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冗談から駒 (皐月物語 63)

 藤城皐月ふじしろさつき筒井美耶つついみやが6年4組の教室に戻ると、室内にはもう誰もいなかった。この教室で美耶と二人きりになるのは初めてだ。美耶は夏休み明けに髪型を変えて可愛くなっていた。女子を異性と意識し始めた皐月は美耶に対して、1学期の時のような友達気分にはなれなくなっていた。
「さっき先生からもらったプリント、読んでおこうか」
「うん、そうだね」
 こんな何気ない会話でさえギクシャクしている。皐月は美耶と席が隣同士だった時は何の気兼ねもなく接してきたし、時にはぞんざいな扱いをすることもあった。それが今では妙に気を使っている。
「筒井ってこの後、用事とか大丈夫?」
「特に何もないから下校時間までいてもいいよ」
「そんなに時間かかんないって……」
 無垢な顔で答える美耶に笑顔でこたえるも、顔が引きつっているような気がして恥ずかしい。以前なら「そんなに時間かかるわけねーだろ、バ~カ」くらいは言ってたし、そもそも用事があるかどうかなんて聞くことさえなかっただろう。昔だったら相手が美耶でも、絶対に男同士のような会話をしていた。
 皐月は美耶の前の月花博紀げっかひろきの席に座って、後ろを向いた。美耶の机の上に互い違いの向きにプリントを置くと、二人は自然とプリントの文字に目を落とした。
「黙って読んでいてもしかたがないから読み合わせをしようか。まずは筒井が読んで」
「え~っ、私が読むの? 声を出して?」
「そう。俺も後で読むからさ」
 前後の席で向かい合うと隣の席に座るよりも顔が近い。しようと思えばキスだってできてしまいそうな距離だ。意識すると変な気持ちになりそうなので、皐月は少し上体を後ろに反らした。
 ところどころ詰まりながら読んでいる美耶はちょっとバカっぽくてかわいい。読み方のわからない漢字を教える時は、隣同士に座っていた時には考えられないくらい顔が近付く。その時、美耶の吐息が皐月の鼻先にかかった。少し甘くて、頭がクラクラする。皐月は真理の吐息を思い出し、一度くらい美耶ともキスしてみたいと思ってしまった。
「前島先生のプリントってうまくまとめられているな。やるべきことが端的に書かれている。文章が上手いのかな。読んでいると実行委員をやることへの不安がなくなってくる」
「そうだね。この通りやっていけば間違いないって感じがする。なんだか私でもやれそうな気がしてきた」
 プリントには修学旅行に行くまでに実行委員がやるべきことと、旅行中にやるべきことが箇条書きに書かれていた。実行委員のかわりに先生がやることまで書かれている。おかげで修学旅行の全体像が皐月と美耶にもよくわかる。
「おれ、6年間で前島先生が一番好きかも」
「そうなんだ……」
 美耶があまり共感を示してくれなかったのは皐月には不満だった。

 美耶から皐月に音読を代わった。丁寧に読んでいくと気になる箇所が見つかった。それは2日目のところで、「帰りのバスの中での過ごし方を決める」という文言だった。
「バスの中での過ごし方って何だ?」
 軽く書かれた文だが、内容が重い。皐月はここにきて初めて事の重大さに気がついた。
「音楽でも流しておけばいいんじゃない。家族でドライブする時はいつも音楽を聴いてるよ」
 美耶が軽いノリで提案をした。
「そう言えば友達が同じこと言ってたな。そういうのって楽しいみたいだけど、俺の家は車がないからその感覚はわかんないな……」
「音楽聴きながら家族と話したり、外の景色でも眺めてるだけで楽しいよ。だから修学旅行もそんな感じでいいんじゃない?」
「そんなんでいいのかな……。音楽なんてみんな趣味が違うだろうし、俺の好きな音楽なんて、たぶん誰も知らないし……」
「藤城君ってアイドル好きだったよね。だったらみんな知ってるし、いいんじゃない?」
「アイドルっていっても、最近は地下アイドルにハマってるから、そんな曲聴かされても誰もわかんねぇよ」
「ああ……地下アイドルね……」
「何だよ、その反応。いい曲だっていっぱいあるんだよ! お前の好きなジャニーズだってみんながみんな好きってわけじゃないだろ。特に男子には受けねえだろうし、女子だって嫌いな奴いるだろ?」
「まあそうなんだけど……」
「だから音楽を流すってのはちょっと難しいかな。でもみんなからリクエスト取って、好きな曲を1曲ずつ流せば34曲もあるから、移動時間の暇を潰せるかも……」
「それでいいんじゃない?」
 一つアイデアが出て皐月は少し気が楽になったが、ゲームか何か他のレクリエーションも考えなければいけないのかな、とまだ気が重い。美耶を見ると能天気な顔をしている。楽観的なのかお気楽なのかはわからないが、隣でピリピリされるよりはずっといい。
「そういえば筒井って夏休みに十津川とつかわ村に行ってたんだよな。車で行ったの?」
「うん」
「めっちゃ遠いじゃん。何時間くらいかかった?」
「途中でご飯食べたり休んだりしたから、5~6時間くらいだったかな」
「長っ! ずっと車ん中だよな。いくら好きな音楽聴きながらでも飽きるだろ?」
「そんなことないよ。窓の外を見てたらすぐに時間が経っちゃうし、全然退屈しないよ」
「それは筒井が車移動に慣れてるからだよ。修学旅行のバスだったら3~4時間ってとこか。窓際に座った子なら外の景色も見られるけど、通路側に座った子はつまんないんじゃない?」
「……そうだね。家の車だとどこに座っても窓際だからね」
「だからさ、やっぱり何か他にバスの中ですること考えておいた方がいいのかもしれないな……」
 空気が重くなった。美耶の顔が憂いに沈み始めた。それが皐月の言葉によるものなのか、責任の重さによるのかはわからない。解決したと思っていたことをまた蒸し返したのは皐月だから、暗くなった美耶を放ってはおけない。
「とりあえずさ、今日はもう考えるのをやめよう。バスの中でやることはさ、俺がちょっと調べておくよ」
「じゃあ、私も調べてみようかな。藤城君に頼ってばかりじゃいられないし」
「そうか。じゃあ頼むよ。二人でアイデアを持ち寄って考えよう。先生にも相談してみようか」
「先生に甘えたいだけでしょ」
「バレたか……でも筒井にも甘えるぞ、俺は。そんなことよりそろそろ帰ろうぜ。もうすぐ4時だし、あと15分で閉門になるから」
「うん」

