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コロナ渦不染日記 #104

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二月二十二日(月)

 ○朝、カーテンのすき間から見える、巣穴のそとが明るい。着替えて巣穴を出れば、空気が甘く、あたたかい。
 今朝の体温は三六・一度。

 ○帰宅して、たまっていた『ミステリー・ゾーン』を見ながら、報告書をやっつける。

 もちろん、大傑作エピソード「真夜中の太陽(狂った太陽)」も見た。地球が太陽に近づき、世界中が高熱にさらされる――というエピソードは、制作・放送された一九六〇年代初頭の、アメリカの世界認識を想像させずにはおかない。ちょうど、キューバ革命の直後であり、いわゆる「キューバ危機」の直前である。第二次世界大戦時の、日本に対する核兵器の利用も、記憶に新しかったころだ。世界の破滅は身近なところに迫っている、という感覚が横溢していたのである。

 ○人類をはじめとする、われわれ知性生物は、「時間」を意識することによって、自己の変化を認識し、「死」を認識する。だから、いつか「世界はいずれ滅びる」ということを想像するようになるのである。知性生物が認識する「世界」とは、自己の認識のおよぶところのことであるが、その認識も、肉体というインターフェースを介したものであるから、そのインターフェースが失われれば、「世界」は認識できなくなり、滅びたのと同様になる。
 つまり、世界はあらかじめ滅ぶものであり、いずれは再生するのであるが、先の大戦と、続く冷戦、そして世界各地の内戦によって、その再生も信じられなくなってきたのが、冷戦下の東西世界であったのだろう。「真夜中の太陽」をはじめ、『ミステリー・ゾーン』とその時代のSFは、そうした背景と不可分である。

 ○本日の、全国の新規感染者数は、七四一人(前週比-二二四人)。
 そのうち、東京は、一七八人(前週比-八八人)。

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二月二十三日(火)

 ○祝日なので、一日巣穴でぼんやりするつもりだった。が、コーヒーの備蓄が切れたので、相棒の下品ラビットと、どちらがコーヒーを買いに行くか、じゃんけんをして決めることにした。

 ○しぶしぶ巣穴を出て、コーヒーを買うついでに、近所のブックオフに足を運ぶと、なんと、石川賢による「ゲッターロボ」シリーズの文庫版が、『ゲッターロボ號』から『ゲッターロボアーク』までそろっているのに遭遇する。すかさずゲットして帰る。


 ○本日の、全国の新規感染者数は、一〇八二人(前週比-二二六人)。
 そのうち、東京は、二七五人(前週比-七五人)。


二月二十四日(水)

 ○今朝の体温は三六・〇度。

 ○帰宅して、今日ははやく寝るつもりが、なかなか寝つけずにだらだらしてしまう。明日は、ひさびさの在宅勤務であるから、遅寝でも問題はないのだが、仕事やなにやら、気になることがおおく、それらをふり払うように、永井豪・石川賢『ゲッターロボ號』を読んでしまった。

『ゲッターロボ號』に限らず、石川賢マンガは、ぐるっと回って元に戻ってくることはあれど、基本的に後ろを振り向くことはしないのだと感じる。
 そして、そういう「進めるだけどこまでも進んでいく」物語は、面白いとか、かっこいいとか、感動するとか、そういったことで読ませるものではないのだろう。読者は、どこまでも進んでいく物語に載せられて、途中下車ができないだけである。つまり、物語がどこにむかっていくかは重要ではなく、どこかへ向かう物語に、どんな勢いがあって、どう変化していって、どんなことになるかが重要なのである。
 だから、その動きを堪能することができれば、物語が完結したかどうかなど、どうでもいいことなのではないだろうか。そう考えれば、石川賢氏のマンガのおおくが、完結していないにも関わらず、受け入れられる理由ではないかと思う。特に、先週まで読んでいた、新井英樹『ザ・ワールド・イズ・マイン』と比較して、そう思う。

 ○本日の、全国の新規感染者数は、九二一人(前週比-五二五人)。
 そのうち、東京は、二一七人(前週比-一六五人)。


二月二十五日(木)

 ○今朝の体温は三六・〇度。

 ○ひさびさの在宅勤務であるが、前日が遅寝だったせいか、あるいは日頃の疲労がたまっているのか、なかなかエンジンがかからない。「現場は働くところで、自宅は休むところ」というマインドセットができあがってしまっているのかもしれない。

 上記のようなアドバイスをいただいたので、とりあえず部屋の万年床をたたむことにした。そういえば、去年の五月、在宅勤務が続いていた時期も、そうしていたのだった。

 ○本日の、全国の新規感染者数は、一〇七五人(前週比-四六一人)。
 そのうち、東京は、三四五人(前週比-一〇五人)。


二月二十六日(金)

 ○今朝の体温は三六・一度。

 ○昨日、先輩からの指示で作成した成果物に対して、朝一番、別の先輩から物言いがつき、すこしむっとした。両者のあいだで情報共有がなされていないことが理由なのはわかっているし、その原因も、今年に入ってからの繁忙であることがわかっているが、それでも、ぼくの落ち度なくそのように言われるのは腹立たしい。

 ○現場での作業自体は、満足のいくものであったが、朝の出来事が胸に残って、帰宅後、仕事をする気にならない。下品ラビットが揚げ物を買っていたので、それをむさぼり、ビールを飲んで、早々に寝てしまうことにした。

 ○夕食の準備をしていると、テレビで、管総理大臣が、岐阜県、愛知県、京都府、大阪府、兵庫県、福岡県の二府四県において、今月いっぱいで緊急事態宣言を解除する旨をつたえる会見を行っているのを見る。

 総理大臣の発言の端々から、緊急事態宣言の発出が解除を前提としていることがうかがえて、不信感が増す。これでは、まるで、対応策を講じていることをみせるためだけに緊急事態宣言を発出したように受けとれてしまうではないか。
 緊急事態とは、「事態」というだけあって、対策するものたちの外部にあるはずである。コントロールできないのだから、緊急事態であると言っていい。だから、「緊急事態宣言の解除」は結果であって、目的ではないはずである。
 しかし、「新規感染者の調査方法を変える」などという「対応策」をとっておいて、「感染の拡大が収束している」とするなど、政府の行っていることは、解除を目的としているとしか考えられない。しかも、緊急事態が発出されていようがいまいが、自粛を呼びかける範囲は飲食店を主としているばかりであるし、それも「国民の皆様にお願いする」というしかないのであるから、緊急事態の本質は、なんら変化していないではないか。
 そんなことを考えていたせいか、記者からの質問を受ける総理大臣の、半眼の目つきが、「面倒くさいなあ」と思っているように受け取れてしまう。

 ○本日の、全国の新規感染者数は、一〇五五人(前週比-二四五人)。
 そのうち、東京は、二七〇人(前週比-八三人)。

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→「#105 どんな苦難も乗り越えよう」



引用・参考文献



イラスト
「ダ鳥獣ギ画」(https://chojugiga.com/


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