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建築士試験に於けるメンタルの整え方
この記事を読んで欲しいのはこんなひと。
・建築士試験をうけようか悩んでいる大学院生
・会社に資格取ってほしいと言われているひと
・試験勉強のモチベーションを保てない人
今回のテーマは建築士試験のメンタルの調整方法について。
この試験は、厄介である。・・・①
建築士試験を表す「足の裏の米粒」という有名な言葉がある。
この言葉は秀逸で、「取らないと気持ち悪いけど、とっても食えない」ということを意味している。残酷な比喩表現である。資格を持っているからといって何があるというわけでもないのだ。
医者は、医師国家試験を通過しなければ仕事ができない。しかし、建築士は資格を取らずとも仕事ができてしまう。だから資格を後回しにしてしまいがちである。
そういう意味でも、この資格は厄介だと思う。モチベーションが上がらない。
それに加え、合格率の低さや資格学校の金額が高すぎることもあり、相当に難儀な試験になっている。
この記事の目的は下記である。
「一切の言い訳を排除すること」
大学院1年生の年に一級建築士学科試験「合格」、
同じ年、製図試験「不合格」、
大学院2年生の年に製図試験に「合格」した。
いまは社会人2年目なので、今年度で実務経験2年を終える。来年度に一級建築士登録をする予定である。
1年目学科試験(令和3年)「タイプじゃない。土俵の問題だ。」
私は、意匠系の研究室に所属していた。
意匠設計(建築設計)の道に進むことを志している建築学生であった。
私より先に友達が一級建築士学科試験に合格した。
その友達は、材料系の研究室だった。
そんなときに思う。
「彼は真面目な性格だから。彼と自分とはタイプが違うので、自分の道を進もう。」
事あるごとに「足の裏の米粒」の話をされたし、「一級建築士だからといって良い設計できるとは限らない」といった話を毎回聞かされていた。
そんな言葉を盾にして、自分に言い聞かせていた。
アカギという麻雀漫画がある。私はそれをアニメで見ていたのだが、当時感銘をうけた言葉があった。
相手:「俺とおまえはタイプが違うんだよ。」
アカギ:「タイプじゃない。土俵の問題だ。要するにお前はまだギャンブルという土俵に上がってないんだ。」
このアカギの言葉を聞き、猛省する。
一級建築士試験に真摯に向き合う友達、偉そうに大きな夢だけ語っている自分。土俵にも上がれていないと認識した。
タイプの問題ではないのだ。
土俵の問題だ。・・・②
そこから学科試験の勉強が始まった。
1年目製図試験(令和3年)「今年受かったら不幸になる」
無事に学科試験を突破した。
細かくは書かない。
この記事は合格体験記ではない。ましてや勉強方法についてのありがたい記事の諸々とも完全に区別されたい。
法律が変わり、
建築学生でも試験を受けられるようになった。
大学院1年生の私は運よく学科試験を突破することに成功した。
休学中であったが、教授にも報告した。
清々しい気持ちであった。
2か月後に製図試験を受けられる。
製図試験の方が、合格する謎の自信があった。
まだ勉強を始めていもいないのに。
ただ少しの不安があった。
このままストレート合格して良いものだろうか?幸せが待っているのか?
