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感謝に気づきにくい"鈍感さ"の処方せん

いきなりですが、世の中には
「ありがとう」って言葉が多く発する人と発しない人がいます。

おそらく、
【発しない】んじゃなくて、【発せない】んだろうな。と推察してます。

つまり、【発せない】人は、
「ありがとう」って感じてない
  ↓
「ありがとう」っていう機会がない
  ↓
「ありがとう」って発せない

な流れ。

ちなみに【発しない】ひとは、
「ありがとう」って感じはしてる
  ↓
でも、言わない。

結果はどちらもありがとう、って言ってない点では同じですが、
明らかに異なります。

この【発せない】人が、実は増えてるんじゃないかと仮説たててます。特に40代から70代のあいだに。

ありがとうを感じないのは、なぜか


ありがとうを感じるには、

「何かをしてもらった」と気づくことからはじまります。
初めてその体験をしたとき、ありがとう!と感じるテンションは
劇的に高くなります。

大事なのは、
「何かをしてもらった」が2回、3回とつづくと、

それを「当たり前」「当然」

と感じてしまいがちになること。

で、それがなくなると

「なんでなくなるんだ!代わりを準備しろ」と怒り出す人
「もっと大事にすればよかった」となくなって初めて悲観する人

に大きく分かれます。

会社勤めのひとは、

・毎日、定刻に電車が到着して通勤してること
・会社がキレイに清掃されてること
・お昼になったら、昼食を食べられること
・定時にお店がオープンすること
・寝るまで電気・ガス・水道とWifiや電話が使えたこと

これらを当然と思ってるでしょう。

で、

電車が遅れると「怒りをあらわにする人」がでてくる
お店が臨時休業だと「二度とこない」とSNSに書き込んでみたり
停電すると「早く復旧しろ」と圧をかけたりする。

人がいる。

これは、当然である状態ができなくなった事実に対し、
「裏切り」と解釈しちゃってるから、
それが怒り、という表現で出ちゃってる。

人って一旦便利を味わうと、不便に戻れない。
生活レベルを一度上げるとなかなか落とせないのも、上記が
根っこにあります。

なので、仕方がない面もあるにはあるんですが、

便利になるほど、人の活動による成果や結果に対して鈍感に
なってるな。と感じます。

一時期、たくさん読まれた書籍のタイトル"鈍感力" が、
書いてる内容とは違う形で発揮しやすい世の中に
なってるんでしょう。

知ってる人は知ってますが、

・毎日、定刻に電車が到着して通勤してること

なんて世界中で見渡すと、マイノリティ=非常識ですからね。

ありがとうを感じる感度を高めるには


感度を高めるには、
「"当たり前" に目を向けて、小さな行為に感謝しよう」

なんですが、これ言ったところで、
何も変わらないです。
変われるのは、ごく一部です。

意識変えて行動できる人は、ほんとに少ないんですよ。
意識が変わんないから。
なので行動も変わらない

なので、

行動を先に変える。
具体的には、

「ありがとう」を1日100回言ってみる。

ありがとうって感じるか感じないかはどうでもよくて、
「ありがとう」って機械的に100回言ってみる。
毎日言ってみる。

(意味ないじゃん)って思うでしょうが、

【発せない】人への訓練です。
発する機会を作ってます。

冒頭に書きましたが、

「ありがとう」って感じてない
  ↓
「ありがとう」っていう機会がない
  ↓
「ありがとう」って発せない

冒頭に書いたことの再掲

を、逆からやるんです。
具体的には、

「ありがとう」って毎日100回発する
   ↓
「ありがとう」っていう機会を強制的につくる
   ↓
「ありがとう」って感じる(※1)

嘘くさいですよね、特に(※1)。

でも、
"冒頭に書いたこと"が、"なぜ?"  "なぜ?" と
論理的につながるなら、
矢印の順を変えても成り立ちます。

(もしつながらないなら、どこかで何かを
 間違えてますね。ぜひ教えてください)

感謝を感じる力と高めたいなら
「ありがとう」と言う機会を増やす。

試してみたいな、と感じていただいた方は
試してみていただきたいです。

最後に


「ありがとう」という機会を増やす。

3週間ほどやれば、見える景色が少しずつ変わります。

この方法は、私自身が20年ほど前に実践して、
感謝知らずなクソ人生を歩みかけてたのを
とめてくれました。

このきっかけがなかったら、今頃は
電車が1分でも遅れたらイライラして文句言ってるでしょうね。

私がなりたくないおっさんにならなくて済んだ方法です。

試したいなー、と感じた方は
お試しいただけるとうれしいです。