自粛警察が話題だけど安っぽい正義感やただの鬱憤晴らしの行動はやめよう!
このところのコロナ騒ぎで悲しくなるような出来事が多すぎる。
無観客のオンライン配信を行っていたライブハウスに、近所の住民とみられる人物からの誹謗中傷の張り紙がドアに貼り付けられたという報道をみた。
また営業自粛の対象外となっている店では、休業が死活問題になるほど窮しているなかで3密対策にじゅうぶんな配慮をしたうえで営業しているのだがこんな店にも同じような張り紙を貼り付けるという出来事も起こっている。
これらのことに共通するのは、そこに至った背景や実状をよく理解していないまま、勝手な思い込みで誹謗中傷の張り紙を貼り付けるという行為に及んでいることなんだよね。
おそらくその人物は、緊急事態宣言が発出されているなかの外出自粛が叫ばれている中で「けしからん、何ごとだ!」という思いに駆られて行動を起こしたのかも知れないけど、短慮すぎる行動だといわざるを得ないね。
正義感で起こしたつもりの行動が、冷静になって観察するとただの鬱憤晴らしだったり、自身のストレス発散の捌け口になっていたりしていることもままあることだ。
社会正義と自身の大義名分をごっちゃにしてもいけないと思う。
社会正義でとったはずの行動・言動が、よく考えてみると自分の立場や損得勘定などが引き起こす浅慮から出たものであることも、決して珍しいことではないよね?
現状のような異常事態の社会で何か行動を起こすというときには、誤解を招いたり不用意に人を傷つけたりすることがないように、発言・行動にはじゅうぶん注意して自制したいものだと思う。
たとえ社会正義に適っていると信じていても、伝え方があるんだよね?
昔から「ものは言いようで角が立つ、丸い玉子も切りようで四角」なんて俗謡にも歌い込まれてきたくらいだ。もの言うのも言い方ひとつで角が立ってしまうんだよね?
よくあるケースが、言ってることは正しいのだが言い方が適切じゃない、というケース。いくら正論でも怒鳴り散らしたり、相手をなじったりして不快な思いにさせてしまえば通る道理も引っ込むというものだよ。
目的は何なのかを忘れてしまっちゃいけないのに、目的を果たすための伝え方ができない人がよくいるね。
例えば相手に何か行動を起こして欲しいとしたら、相手が腰を上げてくれるような言い回しや根回しも必要、というよりそれがまずやるべきことだ。
なのに高飛車に出たり、正論を振りかざして行動を起こすように迫るから拒絶されたり、すんなりいかずに時間をかけてしまうことになりがちだ。
今回の報道を見ていても「自粛警察」というコトバが一人歩きして、安っぽい正義感を振りかざしたり、ただの鬱憤晴らしで自己満足に浸るような風潮がはびこってしまうのを心配してしまうよね?
ほら、こんな場面に出くわしたことないかな?
「お前ら、うるさいんだよ!静かにしろッ!」って言ってる本人が、一番うるさくて周囲の顰蹙をかっていることにも気づいていないというケース。
あるある、だと思うけどこんなイタい人になってしまわないようにしなくちゃね。
くれぐれも、冷静さを失わずに生活して欲しいと思う。
社会正義って大事だ。
社会正義のために声を上げることはとても勇気がいることだ。
社会のためになることを発言したり行動に移すことは大事なことだ。
でも個人攻撃になってしまわないように自制する必要がある。
痩せ犬の遠吠えっていうじゃない?
あれは遠くからじゃないと吠えられない臆病さや弱さを表現しているんだけど、この痩せ犬の遠吠えにならぬよう気をつけねば。
さぁどうぞ!
と、発言の機会を公の場で準備してもらったときに、コメントするくらいの気配りした心持ちで、言いたいことをどう言うかに思いを巡らそうと思うのだ。
要するに空気を読もうってことかな?
ってことで 今回は
「自粛警察が話題だけど安っぽい正義感やただの鬱憤晴らしの行動はやめよう!」というマジメな話。