「蚊帳の外にいる」な発言への強烈な違和感
「なんか、一人だけ蚊帳の外にいるのでわかんないんですよね」
なニュアンスのメールをふと目にしました。
私が直接かかわってる案件ではないので、
どんな背景や経緯でそんな表現を
つかったのかは推し量れませんが、
蚊帳の外、っていうワードに、
正直、すごく違和感を感じました。
違和感というよりは、がっかり感。のほうが
より近いかも。
何がそう感じさせてしまったのか。
、、、
圧倒的な他人事なんですよね。
「違う!」と激高されるかもしれないですが、
馬券のオッズ1.1倍くらいの割合で、
他人事でしょう。
「蚊帳の外」の由来
蚊帳の外、って意味を認識合わせのために書くと
蚊帳とは、寝具の1つです。
昔は、寝るときに蚊に刺されないように蚊帳を使ってました。
イメージが湧かない人は、
蚊帳の魅力を紹介している
以下のブログ記事をご参照ください。
(記事作成者とは、ビジネスのつながりはありません。単にわかりやすかったのでこ紹介を。)
蚊帳の外にいると、蚊に刺されてしまいます。
蚊帳の中に入るためには、昔は
身分や階層が厳格に決められてたんです。
それらが転じ、
・友人や家族で自分だけが関心を持たれてない
・他の人たちが楽しんでいる中で自分だけが取り残されたりする
ような場合に使われます。
立場が弱い人をさすのが、「蚊帳の外」という表現です。
当事者が発する「蚊帳の外」への衝撃
ビジネスにおいては、"蚊帳の中"にいるのは
間違いなく当事者です。
当事者は言いすぎだとすると、関係者です。
当事者はずが、蚊帳の中ではなく
蚊帳の外にいると感じてる。
その状況を理由に、自身が情報を知らないことを
正当化している。
ここです、私が違和感を感じた部分。
何が違和感なのか。
なぜ、「蚊帳の中に入れて」と
いい大人が言えないのか。
幼稚園児でも、友達が砂場で遊んでいたら
「いっしょに混ぜて」って伝えて
一緒に遊びます。
いい大人なのに、それができない。
さらには、できないことを
他の関係者が「蚊帳の中に入れてくれない」と
いわんばかりに自分を正当化しようとする。
ここには、当事者意識といわれるものの
欠片は、申し訳ありませんが見つけられません。
反面教師から学ぶこと
もし、
(あれ、もしかして私、蚊帳の外にいるかも)
と感じたときにやれることは、3つです。
①蚊帳の中に入れてもらうか
②蚊帳の外にいる状況を受け入れるか
③蚊帳がある部屋から出ていくか
①は「蚊帳の中に入れて」って言うだけです。
なんですが、2つのブレーキがあって、
・プライドが邪魔して言えない
・入れてと言われても断られるかも、な恐怖
の2つです。
プライドが邪魔して言えないのであれば、
蚊帳の外の状況を受け入れて、
それ以上何も言わないほうがいいです。
ビジネスであり、プロである以上、
自分のプライドよりは、結果が最優先。
結果を出すことを、自分のプライドのために
怠るのなら、結果でなくても仕方ないですよね。
むしろ、業務サボってる、とマイナス評価でも
いいくらい。
「オレだぞ/私だよ。
蚊帳の中に入れてくれるよね」
な意識がもしあるなら、
その意識が、周囲の感覚とズレてるかもって
気づかないといけないです。
重要人物・キーマンなら、すでに
入れてもらってるはず。
それが、現時点で入ってないという事実は
そういうことなんです。
輪の中に入りたくても入れない。
入れない理由を知ること。
入れない理由は恐らく、
めちゃくちゃ痛いし傷つくかもしれませんね。
でも、それが自身と周囲の解釈とのギャップ。
他者の解釈を知らない限り、
いらないプライドを身にまとって生きつづける、
周囲は近寄りがたい存在になってしまいます。
そんな人は、②蚊帳の外にいる状況を受け入れる
なんてことはできないでしょうね。
でも、蚊帳の中には入れないんです。
イライラして周囲にハラスメントを
まき散らしかねません。
反面教師として、そうなるまいと誓うのなら、
そう遠くない未来に
③蚊帳がある部屋から出ていく、
つまり、担当を外れて当事者でなくなる選択を
してその場を"退場する"
のが、いい落としどころです。
まとめ
当事者なのに蚊帳の外とか言っちゃう時点で、
存在する価値に疑問符があることを
認めてることと同義です。
そう感じたのなら、恥も外見も捨てて
「蚊帳の中にいれて」
って言わないといけないです。
だって、それがプロだから。
プロとして振る舞えないなら、
契約は打ち切られます。
企業に勤めるサラリーマンだと、この点が
希薄になりがちですが、
サラリーマンも、業務のために
人生の大事な時間を差し出すかわりに
給料や賞与をもらうプロです。
プロならプロらしく行動するのって
すごく当然ですよね。
自分のプライドでこの行動を妨げるなら
そのうちプロとしての生活は
難しくなりそうです。
私はそうならないよう、
プロらしく生きていきます。