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友人の死に直面した日


あれは、中学生になりたての頃だったと思う。
ずっと二人で一緒に勉強していた子が急に塾に来なくなり
「通う曜日が変わったんだ」と先生に言われていた。


その一年後、塾の先生から告げられた。


本当は塾を辞めていたこと。
辞めた理由は、癌を患ったからということ。
そして先日亡くなったということ。


とにかく衝撃を受けたのを覚えている。


親には内緒で、
しばらく疎遠になっていたその友人のご自宅に電話をし、
仏壇を参りたいとお願いした。

当時の私は、罪悪感を感じていた。
「なぜ私は、先生の話を鵜呑みにしてしまったのだろう」
「もっと早く知れたら病院にへお見舞いに行けたのではないか」
「私に出来ることはもっとあったんじゃないか」と。

そんな中、「仲良くしてくれてありがとうね」と
療養中、必死に描いたんだろうなという手紙が、
塾でよく見ていた友人の文字をみて、
後悔が重なりに重なった。本当に悲しかった。


一方で私は、
この世からその子が居なくなってしまった、
という実感が湧かなかった。

もう会えないという実感もないし、
ただただ遠くに転校してしまったような気持ちがしてならなかった。



人の死はきっと、こんな感じなのかな、と大人になって思うことがある。
多分、一生死を受け止めきれなくて、
全国どこか探せばいるような気持ちになるのではないか
、と。



実は生きていることより
「死なないこと」の方が奇跡なんじゃないか、
と思ったりもする。

いつ不慮の事故に遭ってもおかしくないだろうし、
いつ感染病にかかっても可笑しくないだろうし。


別に生きていることが正しいなんて思わないし、
人それぞれ死にたくなる理由なんてあるだろうし。

どういう考えを持っていても良いけれど、
でも大切な貴方が死ぬことは、私が悲しい。
私が悲しいから生きていて欲しいなんて、
そんなエゴなことは言えないのだけれど、
私が悲しいから、貴方の救いになれることがあるなら、
私に出来ることをしたい。


そんな気持ちで大切な人たちと一人一人接していきたいなと、
今を生きていることを大事にしたい。

遣る瀬無い朝方5時 蟠りある感情が少しでも解けますようにと願いを込めて。