う靴はあるの? 家にある靴じゃバランスがおかしいでしょ」
「あぁ……確かにそうかも」
三和土に出ているのは遊びで汚れたスニーカーだ。今まで通学ファッションに気を使ってこなかったせいか、皐月は運動のしやすい靴しか持っていない。持っている靴は私服用と小学校の体操服に合わせたものの2足だけだ。
「満と買い物に行く前に、新しい靴を買っておきなさいよ。服を買うときは靴に合うかどうかを考えるようにね」
修学旅行の初日の京都観光では10㎞以上歩くことになる。足に負担のかからない靴を用意しなければならない。用途を考えれば手持ちの靴で事足りるが、明日美に買ってもらった服に合わせるとなると、黒っぽい靴が必要だ。
皐月は風呂に入り、2階の自室に戻った。ベッドに横になってスマホでメッセージの返信をしようとしていると、祐希の部屋と隔てる襖にノックをされた。
「皐月、今いい?」
「いいよ」
皐月が襖を開けると、目の前に祐希が膝立ちして待っていた。部屋はすでに布団を敷き終えていて、祐希はパジャマに着替え終わっていた。この時の祐希の笑顔は可愛かったが、皐月は微かな引っ掛かりを感じた。
「ねえ、今日の話、聞いてもいい?」
「別にいいけど……」
皐月は祐希が何を思っているのか気になった。今日の自分と明日美とのことを千智に知らせるつもりでいるのかもしれないので、気をつけて話さなければならない。皐月はベッドから下りて祐希の部屋に入り、祐希から少し離れた畳の上に座った。
「服ってどこで買ったの?」
「豊橋。水上ビルってわかるかな?」
「うん、知ってる。行ったことあるよ」
「へ~、意外。昔の祐希ん家からだと、結構遠いよね?」
「そう、遠いの。でもお母さんの実家が豊橋だったから、昔からよく行ってたよ。友達同士で遊びに行くのは豊橋が限度かな。それより遠くに行くと旅行になっちゃう」
祐希は新城市の奥にある、愛知県民の森の近くの旧鳳来町に住んでいた。祐希は自然の豊かな所で幼少期を過ごした。
「水上ビルにあるカフェに行ったことがあるよ。そういえば最近、全然カフェ巡りしていないな……」
「彼氏に連れてってもらえばいいじゃん」
「皐月が連れてってよ、この辺りのカフェに」
「俺が? そんなことしたら千智に怒られちゃうぞ?」
「千智ちゃんには内緒にしておけばいいでしょ?」
皐月は祐希の言葉がちょっと信じられなかった。あれほど自分と千智の仲を取り持つようなことをしてきたのに、今は密会を持ち掛けてくる。
「じゃあ、千智とデートに行く前に下見をするつもりで行ってみようか。祐希も彼氏と豊川でデートする時の参考にすればいいじゃん」
「そうそう。蓮君とデートする時のために下調べをしておかないとね」
皐月は祐希の恋人が蓮という名前なのをこの時初めて聞かされた。知りたくもない情報だ。
「で、夕食は何を食べたの?」
「カレー。インド料理屋に行ってきた」
「インド料理! 私、食べたことな~い。それってスパイスがいっぱい入った辛いカレーだよね? やっぱり家で食べるカレーとは違うの?」
「全然違う。もう別物って感じ。本格的なインドカレーって初めて食べたんだけど、すっげー美味かった。日本人向けの味付けになってるのかな、そんなに辛くなかったよ」
「辛くなくても美味しいんだ。いいな~、私も食べてみたい」
食いしん坊の祐希はカレーが大好きだ。家では過去3回カレーが出たが、いつも皐月よりもたくさん食べていた。皐月がバターチキンカレーを食べた時、これは絶対に祐希も好きな味だと思った。
「そのレストランのカレーって、スーパーでも売ってるんだって。俺が食べたバターチキンカレーもあるみたいだよ。そのスーパーは自転車ですぐに行けるところにあるから、今度買ってくるよ」
「私も一緒に行く。自分で見て、選びたいな」
