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コロナ渦不染日記 #30
七月六日(月)
○朝、現場に着くと、マスクのしたがびちょびちょになっている。七月の初旬でこれであるから、八月九月にはどうなっていることか。冷感マスクや速乾マスクが求められるようになるであろう。
○在宅勤務のあった四月五月から、どうにも背中が痛くなってきた。一念発起して、駅前のマッサージ店に通うことにしたのだが、今日がその初日であった。
背中を中心に、えいえいとマッサージをされると、時折逃げだしたくなるくらいの痛みを感じる。ここ最近でいちばん痛かったのは、インフルエンザの予防接種のとき、注射の中身が体内に入ってくるときであったが、それ以上の痛みがある(ところで、インフルエンザの予防注射は、なぜ針が刺さるときより注射液が体内に入ってくるときのほうが痛いのだろうか)。
担当してくれたのは、人間のスタッフであるが、動物のマッサージにも熟知されているようで、
「動物のみなさんは人間のような姿勢で働くから、人間より背中が疲れるんですよね。お疲れ様です」
と優しい言葉をかけてくれた。一週間後の再訪を予約して、マッサージ店を出たときには、腰が多少まっすぐになり、あごが引けているように感じる。
○映画『見えない目撃者(2019)』を見る。五月二十三日に見た、『見えない目撃者(2015)』同様、韓国映画『ブラインド』のリメイクである。
「かつて不注意から起こした事故で、弟(作品によっては実の弟ではない)を死なせ、自らも失明した、元警察官の女性は、失意のうちに日々を過ごしていたが、連続誘拐殺人犯に接近遭遇してしまい、さらには弟のような青年に出会ったったことで、事件解決に執念を抱くようになるが……」という物語の骨子は、三作とも変わらないのだが、いちばん新しいこの二〇一九年版が、いちばんブラッシュアップされていて、完成度が高いと感じる。
「『盲人の感覚世界』を映像化する」演出も、三作品でもっとも「それっぽい」ものであるし、二〇一五年版でいささか唐突だった、クライマックスのあるガジェットも、別のアイテムに置き換えられて、主人公が事故をおこすきっかけと対になることで、主人公の執着が解放へつながるカタルシスを盛り上げている。なにより、全編をJホラー的などんよりとした色合いで描き出すことで、主人公の息苦しさを表現するのは、三作品でもっともうまくいっている演出と思う。
日本映画によくある、設定や心情をせりふで語ってしまう特徴が鼻につきはするものの、盲導犬について語る一幕があればこそ、中盤のクライマックスで「盲導犬が吠える」ことの重要性が際立ち、これも原作や二〇一五年版にはなかった、点と点を線で結ぶ重要なポイントである。
主演の吉岡里帆氏の、物理的な盲人というよりは、過剰な自負や、その反動としての自己肯定感の低さから「見えなくなっている」人の演技もすばらしかった。彼女が、相棒役となる、高杉真宙氏演じる青年よりも、誘拐された少女を救おうとする展開も、彼女じしんが彼女の起こした事故の最大の被害者であるとするなら、犯人の「おまえはおれと同じものだ」発言同様、納得のいくものである。
ゴア度は原作、二〇一五年版含め、もっとも強烈である。
○本日の、東京の新規感染者数は、百二人。
七月七日(火)
○帰宅して、百点満点チャーハンを作る。これは料理するものと食べるものが同一人物であるために、いつでも百点満点の評価が下るチャーハンである。もちろん百点満点のできばえであった。
○本日の、東京の新規感染者数は、百七人。
七月八日(水)
○退勤後、ふと思い立って神楽坂へゆく。東西線神楽坂駅を出ると、夏の神楽坂は、背後から長い西日に照らされて、そわそわした雰囲気がただよっている。夕飯の買い物はもうすんだのであろうが、もう少しすると仕事帰りのサラリーマンで混みだす、その合間時間であった。新しいかばんを背に、ほてほてと坂を下っていると、なんとなく目に入った店に引き寄せられて、そこで夕食とした。
ステーキセットの肉はレアでやわらかく、下味はもちろんついているものの、わさびや塩、生じょうゆが添えられて、飽きずに食べることができる。ハッピアワーだったので、ドリンクも安く、ついついジントニックを頼んでしまった。名前のとおり、肉と相性がよかった。
○本日の、東京の新規感染者数は、七十五人。
七月九日(木)
○本日の、東京の新規感染者数は、二百二十四人。
○この数字を、驚けばいいのか、うなずけばいいのか、無視すればいいのか、誰にわかろうか。誰もが己の目線から、すわ第二波かといい、検査数を増やしているのだから当然であるといい、無言でマスクを鼻まであげなおすのである。
