祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色盛者必衰の理をあらわす。
ご存じの方も多いだろう平家物語の冒頭文を、そのまま丸ごとタイトルにしてしまいましたが、私事ながら本日大切な叔父を見送ることになりました。
彼女のほうの叔父になるのですが、私たちが20才と21才の若さで結婚してから今日まで、ずっと事あるごとに相談に乗ってもらい話相手になってくれた大切な人でした。😥
2年ほど前にガンの告知を受けてからも手術を乗り越え、酸素吸入器を手放せないながらも頑張って闘病生活を続けてきた甲斐もあって、なんとか病魔を抑えて落ち着いていたんですよね。(^_^)b
それが、明け方にトイレに立った時に、突然の心筋梗塞で旅立つという思ってもいない結末を迎えることになってしまいました。😢
先日会ったときには声の張りこそ往事のようじゃ無いにしろ、この年末を越して新しい年を迎えることができないとは、思いもしませんでしたね。😥
昨日がお通夜で今日が告別式だったわけですが、告別式から出棺してお骨になり、引き寄せての初七日の法要まで済ませてから、親族のみんなと別れて帰宅したところです。(´д`)
2019年11月には義兄を見送り、また今回は叔父を見送ることになったんですが、大切な人が旅立つたびに去来する思いが、その人との数え切れないエピソードの数々と、教えとなった言葉の一つ一つなんですよね。😔
言った本人は大層なことを言ったつもりは無くても、聞いたこちらはその時やずいぶん経ってから、しみじみと考えさせられる言葉だったりするんですよね。
そういういろいろなことが頭をよぎり、納棺のときと焼却炉のボタンが押されたときに、胸が苦しくなってくるんです。
今日もまた、同じような思いで見送ってきました。
旅立つ人がいれば見送る人もいる。
見送る人は、残される人。
残された高齢に叔母が、今夜はともかく、我が子や孫たちが法事が終わり帰って行った後の夜を、一人で涙を流すと思うと、もらい泣きしてしまうのですよね。😭
亡くなってから後悔しないように、できるときに思い立ったことは済ませておいたほうがいい・・・そう思いながらいつも暮らしているけど、現実にそういう別れが来ると、まだまだ語り足りなかった、尽くしたり無かったと悔やむ思いも湧き上がってくるんですよ。
あなたに、大切な人がいるのなら、あとで悔やまないように精一杯思うような行動をとっておいたほうがいいと思います。(^_^)b
私は人よりも敏感にそのことをとらえて実行してるつもりだけど、それでも満足することはありません。
いつも、もっと語り合っていたらとか、もっと助けられたんじゃ無いかとかもっと長生きして欲しかったとか、心残りがある気分なんですよね。😢
明日からは、また一期一会のご縁の大切さを肝に銘じて、明るく元気にのほほんと暮らしていこうと思っています。
今日の記事は今回の取り込みのお詫びを兼ねて、ひと言お礼を述べさせていただきました。<(_ _)>
ってことで、今回は
「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色盛者必衰の理をあらわす。」という自然の摂理についての話でした。
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。
では!
我れ先に 生き急がずに のほほんと
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