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【書評】戦争映画の政治学―坂本多加雄著『スクリーンの中の戦争』―

 坂本多加雄の名前を初めて知ったのは、九年前に読売新聞社から出された『知識人』によってであった。明治の北村透谷から戦後の司馬遼太郎までの思想人物を各項目ごとに偏りなく整理した手法は、近代日本の思想と文学の歴史を公平な目で捉え、この政治史家の学者としての篤実な姿勢のみならず、優れた思想家としての平衡感覚がよく凝縮されている。残念ながらすでに三年前、五十二歳の若さで亡くなり、直接お目にかかる機会も逃してしまった。
 もう坂本さんの新しい論考に接する機会はないと諦めかけていた矢先、本年二月、文春新書からこの本が出された。しかも専門の政治思想ではなく映画論である。未見の作品も沢山あったが、実に丁寧な語り口調で綴られ、まるで坂本さん本人が、目の前で語りかけてくるような、そんな錯覚までおぼえてしまった。
 さて、「戦争映画の嘘と真実」と題された本書の第一章で真っ先に取り上げられたのが、『パール・ハーバー』と『トラ・トラ・トラ!』である。いずれも真珠湾攻撃をテーマにした作品だが、奇しくもマイケル・ベイ監督による『パール・ハーバー』が公開された二〇〇一年は、日米開戦より六十年であると同時に、九月十一日にニューヨークで同時多発テロが勃発している。
 何よりも印象的だったのは、企画当初から「反日映画」になるのでは、という内外からの懸念がありながら、制作者側が「これは恋愛映画である」と強調したことである。著者は、この映画を観た多くの若い日本人が、素直に感動していることに、不安な気分を隠しきれない。
 まず第一にこの映画で描かれた、考証無視の奇怪な日本人の姿である。例えば奇襲攻撃を指揮した山本五十六が登場する場面は、戦国時代の武将の陣営さながらの幕をめぐらせた野外陣地である。真っ黒な布地に「尊皇討奸」と染め抜いた旗指物がはためき、黒ずくめの軍服に身を固めた幕僚たちが勢揃い。そして山本が航空機による奇襲攻撃を提案するにあたり、ヒントになるのが、何と近くで子供が揚げている凧…。無論、実際の作戦会議は東京の大本営や瀬戸内海の旗艦・長門で行われており、第一日本海軍は当時でも英国式のモダンな集団であった。
 では、それ以前に「恋愛映画」としてもいかがであろうか。『タイタニック』のようなラブ・ロマンスを意識したものというが、二人の戦闘機パイロットと従軍看護婦との三角関係は実にありきたりで、恋愛物語としても粗雑な点が否定できない。
 実際、アメリカではこの映画は不評で、観客の出入りも芳しくなかったという。一方、この程度の「ラブ・ストーリー」に安易に「感動」してしまった日本の若者たち。これなら、作品からあまりに安直な商業的意図を見抜いてしまったアメリカの観客の方が、よほど鑑賞力があったと見える。
 こうした日米の観客の鑑賞の落差からも、著者は「ただでさえ、必要以上に過去の日本を批判し、過度に自国への不信を強いているだけとしか思えない歴史教育を受けた若者にとっては、アメリカ人観客の偏見に媚びただけの戦前日本のイメージもまた、すんなりと受け入れられるものなのではないか」と危機感をも募らせる。ここには政治思想史家として作品の背後の意図を読みとった著者の鑑識のみならず、現代日本の歴史教育の実態を目の当りにし、その改革を実践してきた姿勢が実によく投影されているといえる。(※)
 一方、一九七〇年に、日米合作によって公開された『トラ・トラ・トラ!』の製作者たちは、厳粛な歴史に架空のロマンスを盛り込んで客を引きつけようというさもしい意図はない。歴史を忠実に描けば、それだけで観客を引きつけることができるという確信があったからである。
 著者はさらに、製作当時、四半世紀前の戦争に参加した兵士たちがまだ壮年だったことに注目する。この映画にも日本側では、山村聡ほか田村高広、藤田進といった戦時中の雰囲気を肌身で知る俳優が揃っている。過去のでき事は、時間がたってはじめて冷静な歴史的検討が可能な場合もあるが、一方、実際の体験者がいなくなるにつれて、リアリティを欠き歪曲されていく。真珠湾を描いた二つの映画の相違にはこうした事情もあるのでは、と著者は柔軟に推断していくのである。
 本書は他に、同じく第二次大戦中の旧日本軍が登場する『太陽の帝国』、ベトナム戦争を題材にした『地獄の黙示録』や『タクシー・ドライバー』、後半では『明治天皇と日露大戦争』、『真空地帯』、『陸軍』といった日本映画、その他小津安二郎の『東京物語』についても独自の観点から分析されている。

※本書には、「私は過剰に自国の過去を否定する論調には反対ですが、かといって大東亜戦争を引き起こした大日本帝国の愚かさは、おおいに検証すべきだと思っています」という一節もあることを銘記しておきたい。私は「つくる会」の運動の支持者ではない。ただ、坂本が決して「保守派のための教科書」などを標榜したわけではなく、現行のあまりに偏向した社会の教科書の実態から、「子供のために、少しはまともな教科書を作ること」に眼目を置いていたという点については評価したい。 
(初出:文藝同人誌『昧爽』第10号、2006年8月)        

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