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「アイ・ソウト・オブ・ガン・アンド・マイ・デッドボディ・ビフォア」

 おれ。
 おれが、死んでいる。
 そう、おれだ。おれが死んでいる。おれの目の前で。脳天に風穴を開けられて、後頭部から中身を噴き出して、おれが死んでいる。――では、おれは? おれは誰だ?
 おれの手には銃。六連発の回転弾倉に空薬莢が一発分、あとは空。つまり、こういうことか。
 おれが、おれを殺した……?

 おれが倒れているのは――ややこしいな、死んでいる方のおれが倒れているのは小便器の前。つまり生きている方のおれがおれの死体を見下ろしているのは、便所だ。特徴のない便所。鏡がある。見る。おれがいる。これでこの場にいるおれは三人になった。みんな同じ顔だ。いや待て三人はおかしい。鏡の中のおれはおれだからだ。鏡の前からおれが退けば、鏡の中のおれは消える。つまり実在してるおれは二人だけだ。いや待てそれもおかしい。おれが二人いるなんて変だろう。おれはおれだ。おれ以外のおれがいてたまるもんか。

 試しに便所を出た。ちゃんと扉も閉めた。外は廊下だ。薄暗い廊下。暖色の電球が天井に等間隔にはめ込まれて、真紅のカーペットを照らしていた。ここはどこだ。こんなところ知らないぞ。どうやってここにきた? 何しにここにした? まさか……おれを殺しに?

 混乱してきたので、最初の目標に集中することにした。つまり、おれの死体が消えているかどうかを確かめろ。いつだってそうだ、すぐに頭が混乱しちまう。いろんなことを同時に考えられない。そういえば最近よく頭痛がする。なんかの病気かもしれない。
 また混乱してきた。便所の扉を少しだけ開けた。中を見た。おれはいた。つまり、死んでる方のおれが。短い足に履いた、かかとのすり減った靴をこっちに向けて、最近たるんできた腹を天井に向けて。はげてひたいの広くなった頭は向こう側。死んでる方のおれは消えていなかった。つまり死んでる方のおれは実在しているのだ。おれはおれを見下ろした。死んでる方のおれはびっくりしたような顔をしている。そうだろうな、おれもびっくりだよ。まさか同じ顔の人間がいるなんて。まさか便所で会うなんて。まさかそいつに殺されるなんて。
 ……いや、ほんとうにそうか? おれが殺したのか? おれじゃないかもしれない。おれは、おれが来る前に殺されていたのかもしれない。おれは、おれが殺されるのをとめに来たのかもしれない。おれの銃の一発は、おれを殺したやつに向けて撃ったのかもしれない。
 トイレじゅうを探した。タイルの隙間を舐めるように見た。なにもなかった。タイルと、タイルの隙間には。扉にあった。弾痕。一発だけ。これではっきりした。おれは、おれを殺していない。小躍りして喜んだ。はずみでおれの右手を踏んでしまった。包帯をしている方の手だ。おれはよろけながら謝った。すまん、怪我してるのに。そして笑い出した。ほっとしたのだ。
 だが、よろけたひょうしに、おれは見つけてしまった。死んでる方のおれの頭のさす先の、壁にやっぱり弾痕があった。つまり、これは死んでる方のおれを殺した弾が、おれの脳みそをかき回して飛び出たものだ。そしておれには、どっちがおれの銃から飛び出たものかわからなかった。こんなことならもっとちゃんとCSIとかERとかネイビーシールズ特捜班とか見とけばよかった。そうしたら殺しの技同様、今の自分の潔白を証明できる証拠を見つける技も身についたろうに。おれはほぞを噛んだがもう遅かった。……いや、そうか?
 その時、重大な事実を思い出した。おれは殺しの技を知っている。銃だけじゃない。ナイフやチョップや靴紐で人を殺す方法を知っている。そして、おれはそれをテレビで見た! テレビで見て、そして覚えた! そのとおりにした! なんども! なんども!

