ジョージア駐日大使の優先席に座る動画に賛否両論の声があがっているけれど?
今朝のテレビをザッピングしていたら、ジョージアの駐日大使であるティムラズ・レジャバ大使がアップした通勤途中の動画が、何やら物議を醸していたのですよね。😲
こちらに、YAHOO!ニュースの記事を貼っておきますね。
争論の要点は、電車の中で読書しているティムラズ・レジャバ大使が、自身のアップした動画で「空いている優先席に座っている」ことに批判の声があがり、それに対して毅然とした回答を大使が返したことをどう思うかと。
ティムラズ・レジャバ大使は取材を受けて、空いている優先席に座ることは問題ないし、優先席を必要とする人が乗車してきたときにすみやかに席を譲れば良いと思う、といった主旨のコメントをされていました。
その中に、日本人は曖昧なルールに縛られすぎるといった内容も含まれていたんですが、これはまったくその通りだと思うのですよ。(^_^)b
そもそも優先席というのは、その名の通り「専用席」ではないのですよね。
専用席ならともかく、優先席である以上は、その席を必要とする人物が表われたときに優先して座ってもらう席なので、車内を見渡して他の一般席が空いておらず、優先席が空いているのならそこに座ることは問題ないと思う。
空いている優先席に座ることがダメという、本来の目的を忘れてしまった固定観念に縛られすぎなのが、今回のような物議を醸すことになったのではないでしょうか。
大事なことは、空いている優先席に座っていいか、座っちゃいけないかということではなく、優先席を必要としている人を察知して、その人に優先席であろうが一般席であろうが、席を譲れる思いやりを持てるかどうかだ。
そもそもで言うなら、優先席という存在を、わざわざ設けなければいけないという現実が、優しさや思いやりの欠如した社会を浮き彫りにしているのではないだろうか。
そういう点に意識を向けて、たとえ優先席が存在しなくても、お年寄りや妊婦さんや小さい子どもを連れた人や、怪我・障害をもった人に心底優しい社会でありたいものだというのが、個人的に思うことですね。
一見したら健康そうな人でも、身体のどこかに不調を抱えているかもしれないし、着ている服によっては妊婦さんであることも、見た目では判断が付かないこともあるわけで、固定観念にこだわりすぎてはいけないと思う。
また優先席が空いているといっても、足を投げ出すようにして座ったり周囲の人に不快な思いを抱かせるような態度でいることは、論外ですけどね。
人類は、群れることで身を護り、群れることで獲物を捕らえて、捕らえた獲物の分配方法も含めて、群れの掟をつくることで群れという社会を維持してきたのでしょう。
まさに群れから村が成立する過程で、掟・ルールが定まっていったと推測できるわけですが、その根幹は、お互いに助け合い共に生き抜くというものだったと思うのですね。
そのお互いさまの気持ちと思いやりがあればこそ、相手の気持ちになって優しく対応することもできるのではないでしょうか。
ギスギスして生きていくのに心地よくない社会になりがちですが、せめて自分の周囲にだけは楽しく笑顔で生きていけるようにと、そんなささやかな思いで暮らしたいものですね。(^_^)b
今朝のテレビをみていて、感じたことでした。
ってことで、今回は
「ジョージア駐日大使の優先席に座る動画に賛否両論の声があがっているけれど?」という曖昧なルールに縛られず本質をとらえようという話。(^_^)b
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。
では!
ムラ社会 お互いさまで のほほんと
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