コロナ渦不染日記 #116
四月一日(月)
○今日から四月である。と同時に、久々の出社でもある。体温計を脇に挟むのも久しぶりである。
今朝の体温は、三六・一度。
○午後からはミーティングであった。去年のおなじ時期とくらべると、倍ちかい数の同僚がいるのは、これからはじまる新年度の忙しさを思わせた。ぼくも、ある意味では、今年度のために雇用されたようなものであるから、ここが正念場ともいえるが、では、ぼくの内部のことがらを棚に上げて、それ以外の部分――会社の体制、現場の体制、制度じたい、そして社会の動き――は、その正念場に対してしっかりした準備がととのっているかというと、そういい切るにはいささか心許ないところがあるように思う。
○特に、社会の動き……つまり、この日記の主眼である、新型コロナウィルス流行と、それによる社会の変化が、去年と同様に、先行きが判然としない。去年は、それこそ、人類と知性生物の社会が、これまで経験したことのない未曾有の事態であったから、先行き不透明であっても当然といえた。しかし、今年もまた、先行き不透明というのはどうしたものかと思わざるを得ない。それだけ、この災禍と、それを中心として、連動して生み出される社会の動き――コロナ渦――が巨大なものである、ということでもあろうが、一方で、そうした動きを完全に止めることができないまでも、「できるかぎりのことをしているのだから、あとは結果が出るのを待つしかない」と思わせてくれない政府の施策や、状況を理解して適切な行動をとっていると思えない国民の生活を想起するによっては、災禍のある種の伝導体ともいえる役割を果たしてしまった社会構造そのものにそもそもから問題があって、そのことから目をそらしているために、なんら有効な手が打てずにいるのではないか、と考えてしまう。
もちろん、ぼくも、そうした社会構造のパーツのひとつである。そうであるからには、なおのこと、他に染まることなく、とるべきと思いさだめた行動をとらねばならない。
○このようなことを考えたのは、帰宅後、大阪をはじめとする関西三県で、「まん延防止等重点措置」が適用されるというニュースを見たからである。
そして、この「まん延防止等重点措置」、ニュースなどの説明を聞いてもよくわからない。どうやら、「緊急事態宣言」同様、時短営業の命令や、命令に従わない場合には過料の罰則を適用できるようだが、すると、緊急事態宣言となにが異なるのか。また、それがどのような効果をねらっての適用なのか、判然としない。首相も、各県知事も、「感染拡大を抑え込む」「みなさんには我慢をしていただく」……そういった発言に終始するばかりであるからだ。
○夜、『ゴジラSP』第一話を見る。
一九五四年の『ゴジラ』から二〇一九年の『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』まで、連続性のあるなしはさておき、さまざまな〈ゴジラ〉が登場したが、そのなかでもっとも伝奇性の高いゴジラが、このアニメのゴジラとなりそうだ。円城塔氏の脚本も、時空を超えるビジョンをあらかじめ織り込むなど、SF畑の作家の手によるものらしいしかけが用意されていそうで、期待が膨らむ。
○そういえば今日はエイプリルフールであった。といって、ウソをつくぞウソをつくぞと言ってからつくウソほどつまらないものもない。そこで、ウソのような本当の話をひとつ。
今日、四月一日は、ぼくたちの親の結婚記念日である。
つまり、このウソのような本当のことがなければ、ぼくたちはこの世に存在しなかったかもしれないということになるのだ。
○本日の、全国の新規感染者数は、二六〇七人(前週比+六九二人)。
そのうち、東京は、四七五人(前週比+八一人)。
四月二日(金)
○今朝の体温は、三六・〇度。
○朝、最寄り駅のホームに立つと、やってきた電車が、久方ぶりの満員電車であった。関西に、この災禍の新規感染者が急増し、「まん延防止等重点措置」がとられているというのに、このようなことが起きるなら、人間の社会構造そのものがこの災禍の中心であろうかとすら思えてしまう。
ぼくは、これまで、災禍の中心には「新型コロナウィルス」があり、社会はその周囲にあって、中心から渦を巻くかたちで放射される「影響力」を受けて、巨大な渦を巻きながら、外へ、外へと力を伝えていくものと思っていた。しかし、そうではないのかもしれない。災禍の中心には最初から「我々の社会」があって、そこへ一滴、「新型コロナウィルス」という色がしたたり落ちたために、どこもかしこも朱色に染まっていっているということかもしれない。
○今日の業務は後輩のサポートであった。一年前、右も左もわからないこと新兵のごとくであったぼくが、たった一年生き延びただけで、古参兵として初年兵を監督するごとくであるのは、なかなかに恐ろしい事態であるといえよう。有馬頼義『兵隊やくざ』のようだな、という思いが浮かんで消えなかった。映画版では田村高廣氏の役どころであろうか。
○俳優の田中邦衛氏が、先月末に亡くなられていたというニュースがあった。老衰であったというから、生きものの死としてはおだやかなものであったろう。死は誰にとっても必然であり、当人にとってはその後になにを思いわずらうこともないことであるが、残されたものにとって、必然となるか偶然となるか、思いわずらいの種となるか寂滅を想起する縁となるかは、受け取り方しだいである。「せめて安らかに死をむかえた」と思えることの幸福は、残されたもののそれである。
○昨日の、「まん延防止等重点措置」と「緊急事態宣言」の違いについて調べてみると、以下のようなことがわかった。
「まん防」は国が都道府県や期間を決めるが、具体的な対象区域や対策は知事が判断する。対象地域についても緊急事態宣言とは違いがある。緊急事態宣言は都道府県単位だが、「まん防」は市区町村単位や一部地域で指定することができるため、より細かな対策を打つことが可能とされる。
一方、緊急事態宣言は幅広い業種に時短や休業命令が可能だが、「まん防」では、感染拡大のリスクが高い飲食店などに対象が限定される。「まん防」は時短の要請と命令だけが可能で、休業要請はできない。
――朝日新聞デジタル「「まん防」と緊急事態宣言、どう違う? 対象地域は…」より。
(太字強調は引用者)
つまり、「緊急事態宣言を出すことによって生じるデメリットである、『休業要請にともなう補償』を回避しつつ、県以下の判断によって細かく対応ができる」ところに利点があるようだ――などと、斜にかまえてみたくなるが、とはいえ、先月末からの新規感染者増加に対して、なんらかの対策をこうじなければならないとしたら、確かに、こういうかたちにならざるをえまいか。
○本日の、全国の新規感染者数は、二七五七人(前週比+七三〇人)。
そのうち、東京は、四四〇(前週比+六四人)。
引用・参考文献
イラスト
「ダ鳥獣ギ画」(https://chojugiga.com/)