初任給は期待と現実のギャップを埋められるのか
初任給の意味を調べてみた。
労働者が入社時に定められる賃金で、通例、基本給の額として規定されている。新規学卒者に対しては、中学卒、高校卒、大学卒など学歴別に定め、中途採用者については、在籍労働者とのバランスと世間相場とを考慮して定められる。年功賃金制度をとる日本の場合、その出発点となる新規学卒者の初任給が特別に重要な意味をもっている。(日本大百科より)
日本でいう初任給は出発点となる新規学卒者の初任給であることがおおい。そして、いまこの「初任給」について企業でさまざまな動きが出てきている。今回のCOMEMOテーマ企画は「#かわる初任給」である。
最近の学生は給料の良い会社で働きたい?
ちょうど深夜寝つけずに部屋の掃除をしていた。いろんな紙類が入っている箱の中を整理しようと封をあけてみたら、社会人1年目のときの源泉徴収票がでてきた。なんだか自分がおもったより貰っていた給料が安かったことに驚いてしまったが、実際わたしたちが就活していたころの初任給なんてこんなもんだったよなあ、とおもった。
現実志向の学生が増えているといわれている昨今、初任給を気にする学生が以前よりも増えてきているのも事実だ。マイナビが行った2020卒学生の就活意識調査では会社を選ぶポイントとして「安定している会社」(39.6%、前年比6.6pt増)、「自分のやりたい仕事(職種)ができる会社」(35.7%、前年比2.4pt減)そして3位に「給料の良い会社」(19.0%、前年比3.6pt増)が入ってくる。
たしかに、昔も一般職は給料が低いから総合職にしようとか、どんなにおもしろそうな職種であっても初任給がなんとなく均衡値かなと思う基本給以下だった場合ちょっとやめとこうと思ったりすることはあったなと思ったことはあったが、「給料の良い会社に行きたい」というダイレクトな声は周囲を見渡していてもそこまで強くなかったようにおもう。
でも普通に考えたら給料は低いよりも高いほうがいい。そして、この「給料が良い」は単純に給料水準がいいという話だけではなく、「ちゃんと自分の能力を評価をしてもらえる会社で働きたい」という想いも内包されているのではないかと個人的には考えている。
優秀な若手が確保ができないという悩み
単純に給料の高い低いとかそんなはなしではない。いま企業が動きだしているのは、より優秀な人材を確保するための施策の一環としての初任給だ。
ニュースになっていない企業でも、優秀な学生を採るために工夫をしている企業はたくさんある。学生側にも選択肢があふれているいま、優秀な若手の人材を採用するのは難しくなってきているのだ。
個人的に、今回の初任給優遇のような企業が求める一定水準を超えた人材に対して初任給に差をつけるのは賛成ではある。優秀なひとはしっかりと見合った評価と対価を得られるべきだし、それによって企業が人材の流出を防いだり、他社よりも優秀な人材を獲得するのにはある一定では有効だとおもうからだ。
どうしても一括採用のように各社が横に並んで採用試験を行っているなかでは、企業が欲しいと思っている人材がなかなか思うように採用できない。こうなってきたいま、このような施策を含めた企業の採用力も問われている、そう感じている。
もし期待と現実にギャップができてしまったら
心配になることが1つある。それは、この採用枠で期待されて入社したひとたちが入社後に能力を発揮できなかった時のことである。活躍できない人はもちろん採らないというのが大前提なのだろうが、優秀だからといって周囲の環境が整っていないと、本人も意図していないことが原因で脆く崩れてしまっておもったような活躍ができない可能性が十分にある。
入社したらあのひとは特別人材だとカテゴライズされて、期待された通りにその道で走り続けざるをえない。先輩たちからは過度な期待と共にもてはやされ、同期からも距離が離れてしまうかもしれない。そんなときに本人が心おれずに、本来企業が期待していた能力を心置きなく発揮できるような労働環境や会社の雰囲気、周囲の理解は企業側としても整備をしておく必要があるのではないだろうか。
また、特別人材だけでなく普通の新入社員として入社したひとも、入社後に努力をしその能力を自ら開花させたときには、どうかちゃんと評価される制度も整えていてほしい。たとえ入社時に期待されていなくても、その後に力を発揮できるような仕組みをつくったり、ちょっとした活躍を見守るような環境は、思わぬところで会社にとって良い価値が還元される可能性を秘めているとおもう。
いずれ就職試験にスムーズに通るための就活塾ではなく、優秀人材として選抜されるための育成塾が盛り上がってくる日もそう遠くないかもしれない。
日本企業がいままでの横並び文化をよしとしていた意識変えることで、本来のあるべき姿、よりよい方向に人材が活性化していくことを願う。