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コロナ渦不染日記 #70

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十一月七日(土)

 ○午前中、イナバさんと、千駄ヶ谷の国立能楽堂に、狂言を見に行く。「万作の会」の『万作を観る会』である。

 演目は、笛、小鼓、大鼓による、中国の宮廷楽にインスパイアされた楽曲「素囃子『盤渉楽』」にはじまり、酔って帰宅した夫のハラスメントによって、家を出た妻を、酔いからさめた夫が必死でたずね歩く「法師ヶ母」、主人の留守中に酒を飲む不良社員が、主人に縛りあげられるものの、あの手この手で酒を飲もうとする「棒縛」、そしてある分限者の家に呼ばれた法師が、巨大なきのこを調伏しようとするも、呪文を唱えるたびにきのこが増える、ホラーな展開のあるコメディ「茸[くさびら]」である。
 植木等の「無責任」シリーズが好きなぼくは、「棒縛」が気に入った。ここで描かれるのは、ご恩と奉公に忠実な「士[さむらい]」ではなく、無責任で自己中心的な「雇われ人」の姿――あきらかに、植木等がスクリーンに演じた、C調サラリーマンの姿である。ある社会的な常識が定着した世の中に、背中をむけ、舌を出してみせる、したたかでパンクな姿である。
 一方で、相棒の下品ラビットは、ホラー好きなので「茸」が気に入ったようだった。「上田早夕里に『くさびらの道』って短編があったろう。あれの元ネタは、この演目じゃないか。もっとも、あの短編で、きのこが増えてどうしようもなくなったのは、家じゃなくて地球だったがな」

  ○前回、おなじ東京能楽堂で観劇したときには、新型コロナウィルス感染拡大防止の観点から、客席は一席ずつあけるスタイルになっていたが、今回は通常どおりに席を利用するスタイルになっていた。日常が戻りつつある……というよりは、日常を求める人々のこころが、いよいよこの災禍のもたらした緊張状態から目を背けはじめているといえよう。
 もちろん、それだけ、マスク着用や手洗い、換気といった、感染予防対策が定着したのだとすれば、それは喜ばしいことである。

 ○観劇中、雨が降っていたようで、能楽堂を出て千駄ヶ谷の駅にむかっていると、ちょうど、おおきな虹がかかっていた。

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 ○夜は、小川町に移動し、ししジニーさん、ゆんぺすさんと、老舗の居酒屋「みますや」で飲む。

 三匹のうちで、ぼくがいちばんはやく到着したので、夕暮れまえの店影を撮影する。

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 木製の張り出しがかっこういいなあ、とか、「創業明治三十八年」ってことは今年で百十五年も続いてるのか、とか、まわりのビルとあきらかにたたずまいが違うのがかえってクールだぜ、とか考えていると、のこりのどうぶつたちも集まって、どうぶつ飲みが開催された。

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「創業明治八十五年」の風情をもりあげる、手書きのメニューだけで、まずひともりあがり。
 喧々諤々ののち、まず頼んだのが、衣かつぎと、ぜんまいの煮物。

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 衣かつぎなど、食べるのは久しぶりである。ほどよく湯どおししてあって、皮がするっとむける。塩をつけてたべると、これがなんともたまらない。
 はやくも舌鼓を打ちはじめたところで、さんまの塩焼きと、それぞれの酒が運ばれてくる。このお店は、日本酒のラインナップがすばらしい。有名どころはほとんどそろえてあるし、ぼくが好きな富山の「立山」や長野の「真澄」もあって、迷うことがないのである。
 それぞれの酒と肴がそろっただけで、気のおけない風情がかもしだされる。実家のような安心感に、ついついメートルをあげてしまう。

