会社にとって創業期の持つ意味
人にとって乳幼児期の影響が大きいとすれば、
会社にとって創業期の持つ意味もまた
大きいものがあると思われます。
今、1960年に刊行された、
ある会社の社史を改めて見返しています。
「そこで夫婦は力をあわせて働いたが、
なんとしても片いなかでは末の見込みがない。
いっそ東京へでも出てひと奮発してみたならばと相談しあい、
ひとあし先に(夫)が出京し、あとから(妻)は(子)を背負い、
わずかな旅費を懐中に、
笹良川から水かき舟に乗って渡良瀬川をくだり、
さらに利根川をくだって、東京深川の高橋に着いた。
明治十一年十一月、(妻)が二十七歳のときであった。」
「こうして夫婦は上京してから半年ばかり、
それからそれへと仕事に迷い、
その日の仕事にもさしつかえる窮迫の身となった。
夫はたよりにならず、(子)は空腹に泣くのをみた(妻)は、
意を決して、いなかで習いおぼえた〇〇をはじめることにした。」
これがこの会社の創業に向かう流れです。
事業は軌道に乗り、
この時の「子」も大きくなって、「妻」を迎え、
会社はさらに大きくなり、
さらにその二人の「子」が
その後会社を継ぐことになりました。
この社史は
創業者の「孫」にあたる1960年当時の代表者が、
「祖母、父、母の三代の家族が、
明治のはじめから働きつづけ、
その日の糊口をしのぐ労働から出発して、
今日の〇〇という一つの企業の礎をきずいてきたその足跡」
の記録として作ったものであり、
特に「母の生涯」について書き残すことを企図して作られたものです。
(祖母、父についてはすでに以前まとめられた記録がある)
だから、
「母」のエピソードも多く盛り込まれています。
「〇〇は、名誉心や虚栄心には無縁であったが、
それは〇〇が、自分をも他人をもはだかの人間としてしか
扱わなかったことからきている。
〇〇は、富貴権勢の前にいしゅくしそうになる人たちに向かっては、
よく、
『人間ははだかにすりゃ、みな同じだよと。』といって、はげましたが、
自分自身もつねにその考えに立って周囲とつきあっていた。
だから一方では、ものに動じぬ、
一方では謙虚で庶民的な行動が生まれてきたのであろう。」
前書きにはこのようにあります。
「くりかえしてくどいようであるが、
本書に書かれた歴史は、
一つの家族が、明治のはじめ以来、
生きんがための手仕事(生業)、
小企業、中企業という形で、
明治・大正・昭和の時代を生き抜いてきた記録である。
一滴の水が泉となり、谷川となり、小川となった生態であり、
一粒の種が地に落ち、芽を出し、
一本の木として延びてゆく道程の記録である。
それは株式会社という利益目的のためのグループとして植栽されたものではない。
水源地として造られたダムから流れ出る川でもない。
そこに書かれたことがらは、
筒袖尻っぱしょりの町工場のおかみさんの姿であり、
下町の庶民生活の一断面である。
けっしてモーニング姿や紋服の図ではない。」
この本が作られてから
さらに60年が経っています。
契約書や覚書の作成といった作業は、
相手方との合意の「結果」を形に残すものですが、
「どのような合意を目指すか」については、
誰もに通用する一律の答えがあるわけではありません。
その会社が相手方、取引先、従業員等との間で
どのような関係を取り持とうとするのか、
という志向性、考え方等にも左右されます。
その会社が有している基本思想を
理解したり感じたりすることは、
私にとっては、
個々の業務を行う上でも
参考になるものと思っています。
この社史は「非売品」なので、
一般にこの本が流通しているものではありません。
6年前、私はたまたまアマゾンで見つけて
手にすることができました。
実際のところは、
知って関わるのと知らずに関わるのと、
具体的にどれだけの違いがあるのかはわかりません。
でも、やはり、
何か違いはあるのではないかなという気がします。
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