『フィール』なら自転車で簡単に行けるので、一度祐希を連れて行ってもいいかなと思った。『フィール』だけでなく、『サンヨネ』にも行ってみたい。少し家から離れたところにあるせいか、どっちのスーパーも藤城家とは無縁の存在だった。皐月は頼子にフィールとサンヨネを教えて、買い物を今まで以上に楽しんでもらいたいと思った。
「祐希は晩飯、『五十鈴川』で焼肉を食べたんだよね?」
「うん。すっごく美味しかった。お店は小さくて年季が入っているけど、レトロな感じで雰囲気が良かったよ。お肉もタレもすごく美味しかった」
「だよね~。あそこ、美味いよね。店はボロいけど。……俺も五十鈴川に行きたくなっちゃったな。ここ何カ月も行っていないんだよな~」
「またみんなで行こうよ」
「いいけどさ……お金がかかるから、そんなにしょっちゅうは行けないよ」
二人で外食するよりも四人で外食したら倍のお金がかかる。皐月は家の経済のことが心配になり、祐希の言葉に否定的なことを言ってしまった。適当に相槌でも打っておけばよかった。
「皐月が行ったインド料理のお店ってどこにあるの?」
「豊川だよ」
「豊橋じゃないんだ。豊川駅から近い?」
「いや、駅から離れた住宅街の中。明日美の車で行ったんだ」
「へぇ~、明日美さんって車の運転できるんだ」
「そりゃ大人だし、車くらい乗るだろ」
祐希の母の頼子は豊川に引っ越してくる時に、維持費の負担を考えて車を手放した。鳳来に住んでいた頃はどこに行くのも車だったと聞いている。だから祐希も車で行動することに慣れていたのだろう。こっちに来てからは車でどこかに出かけることがなくなった。
「じゃあ、豊橋にも車で行ってきたの?」
「そうだよ」
「いいな……ドライブか。私も新城に住んでいたら、高校在学中に免許を取るつもりだったんだ」
皐月は高校生が自動車の運転免許を取るだなんて考えたことがなかった。あれは大人になってから取るものだと思っていた。
「祐希は免許、取らないんだ。そう言えば祐希、東京に出るって言ってたよね。東京に住むなら、交通網が凄いから車なんていらないね」
「それはそうだけど……。今はお母さんに反対されているから、東京に行けるかどうかわからないし……」
皐月はおかしいなと思った。豊川に残るなら運転免許は必須なのに、今の口ぶりだと免許は取らなさそうだ。ということは、祐希は頼子の反対を押し切ってでも東京に出るつもりだ。だが、今の祐希にはそこまでして東京に行きたいような意志を感じない。
祐希は親の離婚と引っ越しで人生が変わってしまった。今の生活は不満でしかないんだろうな、と皐月は祐希のことを気の毒に思っている。祐希がこの先どうしたいのか気になるが、皐月はそのことを祐希に聞くことができない。
「ドライブはどこに行ってきたの?」
根掘り葉掘り聞いてくる祐希に、皐月はまるで監視されているような感覚になった。女子から尋問を受けるのはいつまでたっても好きになれない。祐希が自分の行動を知りたがるのは、千智に事細かに報告するためじゃないかと警戒を強めざるを得ない。
「よくわかんない。暗い田舎道を走ってただけだから。それに夜の道って知っている道でも、昼に見るのと全然景色が違うから地理感覚がバグる」
皐月は明日美の家にいたことを隠しておきたいから嘘をついた。最近、皐月は嘘ばかりついている。
「夜のドライブって、大人のデートって感じがして憧れるな……。皐月の方が私よりも早く大人の経験をしてるよね」
「何言ってんの。大人の経験なんてしてねえよ」
今の祐希の言葉に皐月は含みがあるように感じ、祐希との会話をさっさと切り上げたくなった。祐希のことが少しウザくなってきたし、嘘を重ねなければならない今の状況も嫌だ。
胡坐を崩し、部屋に戻ろうとすると、祐希は皐月の腕を取った。
「ねえ、今日行ったレストランの場所を教えて」
祐希は笑顔で話しかけてきたが、少し攻撃的な感じがした。
「……いいよ。スマホでマップを開いて」