 ――背後でぴこぴこと音がした。
 おれは振り返った。便所の扉が開いていた。そして、黒いスーツの男が一人ずつ便所に入って来るところだった。全部で三人。見た目の年の順に、でぶと、でぶでハゲと、ハンサム。ハンサムが一番若い。ぴこぴこという音はそいつの持つ電卓みたいな箱から鳴っていた。
「これ、どっちでしょうね」ハンサムが言った。
「ばか、どっちだって一緒だろうが」とでぶが言った。醜いでぶだった。油じみた髪を後ろになでつけてポニーテールに結んでいる。じじいなのにポニーテール。「おい、始末しとけ」ポニーテールでぶが言った。
 ハゲたでぶが懐に手を突っ込んだ。おれは進み出てその手を掴んだ。
 ハゲたでぶがギョッとした顔でおれを見た。その鼻面におれは頭突きをめり込ませた。軟骨のつぶれる感触を味わいながら、だからはげるんだと思った。おれの生え際はかなり後退している。だのに、ひたいの真ん中にはまだ毛が十本ほど残っていた。みっともない気もするが、どうしょうもない。おれはおれなのだ。
 気を取り直し、そのままハゲたでぶを押した。扉にぶち当たった。おれはその場で飛び上がって、両足で残る二人を蹴った。ハゲたでぶのネクタイを掴みながら振り返ると、ポニーテールは洗面台に手をついて持ちこたえていた。ハンサムはおれのそばに倒れていた。死んでる方のおれのそばにだ。
 ネクタイをひっぱった。「ひょえ」ハゲたでぶの無様な声が耳元で聞こえた。「うひゅ」ハゲたでぶは窒息寸前だ。そのまま前に進んだ。ハゲたでぶがついてきた。その腹に肘をぶち込んだ。「ぐぇぷ」ハゲたでぶは悶絶した。
 ポニーテールを蹴った。「うおっ」ポニーテールはそのつき出した腹を洗面台にぶっつけた。
「なにしやがる」ハンサムが起き上がった。ハンサムの顎を蹴り上げた。ハンサムはまたおれの、死んでる方のおれのそばに倒れこんだ。
「やめろぉ」耳元でハゲたでぶが言った。ネクタイを締め上げた。ハゲたでぶがもがいた。ガチャと音がした。おれの足元に拳銃が転がった。九ミリのオートマチック、減音器つき。ネクタイを離し、ハゲたでぶを後ろに蹴った。屈みこんでオートマチックを拾った。ポニーテールの股間を撃った。
「ぎゃあ」ポニーテールの悲鳴は二発目の発射音をかき消した。起き上がりかけていたハンサムの腹がはじけた。
「うわあ」ハンサムの悲鳴は三発目の発射音をかき消した。ポニーテールの頭の中身が洗面台の鏡にとび散った。
 四発目の発射音は屁のようだった。
 おれは立ち上がった。扉のほうを振り返った。ハゲたでぶがよろよろと起き上がるところだった。屁のような音が二回して、ハゲたでぶも死んだ。……これで、生きているのは、おれ一人だけになった。

 これではっきりした。おれは二人いるが、生きているおれは一人だ。死んでる方のおれはやっぱり死んでいる。つまり生きているおれとは別物だ。やつは死んだ。おれはもちろん生きている。おれはおれだ。おれは一人だ。

 三人の懐を漁った。三丁の減音器つきオートマチックと、三個のマガジンと、三個の財布が出てきた。ついでに死んでるやつの懐も漁った。おれのと同じ財布と、おれのと同じ拳銃が出てきた。弾は一発だけ。オートマチックの弾を全部トイレに流した。おれの拳銃とは違う弾だった。三個の財布の中身は札だけだった。身分証とかはなかった。死んだやつの財布にも身分証はない。おれのも同様。札と小銭をおれの財布に移した。死んだやつの拳銃を手に、おれは便所を出た。
 この一発をぶち込むべきやつにぶち込んでやる。それをとりあえずの目標にする。

 廊下に出た。薄暗い廊下。暖色の電球が天井に等間隔にはめ込まれて、真紅のカーペットを照らしていた。おれがいた便所は廊下の真ん中だった。とりあえず右へ行った。
 部屋をいくつか通りすぎた。部屋番号は全部「60」で始まる三桁だった。廊下の突き当たりを左に曲がると、右手に階段ホールがあった。上下に階段が続いていた。引き返してまっすぐ進んだ。
 突き当たりを右に曲がるとエレベーターホールがあった。自販機があって、ビールや水を売っていた。エレベーターを呼んでから、ビールを買った。飲んだ。ビールはビールだった。
 ビールを飲み干して、缶を潰して平らにした。
 エレベーターがやってきた。三人の男が出てきた。どいつもこいつも黒服だ。おれはその一人の頸動脈を平らにしたビール缶で撫でてやった。赤い血を吹き出してそいつはよろめいた。
 そいつの懐に手を入れた。やっぱり拳銃を持っていた。
 残りの二人も拳銃を抜いた。屁のような音がして、弾が発射されたようだった。弾はおれが盾にしたやつの背中をえぐったようだった。盾にしたやつの肩越しに銃を撃った。屁のような音がして「うわっ」「ぎゃあ」悲鳴が上がった。盾にしたやつの左側からちらっとそちらを見た。二人の黒服は床に倒れていた。吹き出した血は、カーペットの赤に紛れてよく見えなかった。
 弾がなくなった。拳銃を捨てて、盾にしたやつを押し倒した。屁のような音がして、おれの頭があったところを弾が通り過ぎた。撃ってきた生き残りの足を掴んで引き寄せた。撃とうとしてきたので足首をねじってやった。「ぎい」そいつは変な声をあげて拳銃を落とした。立ち上がってねじった足を踏みつけてから、拳銃を拾った。もう一人は動かなかった。念のためそいつの頭に二発ぶち込んでから、生き残りに銃を向けた。