○ニュースでは、九州で発生している豪雨の影響を大きく取り上げている。もちろん、災害として喫緊のものであるし、死者行方不明者も多く、早急な対策が必要であるからだが、それとは別に、この春からの災禍に、人の気持ちが慣れすぎているのでもあろう。山田風太郎が『戦中派不戦日記』で語るように、みんなもうこの話題に飽きているのだ。
さて、昭和二十年新春の浮世風呂。——
十七年はまだ戦争の話が多かったと憶えている。十八年には工場と食料の話が風呂談義の王座を占めていた。十九年は闇の話と、そして末期は空襲の話。
「いやあ、おどろきましたなあ。昨晩は!」「色々こわい目にも逢いましたが、あんなことは初めてですよ」
「何とかサイパンの基地がなりませんかねえ!」
「やっぱり飛行機が足らんのですかなあ!」等々。
それが、
「昨晩も、どうも」
「うるそうてかなわんですなあ」
くらいに変わり、今ではいくら前の晩に猛烈な空襲があっても、こそとも言わない。
——山田風太郎『戦中派不戦日記』より。
さて、令和二年夏の浮世草。——
四月はまだ今後の感染拡大防止の話が多かったと憶えている。五月には給付金と闇マスクが浮世談義の王座を占めていた。六月は経営破綻の話と、そして末期は東京都知事選挙の話。
「いやあ、おそろしいですなあ。感染は!」「色々こわい目にも逢いましたが、あんなことは初めてですよ」
「何とかワクチンがなりませんかねえ!」
「やっぱり給付金は遅いのですかなあ!」等々。
それが、
「昨晩も、どうも」
「電車も混んでかなわんですなあ」
くらいに変わり、今ではいくら前の晩に猛烈な新規感染者の報告があっても、こそとも言わない。
○ヒュー・ウォルポール『銀の仮面』を読む。
いわゆる「奇妙な味」と呼ばれる傾向の作品が収められていて、表題作もそのひとつ。芸術を愛する孤独な婦人の家庭に、美しい青年とその家族がずかずかとあがりこんできて、どうしようもならなくなる……という筋は、たとえばミヒャエル・ハネケ監督の映画『ファニー・ゲーム』や、ポン・ジュノ監督の映画『パラサイト 半地下の家族』に似ている。個人的には、トルーマン・カポーティのおそるべき「ミリアム」が思いだされた。
ほかにも、どうしようもなく不快な人物を毎朝避けられない小市民のこころの変化をつづった「敵」や、いわゆる「虎か女か」的なリドル・ストーリーの皮をかぶって、その実これまた不快な人物を配しながら、こちらは彼の内面に迫って、クレーマー心理の根源に迫る「死の恐怖」など、普遍性ある「いやな話」が粒ぞろいである。
七月十日(金)
○帰宅して、映画『妖怪百物語』を見る。
圧巻は、クライマックスの妖怪百鬼夜行であるが、それまでの「商人と寺社奉行が組んでの悪事が、百物語を賄賂の口実としたばかりに、妖怪にたたられておそろしい目に遭っていく」パートがいささか冗長に感じられる。序盤に語られる「おいてけ堀」の話からして、神仏をおろそかにする態度や悪行に対する報いのあることを示して、その範囲から飛びでることがないのである。
○本日の、東京の新規感染者数は、二百四十三人。
「ナイトクラブの従業員らの集団検査の結果でもあり、都内病院の病床数が確保されていることもあり、第二波とはいえない」というのが、おおやけの発表であるが、とはいえ、この災禍にあって、一日で最大の感染者数を記録したことはたしかである。
しかし、一度緊急事態宣言を解除してしまい、他県との交流や、人が集まる業態の営業を再開したり、集団の規制を緩和してしまった以上、以前のように、行動制限による物理的な感染拡大の抑止は不可能であろう。それをするには金がかかるし、なにより人心への負担がかかることがはっきりしているからである。たかだか二ヶ月でも、緊急事態が宣言されれば、行動は制限され、経済は打撃を受ける、国の補償は遅れ、先行きの不安が人心を混乱させることは、もうはっきりしてしまったのである。
こんどこそ、もはやなるようにしかならなくなっている。
「つまり、何でも、運ですなあ。……」
と、一人がいった。みな肯いて、何ともいえないさびしい微笑を浮かべた。
運、この漠然とした言葉が、今ほど民衆にとって、深い、凄い、恐ろしい、虚無的な——そして変な明るさをさえ持って浮かび上った時代はないであろう。東京に住む人間たちの生死は、ただ「運」という柱をめぐって動いているのだ。
——山田風太郎『戦中派不戦日記』より。
(太字強調は引用者)
引用・参考文献
イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/)
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