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選択の失敗を悔いても、何も変わらない

人生40年を過ぎると、大小問わずに
人生の分岐点でいずれかを選択して
今を生きてます。

その分岐点、いまも

「あの時、こうしていれば…」
「あっちを選択してたら今頃は…」

と思い起こしては悔んだり、
選択しなかった方の未来を妄想したり。

20代とか30代前半は
めちゃくちゃ妄想しまくってました。

ただ、30代後半以降になって、
ゼロではないですが減りました。

理由は、虚しさと時間の浪費、の気づきです。

昔の選択を思い出したら、なにしてる?


別に隠すことでもないんですが、私は
大学受験で第一志望に合格できなかったんです。

もしあの時合格してたら
合格のためにもっと勉強してたら
試験と重なった自然災害がなかったら

なんて考えて、合格した時の未来を妄想します。

就職で第一志望に就職できなかったときも同じ。

色んな選択をして生きてるだけあって、
色んな「もし」を考えることができます。

おそらく、楽しいですよね。

妄想の未来は、いくらでもバラ色にできるし、
今の未来よりもいいように考えがち。

でも、事実、その選択をしなかった。

その当時では、あなたなりに考えて
ベストな選択をしたはずです。

両親とか頼りになる人に相談した結果、とか
選択そのものができなかった。
もあるでしょう。

でも、選択肢が一択であれ、複数であれ、
選択した事実は変わりません。

もし今、親の手を離れてて、人生を
両親とか頼りになる人のせいにしてるなら、
人生をのかじ取りを他人に預けないで欲しい。
です。

人生は、両親のためにあるのでもなく、
頼りになる人のためにあるものでもない。
人生はあなた一人のためのもの。

判断はあなたの意志で行い、その責任は自らで
背負ってほしいです。

であるなら、
あなたの人生は
ベストな選択をして今に至ってます。

ベストとはいわずとも、当時の選択肢の中で
ベターなほうを選んでます。

時代が変わり、今では価値観も変わって
選択肢の優先が変わってるかもしれないですね。

もしそうならば、
今の年齢で、当時の選択肢が
目の前に現れたら

当時と同じ選択しますか?
違う選択しますか?

年齢をはじめ、周囲の環境はまるで違います。
前提条件が当時と今では全く違うんです。

その違いを受け、選択する選択肢が変わるのは
当然なようですが、

案外と別の選択肢を選ぶ人は
そう多くないのでは。が推測です。

理由は、
今と違う道を今から帰るのがめんどくさい

結局は今の選択肢がベターなんです。

そんな事実を直視したくないとき、
人は過去を思い出し、
再び選択しなかった場合を妄想します。

たまに昔の選択肢を思い出す理由


前半で、
「昔の選択肢を思い出すのがゼロではない」
と書きました。

選択肢の良しあしというよりは、
「なぜ私がそっちを選択したか」の
理由や要因を分析するために、
過去とその選択肢を思い出すことはあります。

意外と「なんとなく」で
選択してるケースもあります。

そのなんとなく、ってなんなんだ?

ここを言語化できることは、今後の残りの人生で意味あるものになります。
若いと、やり直せる時間はありますが、
歳を経るとその時間がない。

時間がないので、
選択肢の選択は、慎重になります。

または、
選択をやり直せる程度に
低リスク・短期間に限定して
選択したくなります。

なんとなく、を言語化できると
条件として明記できるようになります。
すると、選択の前にチェックができるように
なります。

その結果、リスクを減らせます。

人生の選択肢で「なんとなくを減らす」
のは、限りある時間の有効利用のためには
必要と考えてます。

まとめ:総じて人生の選択はベター


人生に失敗した、と思ってる人は、
別の選択肢をとっていたら成功してた、と
言えるのか。

成功してた可能性は否定はできないですが、
その選択肢は良くても、次の選択肢で
失敗するかもしれません。

つまり、
どの選択をしたとしても、必ず成功するなんて
保証はありません。

そう考えるより、
人生に成功した、って言う要因は
1つではないけど
成功になる選択を少しずつ積み重ねて、
今がある

と考えるほうが、人生前向き。

当時はベスト/ベターな選択をしてきた。

そのおかげで今があるんです。

環境変化でコントロールできなかった選択も
あるでしょうが、いずれかの選択を選んだから
今を生きてる。周囲に今の環境がある。

そんな今を認めること。

この視点があれば「選択の失敗」なんていう
ワードを気にすることはなくなります。

全ての選択がベスト/ベターなんですから。