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 つぎつぎと、いろいろな肴を頼んで、どれもうまい。
 なかでも、「やき鳥」がすごかった。近ごろは、焼き鳥(鶏以外の肉を用いた「やきとり」含む)も、部位ごとに食べるようになって、それにともない、ボンジリだのハツだのカワだのコブクロだのと、メニューにならぶ部位の名前を、味や食感とともに覚えるのが大変である。もちろん、これはこれで楽しいのだけれど、しかし、「みますや」のメニューには、「やき鳥」とだけあり、「鳥を焼いたもの」という以上の情報がない、まったく抽象的なものである。そして、実際に出てきたのも、「鳥を焼いて、タレにつけたもの」という以上に、具体的な情報がないビジュアルをしている。

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 だが、これがすこぶるうまいのである。炭火でじっくり焼いたものだろう、外側はところどころ焦げていて、タレもさっとからめたていどだろうから、パリパリサクサクした食感はうすれていない。どころか、内側にしっかりと熱がとおっているために、ふわっとした食感のあいだにほどよく脂が残って、外側の食感をひき立てている。そしてそっけないタレのうまみがまたたまらない。昔、日暮れに帰宅した母うさぎが、近所のスーパーの店先で買ってきたという、油紙に入れられた焼き鳥を、よく夕食に食べさせてくれたが、ああいうそっけなさである。

 ○そのそっけなさの滋味を、舌先で味わっていると、「抽象的なものというのは、具体的なものに比べて、ぼんやりとしてとらえどことがない」と考えるくせがついていたことに、改めて気がついた。具体的なものが、具体的であるがゆえに、はっきり「それ」とわかる、ソリッドな印象を強く与えるものである、という認識は、間違いではないのだが、それとの単純な対比として、抽象的なものは、あいまいでぼんやりとして、そっけないものは、単純で深みがないものと、勝手に思いこんでいたのである。
 これは、間違いであった。あいまいなものというのは、複数のニュアンスが混在しているものなのだ。そっけないものというのは、その裏側に複数のニュアンスを抑えて、むしろ受け手に情報の奔流をまともにあびせないための、奥ゆかしいたたずまいを持つものなのだ。つまり、すべては受け手の態度しだいであり、あいまいなものの奥深さを、そっけないものの奥ゆかしさを受けとめて、なおその先にあるものを探りにゆこうとする、緩急ついた姿勢があればこそ、より豊穣な世界にたどりつけるのではないかと、いまさらながらに蒙が啓かれた気がした。

 ○本日の、全国の新規感染者数は、一三三一人(前日比+一八八人)。
 そのうち、東京は、二九四人(前日比+五四人)。
 全国で、二日連続で新規感染者が、百人前後増加している。本日は、東京での増加量が、一日の半数にのぼっているが、こわいのはむしろ、金曜日の、東京では感染者数が少なかったのに、それ以外の都道府県で増加していたことであろう。

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十一月八日(日)

 ○イナバさんの手伝いで、「デザインフェスタ vol.52」に参加した。

 以前の日記でも書いたが、イナバさんは趣味でアクセサリーを作っている。それを販売/配布し、他の制作者と交流するためのイベントにも、以前は足しげく参加していたのであるが、この災禍のために、イベントの開催も少なくなり、先月のものが実に半年ぶりであった。
 さらにいえば、このイベントも、開催は一年ぶりである。今年の四月に開催予定であったが、やはりこのたびの災禍で中止となっている。そのためか、今回はこれまで以上のにぎわいであったように思う。イナバさんのブースと、背中合わせのブースの方は、「今回は一般参加が少ないね」とおっしゃられていたし、たしかに、空いているブースもおおくみられ、出展者は少なくなっているようだったが、一般参加者は、いちど会場入りしてしまうと、なかなか出てゆかずに、回遊しているようであった。
 これも、以前の日記でも書いたが、やはり、ひとはこうした交流を求めているのであろう。まして、デザインフェスタは、アート系イベントのなかでも国内で一、二を争う規模である。今回も、以前よりも出展者数を絞ったようだが、それでも、プロもふくめて、おおくのアーティストが参加していた。

 ○本日の、全国の新規感染者数は、九五〇一三三一人(前日比-三八一人)。
 そのうち、東京は、一八九人(前日比-六〇人)。



→「#71 一日に一六六一人」



引用・参考文献



イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/


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