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お嬢ちゃん、クソガキは嫌いかい? (皐月物語 30)

 藤城小百合ふじしろさゆり及川頼子おいかわよりこはケーキを食べ終わると、さっさと台所に姿を消した。これは藤城皐月ふじしろさつきには意外だった。皐月は自分と入屋千智いりやちさとのことを根掘り葉掘り聞かれるかと警戒していたが、取り越し苦労で済んでホッとした。
 小百合たちはは小学5年生の千智のことを一人の女性として扱っていた。それは皐月の幼馴染の栗林真理くりばやしまりに対する態度とは明らかに異なっていた。小百合は真理に対しては皐月と同じように、いつまでたっても子供扱いをしている。同じ町内の友達には、さすがに皐月たちのようには接しないで、大人と子供の関係は保っている。だから千智は特別扱いをされていた。
 小百合は千智に対して決して踏み込んだ質問をしなかった。その代わりに芸妓げいこの仕事のことを注意深く話していた。千智と話しながら、どのような話題に興味を示しているかを探りつつ、花柳界かりゅうかいの話もしていた。
 頼子は自分のことはほとんど話さず、娘の祐希ゆうきの幼少時代のことや、現在の高校生活のことを話していた。それには千智に向けてだけでなく、皐月にも知ってもらおうという配慮がうかがわれた。
 二人の大人の話術は皐月の想像以上に洗練されていた。一方的に話すのではなく、千智や皐月にも話をさせ、話しをさせながら心を開かせた。小百合や頼子との対話の中で、皐月でさえ知らない母の仕事に関しての知識が整理され、祐希の人となりもつまびらかになった。
 小百合たちが台所に戻る前に、皐月と千智はこの後どうするのか聞かれた。特に予定はないと言うと、喫茶パピヨンなら代金はツケにして自由に飲食してもいいと許可をくれた。マスターにからかわれそうで気が進まなかったが、千智のカフェ巡りをしてみたいという望みを一つ叶えられるので、連れて行ってあげてもいいかな、と考えた。
「さて、これからどうしようか……」
「ちょっと冷えちゃった。上着来てもいい?」
「どうぞどうぞ。俺もちょっと冷えた。冷房きかせすぎだよな~。気を利かせてくれたのは嬉しいけど、やりすぎる傾向があるんだよね、ママは」
 千智がバッグから限りなく白に近い水色のカーデガンを取り出した。黒一色のクールな印象が一気に柔らかくなった。
「先輩の部屋、見せてもらってもいい?」
「いいけど、なんか恥ずかしいな。ちょっと狭いし散らかってるし」
「そんなこと気にするんだ。変なの」
「ははっ、変か……。二階にあるんだ。行こうか」
「へへっ、楽しみ~」

 居間と台所の間に階段がある。昔の建物だから信じられないくらい勾配が急だ。台所にいる小百合たちに声をかけ、冷房の設定温度を上げてから二階に上がった。
「すごく急な階段だね。お城みたい」
「上るのはまだいいんだけど、下るのがちょっと怖いんだ」
 皐月の部屋の扉は開け放たれていた。窓も、祐希の部屋との仕切りのふすまも、通りに面した回廊の窓も開いていた。風がよく通っている。さっきまで冷房の効いた部屋にいたので、暑さが逆に気持ちよかった。
「隣の祐希の部屋は元々俺の部屋だったんだ。二部屋あったから広々と使っていたんだけど、一部屋になっちゃったからちょっと狭いね」
 千智は皐月の部屋だけでなく、祐希の部屋も興味深く見回していた。物でゴチャゴチャになった自分の部屋を見られるのは恥ずかしい。祐希の部屋と皐月の部屋が隣り合っているのを見て、千智は何を思うのだろう。
「腰掛けるところがないからその椅子を使ってよ」
 千智に勉強机の椅子に座るように促し、皐月はベッドに腰を下ろした。千智から見下ろされるような位置関係が心地よかった。
「そういえばさっきさ、今日は黒い気分だったから黒装束で学校に行っちゃったって言ってたけど、それってどんな気分だったの?」
「ん~、心を武装したかったって言えばいいのかな? ちょっと違ってるかもしれないけど」
「あんま穏やかじゃないね、それ。クラスでなんかあったの?」
「ちょっとね……私、転校デビュー失敗しちゃったみたいで、クラスの女子から嫌われちゃって……」
 重い話なのに千智の様子に卑屈な感じはみられない。どちらかといえば清々しいくらいだ。
「千智っていい子なのに嫌われてたんだ……ちょっとおかしいよな。こういうのって大抵、千智が男子にモテてたことに女子が嫉妬したっていうパターンだと思うんだけど、やっぱそう?」
「まあ、そんなとこ」
「やっぱりな……。千智のことをいじめるドブスなんか Shit! だ!」
「先輩、口悪っ! それにそのポーズは Fuck! だよ」
「そうだったっけ? うゎっ、はずっ! でも千智の口から Fuck! って聞けたのはよかった。ご馳走様でした」
 皐月は千智に向かってうやうやしく合掌した。
「も~っ、ご馳走様って何よ。先輩ってもしかしてクソガキ?」
「お嬢ちゃん、クソガキは嫌いかい?」
「程度によるよっ!」
 千智が本気で怒っていないのがわかるから皐月は安心してへらへらできる。でも嫌いって言ってもらえなかったのはちょっと物足りない。
「千智も俺みたいにクソガキになっちゃえばいいじゃん」
「今朝はね、私もそんな心境だったよ。学校に行く時は」
「クソガキになっちゃおって?」
「ううん。『ドブスなんか Shit!』の方」
「いいね!」


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音彌
最後まで読んでくれてありがとう。この記事を気に入ってもらえたら嬉しい。