上級国民になりたい
日本には、インドのようにカースト制度はありません。イギリスのように貴族はありません。アメリカのように、極端な資産の差による貧富の差もありません。
しかし、そこはかとなく上流、中流、下流のような階級制度を意識させられる時があります。
はっきりとはしていない、しかし、何か生まれのような違いを感じることがあるのです。
日本と階級社会
そもそも、日本から階級社会がなくなった原因は、GQHの財閥解体に端を発します。
財閥解体によって見かけ上、経済的な上位階級がなくなりました。階級的な貴族(華族)制度も、終戦後に廃止されました。
これによって、一見日本は平等な社会のようになったのです。
そして、これに拍車をかけたのが、高度経済成長期です。
高度経済成長期の時期は、日本全体の景気が良くなっていたため、一般人でも労働によって所得が増え、一億総中流社会と言う言葉が生まれたように経済的な格差は減りました。
ここで階級的な意識が薄くなり、みんなが日本と言う大船に乗っていると言うような国民感情が生まれました。
実際はこれはまやかしであり、実際は目に見えにくい形で、階級社会は存続していたと考えられます。(ただ階級が弱くなっていたのは事実でしょう)
経済成長によって、影が薄くなっていた階級社会ですが、これがバブルの崩壊と長引くデフレによって再び目につくようになってきます。
ただ、日本は見かけ上階級社会は遠の昔に廃止しておりカースト制度のような明確な階級は存在しません。
だから、どうも変なような違和感として残るのです。
これがクリアになったのは、上級国民と言うワードでしょう。
飯塚さんが交通死亡事故を起こして、甘い判決となりそうであったのは記憶に新しいです。
出典:https://media.rakuten-sec.net/articles/-/37157
そして、配給社会は無いはずなのに、実際は目に見えない階級が存在している、と言うのは、上の図のような構想をとっています。
日本は財閥解体によって、上流階級による経済の独占をなくしたのですが、で実際はそれが目に見えない形で残っているのです。
上級国民は、ここでは、日本的縁故主義と書かれている上の層にあたります。
ここでは、いわゆる実力主義(資本主義)によって物事が決まるのでなく、縁故に決まっていくのです。
例えば、仕事の紹介であったり、政治家の2世議員であったり、割の良い公務員のポジションであったり、会社の二代目三台目であったり。
こうした旨味のある仕事が上級国民によって独占されていると言うわけです。
独占されている状態が続くと、その既得権益は複利のように増えていき、構造が固定化されます。
バブル経済までは構想が流動的であったのに対し、バブル崩壊後は構想が変わりにくくなったのです。
はっきりしてはいないが、感覚的に自分が下層であると感じるのは、このような曖昧な階級が存在しているためです。
セレブが羨ましい。セレブになりたいけど、その手段が見当たらないと思うのであれば、それは上級国民が縁故で独占している機会が見えないためでしょう。
上級国民になりたい
さて、ここまでが実は前置きで、ここからが本題になります。
日本には目に見えない上級国民がいて、上級国民になるのは難しいといった話をしましたが、実はないと言うわけではないのです。
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