コロナ渦不染日記 #86
十二月二十八日(月)
○有休の日の朝は、出勤にむけた起床時間に覚醒してしまうものの、その必要がないために、布団のなかでうだうだしてしまう。
しぶしぶ起き出し、やり残した仕事を五分で片付けて、居間に出ると、相棒の下品ラビットがコーヒーを淹れていた。ぼくはフレンチトーストを作った。
○ご存じのことだろうが、ぼくは本が好きである。暮らしている部屋のなかに本がある、というよりは、本のなかに暮らしているので、そこが部屋になっているようなありさまだ。
そうした本のなかでも、いまだ手をつけていない本、いわゆる「積ん読」本を整理することとした。現在、ぼくの部屋には、未読の本だけを納めている本棚(未読本棚)があり、それとは別に、未読の本を積んである部分(未読の山)がある。午前中、この未読の山を切り崩し、未読本棚と中身を入れ替える作業をした。未読本の棚卸しである。
小一時間ほど作業し、このようになった。
さしてかわらないように見えるかもしれないが、これでも、ずいぶんと変わったのである。
○夕方頃に出かけて、下品ラビット、イナバさんと、「よみうりランド」のイルミネーションを見る。
入園チケットだけを購入し、イルミネーションに飾られた園内をそぞろ歩く。
どこもかしこも、小型ライトに彩られて、日が暮れてくると、日中のそれとは異なる姿があらわれてくる。
園は十二のエリアに区切られて、それぞれのイルミネーションは、十二ヶ月の誕生石をイメージしたものになっているという。ぼくたちはうさぎなので、月長石(ムーンストーン)をイメージしたエリアが気に入った。
三柱の光の塔が立つ、「ムーンストーンエリア」は、流れるBGMがオールドスクールなテクノっぽかったこともあり、八〇年代的なイメージがあったのも、ぼくたちの気に入ったところであった。
地上が光にあふれていると、そのぶん、空は暗く見える。その暗い中天に、ぽかりと、満月へむかう月が浮かんでいたのは、なるほど、天地和合といった趣である。
月長石は、「ストレスからの解放」と、「豊穣」への「希望」がこめられる石である。タロットカードの「月」が、満ち欠けからくる「不安定」とは逆である。石は、そのなかに、変化のもっとも好ましい状態がとどめおかれている、ということだろう。
○夕飯は、京王稲田堤駅と、南武線稲田堤駅のちょうど中間の位置にある、やきとん居酒屋「筑前屋」にした。
以前、調布で働いていたときに、よく通っていた店である。
四八〇円の、とんこつラーメンと焼きラーメンが絶品なのである。三匹で食べて、五千円ていどで済むのも、お財布にうれしい。
○本日の、全国の新規感染者数は、二四〇〇人(前週比+五九三人)。
そのうち、東京は、四八一人(前週比+八九人)。
十二月二十九日(火)
○昼すぎから、浜に出かけて、友人と会談。来年の計画を練る。
いろいろと話して、気がつけば夕方になっている。帰宅前におなかがすいてしまったので、かにチャーハンを食べた。
○帰宅すると、『子連れ狼わくわく大図鑑』が届いている。
「東宝版『子連れ狼』には、パンフレットが存在しなかったので、シリーズ全六作のパンフレットを、自分たち(「映画パンフは宇宙だ」スタッフ)で作った」というD.I.Y.精神がすばらしい。そして、そうした精神のもとに作られた、このパンフレットも、すばらしいできばえである。
小池一夫/小島剛夕による原作がすばらしいのは、いうまでもないことだが、その実写化作品として、萬屋錦之介主演のテレビシリーズよりも、この映画版がすばらしいと、ぼくがそう感じるのは、ひとえに、主演の若山富三郎はじめ、この映画を制作した人々の熱意のゆえである。原作の完結を待たず、映像化に着手したのは、「いま、この映画を作らねば」という熱意があったからにほかならない。そして、そうした熱意あるところに、力強い物語は生まれる。ときに原作に寄り添い、ときに原作を逸脱しながら、「面白いものを」と思ったからこそ、すばらしいシリーズになったのである。その力学が、このパンフレットにも満ちている。
○本日の、全国の新規感染者数は、三六〇九人(前週比+九二一人)。
そのうち、東京は、八五六人(前週比+二九三人)。
十二月三十日(水)
○幼なじみの実家に行き、先日亡くなられた、幼なじみのご母堂の霊前にぬかずく。ついでに、幼なじみと、じつに二十年余ぶりに再会した。むこうはあいかわらずであったが、ぼくはずいぶんと見た目が変わって、「面影はあるけどね」と言われるのだった。
○映画『AI崩壊』を見る。
たとえ、古典的な、あるいはありきたりなネタでも、語り方で見せることができるものだ。しかし、そこを工夫しなければ、ただの凡作以下である。そして、この映画は後者である。三〇分ですむ話を、だらだらとひき延ばしているにすぎない。
○蒼崎直『官能小説家 烏賊川遙のかなしみ』二巻を読む。
官能小説の大家となった「烏賊川遙」が、その道の先達で、盟友でもあった挿絵画家を亡くし、気落ちしていたところに、挿絵画家の孫である萌え絵師が現れて……という第一話から、世代間格差のコメディを基調とするが、タイトルにあるように、世のなかとすこしずれてしまった自分を発見するたびに、主人公の烏賊川氏が感じる「かなしみ」がメインテーマとなっている。もちろん、この「かなしみ」は、初老の官能小説家だけのものではない。「個人」であれば、誰でも、いつか必ず感じるものである。
一巻は、人から借りて読み、気に入って購入までしたものだった。ながらく、二巻が刊行されなかったので、一巻だけをくりかえし読んでいたものだったが、先月、電子書籍限定で発売されたものらしい。ぼくが気がついたのは今日だった。早速読んで、この二巻も、一巻同様、「個人」であるがゆえの「孤独」の「かなしみ」を感じさせて、傑作であった。
「孤独」は「個人」であるがゆえに生まれるものであり、「個人」であるかぎり、避けえないものであるが、それを受けとめかねたとき、人は、他者にいてほしいと思うものなのだ。そして、そうして求める他者は、配偶者や血縁者とは限らない。友情が、仕事の人間関係が、あるいは種族を超えた時空の共有が、人の「孤独から生まれるかなしみ」を、たとえひとときであっても、癒やしうるのである。
○本日の、全国の新規感染者数は、三八五二人(前週比+五八四人)。
そのうち、東京は、九四四人(前週比+一九六人)。
東京都知事は、「第三波が近づきつつある」などと寝ぼけたことを言っているようだが、この増加が、第三波のあかしでなくて、なんであろうか。
引用・参考文献
イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/)
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