フィジカルとメンタルは本来がセットの関係であり分断させることに問題があるという話。
私たちは身心の問題について語ったり認識したりするときに、カラダの部分のフィジカル面の能力や機能と、メンタル面でのそれを分けて考えることを当たり前のように受け止めているけれど、果たしてそうだろうかという話をしてみたいと思います。
私の場合はカラダとココロの意味でシンシンという単語を使うときに、心身ではなくあえて身心というように、身の漢字を先に表記することにしているのですが、これは心もすべて体あってこそという考えからなんですよね。
身体が病み衰えてしまえば気力も落ちるし、身体が機能不全に陥るということは心もそれに伴ってしまうという、当たり前の摂理からそう考えているわけです。
だから、身体があってこその心なのだから、身心というように身体の「身」を先に表記しているのですね。(^_^)b
もちろん「病は気から」という現実に起こりうる現象も否定はしません。
気力を生み出す意識の領域に踏み込んでも、意識をつかさどる脳や心臓などの臓器自体が物理的な形を持つ物体としての肉体なので、身体が元になると考えているわけですね。
病気にしてもケガにしても、気力によって治そうとしたとしても、その治癒力の根源にあるのは、やはり身体機能による治癒力のメカニズムに拠って治癒できるんだと思うのですよ。🤗
健康な身体の状態を考えると、身体が在るべき姿でその機能を正しく発揮している状態だと思うのですが、その在るべき姿には身体だけではなく心の状態も在るべき姿でなければ、片手落ちの状態だと受け止めています。
スポーツなどの運動や健康維持のためにトレーニングをする場合も、身体だけに目を向けるより心もセットでとらえるべきかも知れませんね。(^_^)b
心が楽しい気分でリラックスしていたら、身体も軽やかで無駄の無いスピーディな動きが引き出せるというものです。
ここで大事なのが、心が浮き立つようでもそれを体現する肝心の身体がズタボロでは、思うように軽やかには動き出せないという点ですね。
心が仮に車のエンジンだとすると、エンジンをいくら高性能にチューンナップしても、タイヤがパンクしていたり車体がギシギシ撓むようなボディの車だとしたら、いつまで経とうが速く走り出せないのと一緒なんですよ。
やはりエンジンの性能アップに耐えられる足回りや、堅牢なボディがセットになっていて、双方の性能アップが欠かせないということですね。(^_^)b
そういう意味でも、身体と心のことを論じたり強化や改善の対象にするときには、双方の関係をセットでとらえるべきだと考えています。
身心一如というくらい、身体と心は不可分の関係なんですよね。(^_^)b
ついでに言っておくと「体」と「身体」の使い分けについても、実は明確な違いがあるんですよ。
「体」という単語の場合は人間・動物・物体のときに使われ「身体」の場合は心や精神まで含めたカラダ全体をいうのですが、頭と手足を除いた胴体を指すときは「体」と表現するらしいのです。🤔
まぁ、そんな使い分けを厳格にしたところで、読み手の人がその使い分けを認識していないとあまり意味は無いかも、ですけどね。🤣
ってことで、今回は
「フィジカルとメンタルは本来がセットの関係であり分断させることに問題があるという話。」のフィジカルとメンタルは身心一如という話。🤗
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。
では!
メンタルを 解き放すコツ のほほんと
<本日投稿のサブアカの記事がこちら!>