謙遜・謙譲・へりくだり譲り合う遠慮のかたまりを退治することから始める
今回の記事タイトルで何を思い浮かべたのか、一人ひとりに訪ね回ってみたい気もするけど、そこは我慢して記事の続きを・・・と言っても書き始めたばかりだけど、このまま侵攻いたします、いや進行して親交を図ります。🤣
いつものようにアホなことで書き出しましたが、記事タイトルで伝えたかったことは、そのまんま「謙遜・謙譲・へりくだり譲り合う遠慮のかたまりを退治する」という、遠慮しないで自己表現をしましょうという話です。
特にnoteみたいな場所では、誰に遠慮も要らず(アカバン喰らわないようにnote運営の顔色だけを気にして)好き放題にスキして書き散らかして、自分の思いのたけをぶっ込んでかまわないというのが、私の持論でもあります。
なのに、やたら遠慮している人が多い気がするのですが、謙遜なのか謙譲の美徳信者なのかは横に置いて、そういった遠慮のかたまりみたいな気分を解き放ったらいかがでしょう、という話ですね。
自分のことは誰よりも自分が知っているのだから、自分の想いや自分の体験を元にした記事を公開するのに、誰に遠慮がいるものか、気に入らない人は寄っても来なけりゃ読みもしないのだから、大いにつんのめりましょう。
あ、この場合の「つんのめり」は、足を引っかけて前に転げることを意味するのじゃなく、前のめりになって積極的に逝こう・・・・いや、逝っちゃまずいのよね、だから積極的に行こうねっていう意味ですからね。😓
って、あえて説明しなくてもわかっていると思うけど、わかってますよね。
えぇ~~~、わからんかったのぉ~~!
😭
さて何が言いたかったことなのか、あなたは知る由もないわけですが、私がこの記事で何を書こうとしたかを思い出してみると、人に何かを教えてもらうときに、その人のキャリアや権威なんて気にしないよね、なんてことを思ったもんだから。
これ、逆の立場で言うと、私たちが何かを発信するときに自分の知見を元にした発信ならば、あまり実績やキャリアや知見の権威性といったことを気にしなくても、素直に受け取ってくれる人ばかりという事実があるのですね。
だから、あまり発信者としての自分を低く見過ぎずに、堂々と「これが私の意見・経験・見解なんだ」と開き直って記事にしたらいいと思うわけです。
それに対して、頼まれもしない限り、他人があなたの発信内容にとやかく口を挟むことは無いと、そう信じて記事にしたらいいと思う。
もちろん虚偽禁止や他人の誹謗中傷・非難はダメよといった、常識の範囲内でのことですけどね。😅
これ読んでいる人の中には不愉快に感じる人がいるかも、ですが、読みに来てくださった方々になるだけ不愉快な思いをさせないように、気をつけることは大切ですが、気を使うあまり萎縮してしまわないようにしたいですね。
まずは、自分の中に潜んでいる、謙遜・謙譲・へりくだり譲り合う遠慮のかたまりを、バッサリ斬り捨てて退治することから始めましょうか。(^_^)b
ってことで、今回は
「謙遜・謙譲・へりくだり譲り合う遠慮のかたまりを退治することから始める」という奥が深そうでとっても浅くて短いどうでもいい話でした。🤣
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。
では!
情熱を 言葉に換えて のほほんと
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