カノンを聴くとなぜか涙腺がゆるむ理由
遠い昔の想い出。
待ち合わせの時間つぶしに、ふらりと入った渋谷の映画館で上映されていたのが、フランス映画の「カノン」という作品。
ずいぶん前だったから、詳しい筋書きはそんなに覚えてないけど、やたら暗い印象のドロドロした中年男の心象風景?というような、心の声で構成されてる映画だった。
胸を押しつけられるような、息苦しい思いで友人と観てたけど、早く終わってくれという思いと、最後はどうなるのだ?という思いが交錯していたのを思い返すことができる。
映画通でもフランス映画ファンでもなかったのだけど、なぜか心に残る奇妙な映画だったことは間違いない。
屈折した馬肉屋の(単に肉屋ではなく、馬肉屋であることに意味があるような)社会や自分の置かれた環境、関わり合った人たち、ヒモとして付き合っていた中年女性など、すべてのものに対して吐き出す悪態が、字幕を読んでいても気分が悪くなるようなものだった・・・。
カノンというフランス映画の詳細は、もっと詳しい映画通の方に譲るとして
ここでは自分の心に刻まれた風景を書きとどめてみたい。
観る気も無く、ただ待ち合わせまでの時間つぶしのために観たカノンだったが、後半部分で主人公のオヤジが妄想するシーンと、現実のシーンの2つのストーリーで展開するのだけど、このシーンで流れてくるのがバッヘルベルのカノンという曲。
この曲と、この映画の主人公を追いかけてくるような悲惨な人生がダブってしまい、思わず涙を流してしまった。
なんだろう?
特に感動すると言うシーンでもなく、映像もさほど美しいというシーンでもなく、なぜこんなに涙が流れるのだろう?と不思議な思いをかみしめながら涙を拭い続けていた記憶がある。
その日まで、カノンは特にどうと言うこともない聴いたことがある曲の一つにすぎなかったのだけど、その日以来、カノンがテレビドラマや他の映画などの挿入曲として流れてくると、胸が息苦しくなって涙が滲んでしまうのです。
歳を取ったせいで涙腺が緩んだと思われるかも知れないけど、これはずいぶん前からの生理現象なんですよね。
詳しいシナリオや細部のシーンは覚えていなくても、リアルタイムで刻み込まれた音楽と心象風景は、間違いなくカノンの曲の調べに反応して、感情を揺さぶり、私の涙腺を緩ませるのです。
午前中の音楽番組でヴァイオリニストの高嶋ちさ子さんが、12人のヴァイオリニストたちを従えて「高嶋ちさ子と12人の女神たち、だったかな?」クラシック曲のメドレーを演奏されたのだけど、その中にこのカノンが含まれていたのです。
そう、案の定、テレビを観ながらの、涙腺崩壊・・・。
あぁぁ・・・そうだったなぁ、と。
いっつもカノンが流れてくると、大人げもなく泣いてたなぁ・・・と。
そしてカノンでいっつも涙が流れている時には、時間潰しで映画を一緒に観た友人のことや、待ち合わせた後の呑み会の話題が、映画の感想だけで盛り上がったことなども、カノンの思い出とともにいつも蘇っていることに、今更ながら気づいた。
そういえば、ずいぶんと会っていないなぁ・・・。
音信不通になってから、どれぐらいの時間が過ぎたのだろう?
10年じゃきかない、20年近くにはなるのだろうか・・・。
1本の映画のあるシーンや、ふとしたときに流れてくるキンモクセイの香りやカノンのような琴線に触れる音楽の調べなど、感情を揺すってくれる出来事に出会うことは、心の健康にも良いらしい。
笑うことが一番健康には良いのだけど、悲しくて泣くのじゃない涙は健康にも良いらしい。
そう、切ない思いだったり、共感の涙だったり、うれし涙だったりと涙にもいろんな種類がある。
これからも心の振幅の大きさを、ダイナミックに振り切れるように感動的な体験を味わい続けることにしよう。
あなたにも、聴いただけで涙が滲んでしまうような曲は、ありませんか?
あったらぜひ、教えてください。
きょうの、のほほんでした。