温泉と思考
【週報】2017.07.03-09
ごあいさつ
こんにちは、うさぎ小天狗です。
七月に入り、暑さも本格的になってきましたが、みなさまはいかがお過ごしですか?
ちょうど七月に入った辺りから、急に肩が痛くなりました。しかも左肩。ぼくの聞き手は右手なので、痛くなるならこっちだろうと思ったのですが、左肩が痛いのは事実。しかも左の肩甲骨のあたりとか、鎖骨のあたりまで痛くなる始末。
仕事の疲れかな? 寝相が原因かな? いずれにしてもこれはまずい……と思い、コスギ・タンゲくんに相談したところ、
「それなら岩盤浴がいいですよ。なんならマッサージもしてきてもらったらどうですか」
との回答。
そう言われると、旅行先や田舎で温泉に入ったり、銭湯に行ったことはあっても、いわゆるスパとかには行ったことがないな、と思い至りました。
岩盤浴ってのは、なんだか原理がよくわからなくて気になります。マッサージは、中学時代からの親友や、高校時代からの親友や、なんなら妹うさぎもなりわいにしていることなのに、いままでちゃんと施術してもらったことがありません。
未知を探求せずして人生の面白さなしと思うものですから、ちょうどいい機会と考えて、日曜日、下品ラビットと二人、スパに乗り込むことにいたしました。
スパ(保養施設)へパス(行く)
今回行ったのは、横浜駅前にある、「横浜天然温泉 SPA EAS」さんです。
横浜駅周辺は、予備校生時代から馴染みのある土地柄なので、いまでもよく足を運びますが、こんなところにこんな施設があるなんて……と思っていましたが、この施設の入っている建物は、予備校生時代よく遊びに行ったボウリング場だったのでした。改装して、今はスパとかフィットネスクラブとかも入っているんですね。
正午過ぎの青空を背景にそびえる建物を見上げると、改装前の屋上で、友人たちとアーチェリーで遊んだことなどが思い出されます。
アレがきっかけでアーチェリー部入ったやつがいたよね、などと話しながらエスカレーターで受付フロアへ。
すっきりして開放感のある受付で会員登録を済ませ、館内着を受け取ったら、まずはお風呂。こちらの施設のお風呂は、内風呂がノーマルとジャグジーと水風呂の三種、外風呂(露天)が三種、それにサウナという構成になっています。
左肩の痛みを堪えながら毛皮の汚れを落としたら、まずは外風呂から。
三種類の外風呂は、定番の「源泉かけながし」の他に、「地下の有機物が溶け込んでいるために」麦茶みたいな色になっているという低温のお風呂と、炭酸によって微発泡しているお風呂という内訳。この中で、肩の痛みをなんとかするのが目的ですから、筋肉の緊張をほぐしてくれそうなのは、いわゆる「お風呂」な温度のかけ流しでないだろうなと、麦茶みたいな色の低温のお風呂を選んだら、これがとてもいい!
体温と同じくらいだから抵抗感が少ないのか、すんなり全身を浸すことができます。そのまま湯船に座り込んで、しばしぼんやり。横浜駅前という開けた場所にある都市型スパなので、露天風呂といっても外の景色が見えるわけではなく、目に入るのは他の利用者ばかり。裸の人間男性たちが、ぶらぶらさせながらあちらこちらへ移動していくのを見るともなしに眺めていると、次第に禅めいた境地に至るミニマルさが感じられてきます。金髪の若い男性、ふとったおっさん、ハゲたおっさん、毛だらけのおっさん……人間は多種多様だなあ、いわんやうさぎをや。諸行は無常だなあ、とうさぎとして思うのです。
「有機物が溶け込んで体にいいってことはよ」ふいに下品ラビットが壁面を示して言います。彼の示す先には、お風呂の成分と効能が書いてあるプレートがありました。「バートリ・エルジェーベトの血の風呂の話みたいなもんなのかもな」
「映画『WANTED』の回復風呂もそうかもね」
「あれはお湯じゃなくて蝋だろう……ふむん、蝋か。石油パラフィンだけが蝋じゃないからな、蜜蝋とか、鯨蝋とか、動物性の蝋なら、あるいは特殊な調合によって回復能力の促進になるかもな」
こんな話をしながら十分ほど浸かって、それから炭酸風呂へ。
といっても微発泡なので、炭酸飲料を飲むときのような刺激はありませんが、湯船につかっていると、毛に無数のあわ玉がついて、全身海ぶどうみたいに思えます。先の有機物風呂と比べると温度が上がっていますが、それでもぬるめ。こちらも十分ほど浸かっていました。
お風呂はデフラグ
ぬるめのお風呂に浸かってぼんやりしていると、全身がリラックスして、頭の中がほぐれてきます。一点を見つめて思考の働かない瞬間があるかと思えば、連想がとまらなくなることもある。思考と無思考の緩急は自在でありながら、そのコントロールを手放してなすがままに遊ぶ融通がある。
ああー、これはデフラグだな、脳というコンピュータの、パフォーマンスを働かせたまま、思考を司る部分が働くベースとなっている、経験や知識といった記憶の収められている部分を、ほぐして再配置して、こり固まった思考のラインを再構築し最適化しているんだ……などと考えた次の瞬間には、内風呂との境にあるガラスに映った背後の青空を眺めて、お口が富士山になっている。