皐月は自分のスマホを見られたくなかったので、祐希のスマホで Google マップを起ち上げてもらった。そうすれば祐希のスマホに検索履歴が残るので、適当なことを言って逃げても大丈夫だと考えた。
『スヴァーハー』で検索し、タップして確認した。自転車での経路を算出すると、およそ15分で行けることがわかった。店が佐奈川より手前にあることがわかり、案外近いことを知った。皐月は祐希も一緒に見ているのを忘れて、画面をピンチアウトして経路と自分の記憶を照らし合わせることに夢中になっていた。祐希が頬を寄せてきて、温かい吐息を感じた。
「祐希、顔が近い」
「なによ、そんな嫌そうな言い方しなくてもいいでしょ?」
「別に嫌じゃないけどさ……」
嫌ではなく、むしろ興奮しそうになった。皐月はただ、明日美のことを思って祐希に変な気を起こしたくないだけだ。祐希の吐息は明日美と似ていて、甘い香りがする。皐月は身体の反応を抑えられなかった。明日美の家では明日美の健康状態に配慮していたので、皐月は身も心も不完全燃焼だった。
「ごめん。ちょっと夢中になっちゃった。後で自分のスマホで調べるから、これ祐希に返すよ」
皐月がスマホを返そうとすると、祐希は皐月の手を取って、元の位置に戻して顔を寄せてきた。
「写真も見たいな」
祐希は皐月の手を取ったまま、スマホを操作し始めた。皐月の手はスマホと祐希の手でサンドイッチにされているので、引き抜こうにも抜けない。
「お店の中って、こんな風になってるんだ。素敵だね。皐月はさっきまで、ここにいたんだね。わぁ~、カレーも美味しそう! いいな~。お弁当じゃなくて、この店でカレーを食べてみたいな~」
皐月には祐希がわざとはしゃいでいるように見えた。少し体を引いて祐希を見ると、祐希も皐月を見た。顔が近すぎて、しようと思えば簡単にキスができそうだ。
「どうしたの? 祐希、なんか変」
「別に変じゃないよ。なんでそんなこと言うの?」
祐希が皐月の手からスマホを引っ剥した。皐月は自分が変になりそうだったのを、祐希のことにすり替えた。怒られても仕方がないと思った。
「だって……このインド料理の店って彼氏を連れて行けるところじゃないよ? 駅から遠いじゃん」
「別に蓮君と一緒に行きたいから見てたわけじゃない。ただ単に興味があっただけ。悪い?」
「悪くないけどさ……ごめん。変とか言っちゃって」
「いいよ、もう。……そのお店って自転車で15分くらいで行けるんだよね。それなら皐月に連れて行ってもらえるかなって思ったのに……。せっかくインドのカレーを食べるなら、スーパーで買うお弁当よりもレストランで食べたいなって思っただけ」
祐希の機嫌が悪くなったのは、レストランに連れていかないで弁当で済ませようとしたことかもしれないと皐月は考えた。それなら写真を見て喜んでいたのも辻褄が合う。
自分が千智のことを持ち出されて嫌な気持ちになったのと同じで、祐希も蓮のことを言われたのが気に入らなかったのかもしれない。慎重に言葉を選ばなければいけない状況だったのに、皐月は祐希の挑発的な態度に振り回され、冷静さを失って言い方を間違えてしまった。
「レストランって、高校生と小学生が行っても大丈夫かな? 今日行った店って、そんな雰囲気じゃなかったけど」
「キレイにしたら私だって大人に見えるよ。皐月だっていい服を着て澄ましていれば高校生くらいには見えるだろうし」
「俺が高校生? さすがにそれは無理でしょ? せいぜい中学生だって」
「今時の中学生は髪なんか染めないから」
一緒に食事に行くことを前提で話をすると、祐希の機嫌が直ってきたように思えた。だが、皐月にはまだ変な感じがする。
「でも二人で行くのはなんだか気が引けるな。頼子さんやママに悪いや」
「二人がお座敷に出る日ならいいでしょ。お母さんには私から話しておくから」
「そう? ならいいけど」
祐希が再び楽しそうにスマホを見始めた。皐月が部屋に戻ろうとすると、祐希がまた声をかけてきた。
