皐月物語 38.1 Let's Go Crazy 罰と救済
小学生の5人組が麻雀をやっている。8000点持ちで、誰かが+8000点になるか-8000点で勝負が決まる。前の対局では入屋千智が平和ドラ1を立直一発で自摸って裏ドラが乗り、跳満でトップを取った。その特権で次の対局中は千智の好きな音楽を流せるというルールで遊んでいる。
対局中に映像はいらないと千智が言うので、YouTube で映像を流すのではなく、Spotify で音楽だけを流すことにした。千智は Prince という80年代に活躍したアーティストの曲をリクエストした。この Prince という人をここにいる男子4人組は誰も知らなかった。千智は Prince のアルバム Purple Rain が特に好きだと言う。Spotify の操作は今泉俊介が行った。
「入屋さんって洋楽聴くんだ。なんか意外だな」
俊介はアイドルが好きだが、喫茶店をしている父親の影響で昭和歌謡もよく聴く。洋楽は全く聴いていない。
「両親が80年代の洋楽が好きで、小さいころからよく聴かされてきたの」
「そういや入屋はいつもステファニーと英語で喋ってるよな。俺たち、入屋たちが何話してるのか全然わかんねえよ」
千智と同じクラスの月花直紀は教室で英語で話している千智のことがずっと気になっていた。
「そんな大したこと話してないよ。私だってまだ少ししか英語話せないから」
「そうか? 全然そんな風に見えないけどな」
直紀はクラスで千智とステファニーが英語で話しているのを内緒話をしているように感じ、あまりよく思っていない。直紀ですらそう感じるのなら、クラスの女子からは相当疎まれているのだろうな、と藤城皐月は想像した。
「1曲目は Let's Go Crazy で合ってる?」
俊介が Spotify でアルバム Purple Rain を開き、千智に確認した。
「そう、それ。ありがとう」
「ねえ、Let's go crazy ってどんな意味? 頭おかしくなれってこと?」
皐月はこのただならぬ曲のタイトルの意味が気になった。
「crazy はそういう意味じゃなくて、この歌では無我夢中になるとか必死になるとかいう意味。Prince 本人は『 "Let's go crazy" was "GOD" to me.』って言ってて、神様の歌なんだって」
「神様の歌? それって宗教の歌ってこと?」
「そうだね……ロックだけどキリスト教の神と悪魔の歌。先輩、終末論ってわかる?」
「ん……何となくなら。キリストが復活して最後の審判をして、信じる者が救われて千年王国に行けるってことでいいのかな?」
「先輩、そんな専門用語知ってるんだ」
「友だちに鍛えられてるからね」
「神谷秀真か。お前らいつもヤベえ話してるよな」
皐月はクラスでは校庭で遊ぶ博紀たちとは別グループで、いつも教室でマニアックな話をしている。
「私も深く理解しているわけじゃないけれど、とりあえずはそんな感じでいいと思う。で、この歌は悪魔の誘惑によって地獄に引きずり込まれそうになったら死に物狂いで神を目指せって歌らしいよ。お父さんが言うには」
「お父さんが推していた歌なんだ」
「うん。昔は歌詞の言葉通りの意味しかわからなかったんだけど、聖書に知識を得たら歌詞の意味が全く別物になったんだって。それで感動して私に熱く語るようになったの」
「そして千智も感化されて好きになったと」
「そう」
千智の顔がすっかり伝道者の顔になっている。とても嬉しそうだ。
「もっと詳しく話を聞きたいな……」
夏休みの自由研究で荼枳尼天のことを調べて以来、皐月はずっと神というものの存在のことが気になっていた。こうして麻雀をしているよりも興味のあることを調べていることの方が楽しい。
「そういう話はまた二人でしてよ。難しいことばかり言ってて俺、全然わかんねーよ。それより麻雀しよ」