頭の隅で「こういうのもリラックスなんだな」と思いつつ、リラックスした頭がそれ以上の思考を止める。それが不快でない。追い詰められていない、やらなくていい。
普段、リラックスすると言っても、楽な姿勢をとるくらいで、結局本を読んだり、音楽を聞いたり、映画を見たり、スマホをいじくったり、他人とおしゃべりしたりしています。自分を知るものは自分以外におらず、目を奪い耳をくすぐり思考を刺激するものがない状態に身を置いたことがなかったのでした。
ということは、ひるがえって、自分がいかに「考えなければならない」日々を送っているかがわかる……と、これはあとから考えたことではありますが、とにかく、そういう実感を得たのは、この時が生まれて初めてでした。
「おっさんになったからだろう」と、内風呂のジャグジーにたゆたいながら下品ラビットが言います。「これまでは温泉だの銭湯だので回復する必要ないほど治癒力が高かったんだ。四十郎も近くなって、衰えたのさ」
だけど、それがこういう気持ちにつながるんだから面白いよな、と彼が続けるのを聞きながら、特に返事も思いつかないので、ぽかんと口を開けて天井を見上げたのでした。
岩盤浴は寝てしまう
入浴を適当なところで切り上げ、ペットボトルのお茶で水分補給をしたら、いよいよコスギくんが勧めてくれた岩盤浴です。
フロアを移動し、岩盤浴ルームへ。二重扉の先はワインセラーのような薄暗い小部屋ですが、常時ひんやりしているワインセラーと異なり、こちらはむっとする熱気が篭っています。
一人分ずつ区切られた石版床にタオルを敷いて、備え付けの木の枕に後頭部を落ち着け寝そべっている他の利用者を真似て、ぼくたちも岩盤に寝そべってみました。
……汗まみれで気がついたのは二十分後。ぼくも下品ラビットもすっかり眠り込んでいたのでした。
狭い部屋なのでほとんど空気の動きはなく、四十度以上の室温があるので、多少息苦しくはありますが、岩盤を介して伝わった熱のせいか、体がぽかぽか温まって、血行が促進されている感じがします。
「あれだ、内功だ」と下品ラビット。「チャドー呼吸でもいい。全身の経絡を拓いて、血行を良くすることで、適切な酸素を含んだ血が行き渡り、全身が賦活されるんだ。それを岩盤がやってくれる」
中華武侠小説の雄の一人・金庸の小説『神鵰剣侠』に、「南極の氷を切り出してきたベッドの上に寝ていると、あまりの寒さに体が自動的に反抗し、意識せずとも気功の運用ができる」というガジェットがでてきますが、それと似た感じかもしれません。
武侠小説はもちろんフィクションではありますが、その根底には「現実的な人間の肉体の作用」があるんだなあ、などと考えながら、汗と涎をぬぐったタオルを交換してもらいました。
マッサージで調整される
最後はマッサージ。マッサージフロアで目に止まった「3000円で30分のスポットほぐし」をお願いすると、担当してくれた身ぎれいなおじさんが「どこが凝っているとかありますか?」と聴いてくれる。
左肩が痛いのでマッサージを受けに来た旨を告げると、マッサージベッドに横たえられ、肩と背中を念入りにマッサージして……いて、いてて、痛い! すげえ痛い!
「そんなに力入れてないのにそんなに反応されるってことは、やっぱりここですね」
痛む箇所を親指でぐりぐりしながらおじさんが言いま痛い! だから痛いって! でも気持ちいい!
「姿勢が悪いんでしょう。猫背になっている。いや、お客さんの場合は兎背か。とにかくデスクワーク中心だとこうなることは多いですよ。鎖骨のところの筋肉と、肩甲骨のところの筋肉をほぐす運動をお教えしますから、毎日やっていただければ多少改善すると思いますよ」
施術後、筋肉ほぐしの運動を教えてくれたおじさんにお礼を言って、吹き抜けフロアの階段状のスペースで、「夕焼けだんだん」の野良猫めいてごろ寝していると、あれれ、肩が軽くなってますよ。
「風呂で頭がほぐれて、岩盤浴で血行が良くなって、マッサージで体を調整される。オーバーホールされたようなもんだな」
そう言う鏡の中の下品ラビットの顔も、こころなしか緩んでいるように見えましたが、彼もまたリラックスできたんでしょう。
というわけで
その後は雑魚寝フロアでぼんやりしたり、マンガコーナーからマンガを借りて読んだりしながら(眉月じゅん『恋は雨上がりのように』はいいですな)、合計五時間ほどを過ごして退出。
午後七時近いのに、まだ明るい夏の空を見上げながら、すっかり痛みの抜けた左肩をぐりぐり回してみたりしちゃいます。マッサージ代を抜けば、料金は三千円しない程度。それでここまでスッキリできるのとてもいい。
その日は、その後映画を見て、ビールと魚の夕食をとって帰宅したのですが、夜もスッキリ就寝できたものです。
「人間もうさぎも、じぶん独りの力で生きていくことはできなくて、周囲の自然や環境や他人のお陰でなんとか生きている。つまりそういう環境のお世話になることは必要なんだから、自分独りでなんでも解決しようとせずに、人任せにしようぜ」
と、ハイボールのおかわりを頼みながら下品ラビットが言いました。
(うさぎ小天狗)
イラスト
『ダ鳥獣戯画』(http://www.chojugiga.com/)