 二人揃って校舎を出た。この時刻はまだ日が高いし暑い。それでも日差しは少し柔らかくなっているようだ。心なしか風も涼しい。秋は少しずつ近づいているようだ。
 校門近くのバスケットコートで6年生男子が遊んでいた。他のクラスの男子のグループ中に4組の村中茂之むらなかしげゆきがいた。茂之は月花博紀と一番仲のいいクラスメイトで、博紀の次に運動神経が良いので、昼休みの行われるクラス対抗の球技では頼りにされている。次に頼りにされているのは隣にいる美耶だが、美耶は女子の付き合いを優先しているので、あまり男子の遊びには参加しない。
 コートの外に出たバスケットボールが皐月たちの近くまで転がって来た。そのボールを拾った皐月は茂之に投げ返した。
「お前ら仲がいいな。今からデートか?」
「まあね」
 珍しく茂之が女の話をしてきた。皐月と茂之は普段クラスであまり話をしないが、クラス対抗戦の時は仲良くなる。茂之と話すことはいつもスポーツのことばかりだ。二人とも野球が好きで、中日ドラゴンズのファン同士ということで、野球の話になった時だけは気が合う。
「いいな、モテる奴は」
 皐月には茂之が怒っているように見えた。
「いや、デートは冗談だって。俺たち、さっきまで実行委員のことで先生に呼ばれてたんだよ」
「今まで仕事だったのか?」
「まあそんなとこ。残業だな」
「そうか……大変だな。そういや博紀がお前のこと感謝してたみたいだぜ。実行委員代わってくれて助かったって」
「へぇ~、あいつがね。俺じゃ博紀ほど上手くやれないかもしれないけど、まあ頑張るわ」
「俺も協力できることがあったら手を貸すぜ」
「ありがとう。筒井が困った時は茂之しげが助けてやってくれ。じゃあな」
「おう」
 茂之に手を振り、皐月と美耶は校門を出た。美耶と二人で帰ることで、もしかしたら一悶着があるかもと思ったが、茂之が大人の対応したことに驚いた。自分なら、好きな女が自分以外の男と一緒に家に帰るところを見たら穏やかではいられない。
 茂之は皐月のことを羨ましいと言ったが、それが茂之の本音だろう。茂之が美耶のことを好きなのはわかっている。皐月はデートとか言って、茂之を煽ったことを反省した。

「筒井んって開運通かいうんどおりだったっけ。通学路ってこっちだな」
「うん」
 校門を出ると皐月は左を指差した。通学路は左右に分かれていて、皐月は栄町さかえまちなので右へ行くが美耶は左へ行く。
「どうせ豊川稲荷の横に出るだろ。ちょっと遠回りして途中まで一緒に帰ろうぜ」
「いいけど……」
「さっき茂が『デートか?』って言ってたじゃん。だったら茂之しげの言う通りデートしよっか」
「えっ? 藤城君、さっき村中君に冗談だって言ったよね?」
「『デートか?』って聞かれた時、それもいいなって思ったんだ。冗談から駒って言うじゃん」
「それって冗談じゃなくて瓢箪ひょうたんでしょ?」
「意味は同じだし、この言い方の方が面白いじゃん。で、どうする?」
 美耶が黙り込んでしまった。周りの連中は美耶が皐月のことを好きだと囃し立ててきて、皐月もそうなのかと思っていた。だから断られるわけがないと余裕をかましていたが、どうやら見込み違いだったようだ。茂之に羨ましいと言われて調子に乗っていたのかもしれない。
「まあいいや。今日は真っ直ぐ家に帰ろう」
 断られる前に自分で幕を引いてしまおうと思った。変に仲をこじらせると修学旅行実行委員の仕事に差し支える。軽い気持ちで言ったことだから、軽く終わらせてしまうのがいい。その方が自分のダメージも軽くなる……自分の格好悪さに嫌気がさし、皐月は今すぐにでも走って逃げ出したくなった。


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音彌
最後まで読んでくれてありがとう。この記事を気に入ってもらえたら嬉しい。