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大学院生は建築士試験を受けるべきか?
先週、「建築士試験に於けるメンタルの整え方」という記事を書きました。
読んでいただいた方、ありがとうございます。
今回は、
大学院生は建築士試験を受けるべきか、について書きます。
悩んでいる人もいるんじゃないかな。
短く簡潔にしたいと思います。
ただ、思っていたより面白く書けず、反省しています。
最後に謝罪をのせているのでそこも読んでいただけますと幸いです。ごめんなさい。
※【条件整理】
研究室の活動や修士論文に集中することが良いのか
もしくは
資格学校に通って試験に集中するほうが良いのか。
今回、留学やアルバイトなどは考えず、ありがちな上の2択で考えることにする。
※【目的】
「建築士試験は社会人になってからで良いので学生のときにしかできない事をしてください」と話す無関係の大人の意見は、学生の「自由な選択」を奪っている。
また、「学生のうちに合格するべき」という資格試験で金を稼いでいる大人たちのポジショントークも同様に「自由な選択」を鈍らせる。
私は、読んでくれているあなたが資格を取っても取らなくても、どちらでも良いと思っている。「どしたん?話聞くよ?」とそこに優しく語り掛け、「ワンチャン狙っている」だけなのである。
※【場合分け】
まず場合分けが必要だと思う。
君は①と②、どちらのタイプだろうか。
①大海原タイプ
・活動的な研究室、もしくは名門の大学に所属していて、毎日夜遅くまで研究室にこもり制作活動を行っている人。毎日苦しい日々。でもそれが楽しかったりもする。プロジェクトがいくつも動いており、正直体力的にきつい。本当に自分がやりたいことなのかわからなくなったり、周りの優秀なみんなは才能にあふれているように見える。
②井の中の蛙タイプ
・地方の大学や、専門学校など、情報格差に悩む。SNSで見る建築学生たちがキラキラして見え、羨ましかったりもする。ただ、有名大学に負けたくないので、コンペに挑戦して、毎日充実している。建築が好きで、周りより知識があるので、自分の学校で優秀賞などを取ったりする。
自分はどちらに当てはまるか、考えてみてほしい。
どちらにも当てはまらないという人はこう考えてみるとよいかも。
「今の環境は"保守本流"か?」
もしくは、スポーツに例えたときに「強豪校か、弱小校か?」
このように考えると、どちらかに当てはめることができるかもしれない。
※【結論】
さて、
①大海原タイプ
②井の中の蛙タイプ
この2タイプのどちらかに自分を当てはめることはできただろうか。
結論であるが、私はこう考えている。
「大学院生は建築士試験を受けるべきか?」
①大海原タイプ⇒受けるべきではない。
②井の中の蛙タイプ⇒受けるべき。
※【結論に至る根拠】
「困難なほうの選択肢を選ぶこと」が重要だと考えている。リスクをとったほうが人は成長できると考えている。ただ、それが行為として「一意に定まらない」ということを認識することが大切だ。
私は上の言葉選びが好きだが、日本語があまりに下手なのでChatGPTにわかりやすくしてもらおう。言いたいことが伝われば嬉しい。
1. 困難な選択肢を選ぶことが大切:
簡単な道を選ぶのではなく、あえてリスクを取って難しい選択肢を選ぶことが、成長に繋がると考えています。難しい選択肢を選ぶことで、知らなかった自分の力に気づけたり、新しい経験を得たりできるからです。
2.でも、その選択肢が一意に決まるわけではない:
どんな選択が正しいかは、状況や人によって違うということです。つまり、どの選択肢が最善かは決まっていないし、答えが一つではないということを理解することが大切だということです
大海原タイプの君は、情報にあふれている保守本流の「競争」につっこむべきだと考えています。それはリスクにあふれていて、競争に負けて潰れる人もいると思います。ただ、私は負けていいと思っている人間ですのでそこに突っ込んで全力で負けろ、と思うわけです。
言ってしまえば、建築士試験勉強というただの、くだらない資格試験に逃げずに堂々としておいてほしいのです。
井の中の蛙タイプは逆に、建築士試験という競争に突っ込む選択肢もあるのではないかと思います。建築士試験は簡単には受かりません。ほとんどの人が落ちるでしょう。そこに突っ込むリスクにかけてみても良いのではないかと思うのです。
※【謝罪】
この記事を書いたことを、書いた後に読み返した今、反省しています。
大変申し訳ございません。
参考にならなかったよね。
書いた後に、「ほんとにこの記事って面白いか?」と思ってしまい、自信がなくなってしまいました。つまらない記事を書いてしまったことに反省しています。少しでも、どこか一部分でも面白く感じてくれたらうれしいな。
「どの選択肢が最善かは決まっていないし、答えが一つではないということを理解することが大切だということ」が言いたかった。ChatGPTがわかりやすく説明してくれた部分だ。
「建築士試験に挑戦するおれかっこいい」とか、逆に「建築士試験を勉強してる彼はださい。」と簡単に決めず、自分の気持ちと真摯に向き合ってみてほしい。
「勇気」「挑戦」「リスクをとる」みたいなカッコいい言葉は意外と奥が深くて、なにをするべきかって簡単には定まらないんだよな。
で、そこを逆手にとって「勇気をツール化せよ」という"本当の意味で有用な結論"に至るわけだけど、それはまた別の機会に書きますね。
「勇気をツール化せよ」というのは、勇気をただの感情や一時的なものとして使うのではなく、意識的に使える「道具」のように捉えよう、ということです。つまり、勇気をうまく活用して、状況に応じて使いこなすことで、自分の成長や選択をより良くできるという考えです。