私の人生訓3ヶ条の続編!盥の水、恩は着るもの着せぬもの、情けは人の為ならず!
インパクトの強いタイトル画像のイラストというか、骨太の筆文字に目を惹かれるんじゃないかと目論んでみましたが、どうでしたかね?
あっさり、きっぱりで、たまにはこういうのもいいかな・・・なんて目先を変えるつもりで選んでみましたけど・・・。(´д`)
さて、今回の記事は前に投稿した私の人生訓の続編となりますが、前回の一つ目に加えて残りの2つ目と3つ目の人生訓について、ごっそり丸パクリしてもらいたいので大盤振る舞いのシェアをしたいと思います。(^_^)b
<この記事は約3~4分で読めます!>
前回の記事がこちらになりますので、もしお読みでなければこの記事から読むとスッキリ気分良く読めると思いますよ、たぶんですが・・・。(^_^)b
ちなみに私の人生訓3箇条はこちらです。
1.盥の水 (前回の記事で紹介済み)
2.恩は着るもの着せぬもの
3.情けは人のためならず
今回は残りの2つを紹介したいと思います。
まず2つ目の人生訓である「恩は着るもの着せぬもの」についてお伝えしますが、これはそのまんまで分かりやすいと思いますね。
人から受けた恩を忘れないということは当然なんですが、この「恩は着るもの着せぬもの」という言葉に込められているのは、恩を施したほうは忘れなさいということ。
よく恩着せがましく・・・なんて表現をするけど、まさに恩を施した側が相手に対して恩に着せるのは、見苦しいということなんですよね。
恩というものは受けた側が自分から着るものであって、相手に着せられるものじゃないということなんですね、それが恩っていうものだと。
だから、受けた恩は忘れてはいけないけど、してやったことはサッサと忘れるべきなんだということです。
恩は売っちゃぁ~いかんぜよ!
恩は大も小も、ぜ~~んぶ、ただであげちゃうんよ!
そして、あげたことさえ、忘れちゃうんよ!
あとは相手が勝手に恩に着て、その恩返しを別な人に施せば良い、そういうのが恩の着方と返し方なんじゃなかろうか、なんて考えているのですよ。
してやったほうは、些少のことでも、いつまでも忘れずにいて
してもらったほうは、大きな恩でも、サッサと忘れてしまう
そんなことが当たり前の世の中になってきたようだけど、人生の難局にぶつかったときに窮地を救ってくれるのは、盥の水と、恩は着るもの着せぬものの生き方をして来られたかどうか、で決まるのが人生の面白いところ。
いずれにしろ、人様にとやかく言えるような立場じゃないけど、私個人がここまで生きてきた半世紀以上の年数をかけて、実地検証済みの人生訓が盥の水であり、恩は着るもの着せぬものということですね。
そして3箇条の3つ目はあまり公言しないのだけど、ついでにもう一つ挙げろと言われて追加で出すのが「情けは人の為ならず」っていうヤツね。(^^ゞ
これを若い頃は、同情はその人の為にならないから、情けをかけるなという意味にとらえていたんだけど、ほんとは別の意味だったのね。(´д`;)
これも個人的な見解だけど、情けは相手のためにかけるのではなく、自分の心の満足感のためにかけるものだから、見返りを求めるようなものではないという意味だと解釈しているんですよ。
この情けは人の為ならずの原典は、武士道の著作で世界的な著名人になった新渡戸稲造の格言集にあるんですよね。
そこに書かれている格言の全文を読めば、さっきの恩は着るもの着せぬものに通じる言葉が含まれています。
施せし情は人の為ならず おのがこゝろの慰めと知れ
我れ人にかけし恵は忘れても ひとの恩をば長く忘るな
『一日一言「武士道」を貫いて生きるための366の格言集』 新渡戸稲造著
この情けは人の為ならずは、人に情けをかけておけば、いつか廻り廻って自分に返ってくるから、人の為じゃなく自分の為なんだという風に解釈している人が多そうですよね?
でも、原典を読めば、情けをかけることで自分の心の慰めと知れ、と書いてあるとおり、廻り廻っての自分への見返りを意味しているのでは無いのが分かりますよね。
見返りを求める気持ちは、そこにはありません。
ただ自分のしたことを自分で満足することで、すでに完結しているわけですから、あとから自分へいつか戻ってくる、などという見返りを求めるものじゃないのですよね。
まぁ、そんな感じで私の思考や行動の原点になっている3つの人生訓というか処世訓を紹介してみました。
あなたにもきっと、拠り所にしている座右の銘や人生訓があると思いますがどんな人生訓を頭にたたき込むかで、価値観や行動基準が変わってくると思います。
もしまだ人生訓らしい格言に出会っておられないようでしたら、私の人生訓を丸パクリしてもかまいませんし、今ひとつ気に入らなければ他のnoterさんの記事の中から、お気に入りを探してみるというのもアリですよね?
noterさんたちの作品には様々な情報があるばかりでなく、教養の素になるような個性豊かな知見も溢れていますので、探せば必ず見つかると思います。
そんなnoterさんの多くの作品の中から、自分に合った知恵・見識・解釈を探し出すのも、noteの楽しみ方の1つですよね。(^_^)b
私にこんな人生訓を身をもって教えてくれたのは、この記事でもその思い出を書いた私の父親でした。
私の父親と妻の父親は、隣町同士だっただけでなく、妻の父親(義父)の妹が私の父と尋常高等小学校・・・だかの同級生だったとかで、頻繁に会っていたしタイプが違いすぎるので、仲も悪くなかったのです。
だからというわけじゃないだろうけど、私たち二人の父親はそれぞれ違う年の同じ日に他界したもんだから、二人とも同じ命日なんですよね。
そのことに関するエピソードはこの記事を読んでいただければ嬉しいです。
こんなことを考えても、世の中には不思議な縁で結ばれている人との出会いや、別れがあるんだなぁ・・・と感慨深いものがありますね。(´д`)
このご縁を大切にして生きていきたいもんだと、常々思うことでした。
これからも多くの方とのご縁を大事にしながら、noteを楽しんで続けていきたいと考えていますが、少しでもお役に立てるような活動としてサブアカウントも運営しています。
できましたら、こちらのアブアカウントでもご縁をいただければ、noteのやりがいが変わってきますんで、ぜひフォローとご一読をお願いいたします。
ってことで 今回は
「私の人生訓3ヶ条!盥(たらい)の水、恩は着るもの着せぬもの、情けは人の為ならず!」という私の人生訓3つのうちの残り2つの話でした。
では!
恩も情けも のほほんと。