「このまま学生のままストレート合格して、自分はできる人間だなどと勘違いをし、他人に厳しい設計者になってしまわないだろうか。人の痛みの分からない建築家になってしまわないだろうか。」
そしてはっきりと、
今年このまま製図試験を合格すると私は不幸になる。・・・③
と結論付ける。
長い目で見て、ここは負けるべきだ。負けて、優しくなるべきだ。
そうして、遊んだ。
日建学院に通いながらも、努力をせずに怠けた。
「不合格になることができるか?」と逆向きに走った。
そして、落ちる。
ランク4で不合格。ランク4は重要な法的不適合があり採点もされない最低のランクであった。
悔しかった。
落ちることができたが、本当に落ちてみると、かなりショックだった。
![](https://assets.st-note.com/img/1737258730-9plSUmAQ16tbM2nEBs4wR8aL.jpg?width=1200)
ランク4だったことを友人に伝えると、笑われた。
この惨めさが重要だと思っていた。
ここで伝えたいことはなにか。
ストレート合格なんて「くそくらえ」
そんなどうでも良いことにこだわらなくてよい。
これを読んでいる人の中には、製図試験を1回落ちて、2年目、3年目を受ける状況にあるひともいるだろう。ストレート合格主義だったあなたは1回落ちて落胆して自信をなくしているのではないか。
落ちることができた。
ここに最大限、悦びを感じよう。
誇りをもって不合格通知書を友達に見せて、笑われて、一緒に笑ってまた来年。今度こそ合格を報告しよう。
バットを振って、思いっきり空振りできた。これはすばらしいことです。
ストレートで合格できなかったあなたは弱者ではないので、「かわいそうなわたし。。わたしってだめな人間なんだ、、」は聞いてられないのでやめてください。
そんな負け惜しみはさておき、
ランク4の不合格通知書を見て落ち込んだ。
製図試験をあと2回しか受けられない。その事実に愕然とする。
2年目製図試験(令和4年)「"学生で時間があるのに落ちた人"になりたくない」
大学院2年目になり、製図試験は2回目の年になった。
この年は絶対合格しようと思っていた。
不合格はもう、うんざり。
しかし、研究をしないと卒業(修了)できないので、時間をあまりかけていられない。日建学院の講座は7月からの短期コースと決めた。まわりの受験生は社会人が多く、自分だけ時間を投入して資格を受けるのは少しズルいようにも思ったり。
Twitterでは、関係ない大人たちが議論している。「学生のときに試験をうけるべきか?」「大学が資格学校化するのは問題だ」と大人たちは言う。
「資格勉強は社会人になってからで良いので、学生の時にしかできないことをやってください。」
だまれクソ野郎。
学生はその議論を、静かに見ている。大人が決めたルールなのに、別の大人が別の意見を言う。心が揺れ動く。「学生のときに試験を受けることは悪なのか、、?」と、思う学生もいるのではないか。
甚だ無責任だと思う。
しかし私は、「学生で時間があったのに落ちた人」のレッテルのほうを恐れた。・・・④
そう考えると、全く景色が変わってくる。Twitterの大人の議論は完全にお門違いで、馬鹿げていることが理解できた。
日建学院に通っているまわりの人はみんな、仕事や育児の忙しいなかでこの資格を受けているのだ。しかし私には時間があるじゃないか。学生は時間があるからこそ、受からなければならない。
この恐怖と戦うことが勇気なんだと理解する。
「時間があるのに受からなかったの?」という声だけを恐れた。恐怖は勉強を加速させた。
一切の言い訳を排除すること
戦争だろ。。?
このくだらない試験を絶対に許すな。上司にも家族にも友人にも、試験制度にも、この記事にも、イライラしてください。
戦争だろうが、、!
![](https://assets.st-note.com/img/1737261025-7TsUz6RHmLXEfNjPW4tqBhDe.png?width=1200)
②・・・建築士試験から逃げたいあなたの言い訳はすべて否定された。
③・・・ストレート合格主義のあなたのネガティブな言い訳は否定された。
④・・・学生の"崇高な"言い訳は否定された。
これまでの文章は、あなたの一切の言い訳を排除することを目的として書いている。何かチカラになれたら、うれしい。
最後に大事なことを書きます。
今まで書いたことと真逆のことを言いますが、
息をするように合格してください。・・・⑤
毎日の、日常の流れで合格してください。そんなに意気込まないでください。足の裏の米粒なんて、軽く払って気にしないでください。
これを読み終わったあとに、全集中し、気持ちを込めて両手で「パンっ」と強く音を鳴らしてほしい。「パンっ!!!」 次の瞬間、タイムスリップしてあなたは合格通知を見ていることでしょう。
それくらい軽くやってみようぜ。
P.S.
まず、試験までの勉強スケジュールをたててください。
できるだけ早く問題集を1周してください。
その後、問題集を3周してください。
人権がないので、苦しくないのである。人権があるから苦しいのだ。「基本的人権の尊重」「法の下の平等」それはそれは、たいそう立派なマニフェストではあるが、僕らは守られているがゆえに破滅願望などという,〈当たり前の欲求〉をべらべらと他人に話したりするのであって、例えば、「3周するまで人権がない」というテーゼを信仰するだけで破滅願望なんていう滑稽な厨二心に陥らないですむわけだ。これは〈救い〉である。ぼくらの心の奥底にいる、人権を破棄したいと希求するぼくら。これは〈反逆〉である。これは〈愛撫〉である。これは〈舌なめずり〉である。