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後悔と本音

失ってきたものの数々。
言葉にするのが怖くて、
本音を話すのに躊躇していた。

ただ、分かりあいたかった。

あの時を振り返って
なんで話せなかったんだろうな、と考えると、
赤の他人であることをあるがままに受け入れるのと、
期待しないようにしたり、諦めることは表裏一体のように思えたし、
対話をするタイミングにしては、
本音を話せる話せない以上に相手との関係値ができてしまっていて、
もうとっくに間に合っていなかったのだと後になって分かった。

共にする時間が長くなれば長くなるほど、喪失感が大きくなってしまう。
関係性を傷つけたくなくて、当たり障りのない関わり方ばかりしてきた。
初動から本音を話せていたら、
本音を伝えるベースがお互いの中に出来ていて、
こんな状態になる前に話せていたのではないか、とも思ったし、
おそらくこんな後悔もしなかったのだと思う。

相手を気遣って当たり障りのなく仲良くなり、
もう一方で信頼関係という面では、
こんなにも裏目に出ていたのか、
なんて後悔に気づくのは、少し遅かったなとも思う。


そこまで自身が成熟していなかったこと、
取り巻く環境であったり、当人間の関係性であったりが
作用してこうなったことなど、様々な要因から後悔は発生するが、
せめてその後悔たちを無駄にしないよう、
相手との信頼を築くために、
何を伝えて何を伝えないかの
取捨選択の感性を上げていきたい。

遣る瀬無い朝方5時 蟠りある感情が少しでも解けますようにと願いを込めて。