直紀が皐月と千智の話にたまりかねて口をはさんできた。直紀には興味のない話か、あるいは言葉の意味がわからなかったのか、皐月は配慮が足りなかったことを恥じた。博紀にヤバい話と言われたことも気になる。
「そうだな。麻雀の続きしよっか。それにその Let's Go Crazy って曲、まだ聴いてもいないし」
俊介に曲の再生を頼んで麻雀が再開された。抜け番は前回トップだった千智だ。
ミニコンポのスピーカーからいい音で Let's Go Crazy のイントロが流れ始めた。荘厳なパイプオルガンのような音に続き、「Dearly beloved(愛する人たち)」という新約聖書の書簡でよく使われるフレーズから歌ではなく説教から始まる。
「何、これ?」
皐月の洗牌の手が止まる。英語なので何を言っているのかはわからないが、ワクワクさせる始まり方だ。みんなが牌を手元に寄せ始めたので皐月も遅れないように牌山を作り始めるとテンポの良いドラムの音がかぶさってきて、「You're on your own」の歌詞が終わったところでギターの音が重なり、アップテンポのロックが始まる。
(ヤベー、超かっこいいんだけど……)
配牌を取りながら、さっき直紀に言われたことを思い返す。そういう話は二人でしろと言われたが、そんな機会はあるのだろうか。対局が始まっても皐月はまだ集中できず、ほとんど上の空のような状態だった。さっき千智に言われたことをまだ引きずっている。一緒に遊ぶのは難しいってどういうことだ……。
「栄和」
俊介が混一色、中、ドラ3の親の跳満、18000点を和了して一発終了。皐月が無造作に捨てたドラの中が当たり牌だった。
「お前、ここで初牌のドラ切るか?」
罰ゲームを回避できた博紀なのに、皐月を非難するような口調だ。河を見れば筒子、索子から切り出されているし、萬子が2副露されている。誰が見ても俊介の手が萬子に染めているのがわかる。
「あちゃ~」
普段の皐月ならあり得ないミスだった。俊介が2回鳴いたのすら気づいていなかった。
「も~っ、先輩のせいで私の好きな曲、1曲しか聴けなかった……」
「ごめん……」
「お前、洋楽 を聴きたくないからワザと負けて早くゲームを終わらせたな」
「そんなわけねえだろ!」
博紀の言葉に悪意を感じた。さっき及川祐希のことでいじったのを根に持っているのかもしれない。
「そうなの?」
千智が博紀の言うことを真に受けて、泣きそうな顔をしている。
「違う。おれがわざと負けるわけないじゃん。さっきはちょっと集中力を切らしていただけ」
「確かに皐月君らしくないよね、さっきの放銃は。いつも守り固いし。ぼくは最初から他家からの放銃は期待していなくて自摸和了するつもりでいたから、ドラが出てきてびっくりしたよ」
「皐月君、なんかボ~ッとしてたよね。どうかしたの?」
(ここはみんなにスルーしてもらいたかったのに、どうして俊介も直紀もおれに構うんだ……)
皐月は博紀たちを家に上げたことを後悔し始めた。せっかく千智と二人でいられたのにどうして麻雀なんかしてるんだろう。おれは博紀たちに千智を自慢したかったのか。いい顔がしたかったから遊びに来たあいつらを突き返さずに受け入れたのか……皐月は魂が淵の底に引きずり込まれていくような恐怖を感じた。
みんながスルーしてくれないなら自分から話題を変えるしかない。それには歌だ。歌って弾けて、気持ちを上げたい。とにかく光を求めて何かをしなければヤバい……。
(死に物狂いで神を目指せってさっき千智が言っていたな)
「じゃあおれ、今から歌うわ」
俊介と直紀から歓声が上がった。千智は目を輝かせていて、博紀はニヤニヤとしている。よかった……罰ゲームのはずだった歌も考えようによっては救済になる。博紀にはバカにされるかもしれないけれど、好きなアイドルの歌を歌ってやろう。無我夢中になって。