「皐月の食べたディナーってこれ?」
付き合わないわけにはいかないので、布団の上に座っている祐希の隣へ行き、小さなスマホの画面を覗き込んだ。祐希がしたように、皐月も祐希の頬に顔を近づけた。
「そう、これ」
「本当に美味しそうだね」
「うん。美味しかった。俺と明日美は違うセットを頼んだから、二人でシェアして食べたよ。明日美の頼んだエビのカレーとか、生春巻きも美味しかった」
「へ~、シェアか……。ねえ、私たちもシェアしようか?」
「そうだね。その方が色々なものを食べられるね」
祐希の機嫌は完全に直ったと思った。気が楽になったので、皐月が自分の部屋に戻ろうとすると、祐希はまた腕を掴んだ。
「明日美さんとのデート、楽しかった?」
「あぁ……まあ楽しかったけど、あれはデートじゃないよ」
「デートだよ。夜、食事をして、その後ドライブして……。そういうのはデートっていうの!」
「知らねえよ、そんなの」
皐月は祐希の手を振り解いた。こんなことをうっかり認めてしまうわけにはいかない。下手に嘘を重ねると、後々面倒なことになりそうだ。
「私の通ってる高校ではね、18歳の誕生日が来たら免許を取る子って結構いるんだよ。美虹も免許持ってるし。だからドライブデートする子って多いんだよ」
「じゃあ、祐希の彼氏の蓮って人も車に乗るの?」
「蓮君はまだ誕生日が来ていないから乗れない。冬休みと3学期に取るって言ってる」
「車に乗れるようになったら、デートし放題じゃん。よかったね」
「ふふふ。今から楽しみ」
皐月は自分から蓮の話を持ち掛け、知りたくもない情報を聞いてしまい、自分で勝手に不快になった。
「祐希の高校って、車に乗ってもいいんだ」
「校則ではダメだよ。でも免許は取ってもいいの。法律で認められているからね。ウチの学校は規則が緩いっていうか、田舎にある土地柄なのか、問題を起こさなければ黙認されているって感じ。車に乗れたら親の手伝いができるようになるからね」
「祐希の誕生日って7月だったよね? だったら夏休み中に免許取っちゃえば良かったじゃん」
「そうなんだけどさ……免許って取るのにすっごくお金がかかるから、お母さんに言い出せなかったんだよね。ちょうど家がごたごたしていた頃だったし」
「そうだったんだね……」
祐希との会話には地雷がたくさん埋まっている。気をつけて話をしなければならない。
「免許取ってたら、皐月のことドライブに連れてってあげられたのにね」
「いいよ、俺は。そういうのは蓮っていう奴と行けよ」
「なによ、人がせっかく連れてってあげるって言ってるのに」
「俺とドライブデートなんてしてもいいのか? 彼氏に悪いだろ? それに千智にだって悪いじゃん」
皐月は微かに感じた違和感がわかったような気がした。もう少し確認してみたくなった。
「まあ、黙っていればわからないか」
祐希が嬉しそうな顔をした。わかりやすいなと思った。皐月は自分の予想が正しかったことを確信したが、それは決して喜ぶべきことではない。
頼子が階段を上る足音が聞こえてきた。皐月は祐希に何も言わず、自分の部屋のベッドに腰を掛けた。頼子が廊下を歩いて祐希の部屋の前まで来て、襖の前で止まった。障子はまだ開いていない。
「祐希、私これから小百合とちょっと飲もうと思っているから、おやすみって言っておくね」
祐希が障子を開けた。皐月は自分の部屋のベッドの上にいたので、変に怪しまれることもないと思った。
「おやすみなさい」「おやすみなさい」
「皐月ちゃんもおやすみ」
頼子が手を振って障子を閉めた。それに合わせて皐月も祐希の部屋を隔てる襖を閉めようと思った。
「じゃあ、俺も寝るね。おやすみ」
「……おやすみ」
祐希が物足りなさそうな顔をしていた。皐月は祐希の気持ちに気づかないふりをしてピシャリと襖を閉めた。これからたまったメッセージの返信をすることで気持ちのバランスを取り戻そうと思った。