武と産
園芸にはずっと無関心でしたが、今年に入って自分の中で関心が強くなっています。
「育てる」「育む」という世界がそこにあるからです。
植え替えたオリーブが勢いよく若葉を生やす。
剪定したガジュマルも小さな葉や枝を出す。
ペチュニアは一つ花を咲かせました。
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弁護士がかかわる世界、特に訴訟は、「断つ」「打つ」というはたらきが強く出てきます。
当事者同士で話をしていても話が通じないという状況の中で、状況を打破するためには、このようなはたらきが必要となるからです。
もっとも、「断つ」「打つ」という作用は、副作用もあることから、打たずして目的を達成できる方がよく、使い方を考えて用いるということが大切なのではないかと考えています。
武術の世界では「武」と「産」は一体であると言われることがあるようです。
「武なる字は日本においては「む」となり、「む」は「むす」「むすぶ」「むすこ」「むすめ」の「む」、「産む」の「む」にあたる。「むす」の本義はものの生ずることである。武即産であり、両者一体の通義である。武は産と共に、文と共に、我が国の生成発展・修理固成の重大機能をなしていることを興味深き一致としてさとり知るべきである。」(『闘戦経 釈義』笹森順造より)
合気道でも、「武産合気」(たけむすあいき)という言葉があり、やはり「武」と「産」、荒魂と和魂の和合が説かれています。
「断つ」ことの効用。
それは、相手を打ち負かすというところで止まるのではなく、さらにその先の世界が広がるきっかけをつくるものであると思われます。
「注意すべきことは、このたち割るはたらきは、単に一を分けて二分の一とし、また四分の一とし、細かくわけるのみではないことである。そこには成長増殖の力がはたらき、二分の一を育てて二分の二とし、四分の一を育てて四分の四とし、それがさらに分かれつつ、成長しつつ、増殖してゆくのである。」(『闘戦経 釈義』笹森順造より)
いま、剪定したオリーブの枝を用いて、差し芽にも挑戦しています。
しばらく続けていたものの、まあ無理かなと思って、
先日、いくつか土から出してみたら、
小さな根が生えているものが一本、
枝が少し変形しているものもいくつか見つかりました。
まだまだうまくいくかはわかりませんが。
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一が二分の一にわかれ、二分の二に、そして四分の四になっていく世界を、この小さな世界で確かめているところです。