「おい」おれは言った。
「貴様」そいつが言った。
 そいつの耳のそばを撃った。そいつはぎゅっと目をつぶった。震えていた。
「おい」もう一度言った。「教えてくれよ」
 そいつは震えながら目を開けた。
「おれは誰だ」おれは聞いた。
「お前は……」そいつはおれの背後をちらと見て、それから観念したように息を吐いた。「お前は殺し屋だ」
「だろうな」おれは言った。そしてさっきと同じところを撃った。
 そいつはもう一度目を瞑った。しょんべんの匂いがした。
「おい」とおれは言った。「次は殺すぜ」
「わかった」そいつは震えながら言った。「お前らは逃げ出したんだよ」
「『お前ら』?」
「そうだ、お前らだ。お前と、お前。オリジナルと、コピーだ。逃げ出したんだよ。コピーが、オリジナルを連れて」
「なんのことだかさっぱりわからん」
「お前らは殺し屋なんだよ!」
「殺し屋のオリジナルとコピー」
「コピーが狂ったんだ。劣化するんだよ。詳しいことはよくわからん。ただ、劣化したコピーが発狂して、オリジナルを連れて逃げ出したんだ。おれたちはお前らを殺すために送り込まれた」喋りながら、そいつはちらちらとおれの背後を見た。
 おれは話に集中するふりをした。「じゃあなにか、おれはおれのオリジナルを殺したってわけか」
「殺したのか」
「知らん。おれが死んでた。つまりおれと同じ顔のおれが」
「すると、お前は発狂したコピーだ」
 そうなのか。おれは考えた。……よくわからなかった。
「よくわからん」
「やっぱりお前はコピーだ」
 そう言ったやつの目が輝いたので、おれはやつの背後に回った。
 やつを抱き起こしたのと、密かに角を曲がってきた兵士が散弾銃を構えるのは同時だった。兵士。そう見えた。特殊部隊かなにかかもしれない。ヘルメットに防弾ベストに散弾銃。背後に似たようなやつらが三、四人。
 散弾銃が吠え、おれは吹っ飛ばされた。盾にしたやつもろとも廊下に倒れこんだ。
 おれは盾を抱き起こしながら銃を撃った。屁のような音がして、散弾銃のやつが倒れた。ベストに当たったから死んではいないだろう。
 撃ちながら立ち上がった。エレベーターのボタンを叩いた。
 撃った。もう一人倒したが、別の一人には盾を持っていたので弾かれた。
 扉が開いたので駆け込んだ。閉まりかけの扉に盾が突っ込まれた。
 おれはそれをひっぱった。扉がまた開いた。サブマシンガンが突っ込まる。エレベーター内に弾がぶちこまれた。おれはそれを盾の持ち手側で受けた。盾の持ち手側と盾持ちがぐずぐずになったが、おれは無事だった。射撃が止んだところで、サブマシンガンを持つ手を蹴った。扉を閉めるボタンを押した。閉まった。おれは最上階のボタンを押した。
 エレベーターが上昇していく。おれはグズグズになった盾持ちの死体を見下ろした。……とくに何も考えは浮かばなかった。だからおれ自身のことを考えた。
 殺し屋。コピー。おれはどうやら一人ではないらしかった。では便所で死んでいたのは誰だ。オリジナルか。だが、おれの首の裏にタグがついてるわけでもない。なら考えてもムダだ。
 おれは死体を見下ろして別のことを考え出した。屈みこんで、盾持ちからコンバットナイフと拳銃をいただいた。拳銃でエレベーターの天井を撃った。救出口の鍵を破壊した。盾を壁に立てかけて、足場にした。

 エレベーターが最上階についた。
 扉が開いた途端、弾がぶちこまれた。その半数が盾に逸らされて天井や壁に跳ね返った。中には盾からはみ出してる盾持ちの脚を撃ち抜いたものもあった。
 射撃が止み、二人の兵士がサブマシンガンを構えて入ってきた。二人は素早くエレベーター内部を見回して、天井の救出口の鍵が破壊されているのを見つけた。跳ね返った弾の一部が開けた穴から、どろっとした血が垂れていた。
 二人は天井を撃った。おれは盾の横から拳銃を撃った。
 二人の脚が千切れた。倒れ込んだ二人の上に、ボロボロの救出口から、おれが押し上げておいた盾持ちの上半身が落ちてきた。おれは盾を構えて前に出た。エレベーターの戸口に盾を構え、安全を確保してから、背後の二人の頭を拳銃でぶち抜いた。
 そいつらのサブマシンガンを拾ったところで、盾越しの頭上に散弾銃の銃身が突き出された。盾を跳ねあげて射線をそらした。そのまま前に突進した。エレベーターを出たところで散弾銃が吠えた。キンと耳が遠くなった。おれは散弾銃野郎を盾で押しながら、右側に向けて右手のサブマシンガンをめくら撃ちした。散弾銃野郎が倒れ込んだ。おれはそのまま前に飛んだ。
 おれがいた場所を銃撃が走り抜けた。おれは豪勢な広さの部屋の真ん中のでかいソファめがけてダイブした。ここはスイートだかペントハウスだかのようだった。高級レザーのソファはおれを追ってきた銃弾を受け止めた。
「薄汚い殺し屋め」誰かが怒鳴った。「手こずらせやがって。出てこい、蜂の巣にしてやる」
 やなこった。おれはふかふかのカーペットを這いずって移動しようとした。サブマシンガンの銃声がした。出られない。
 おれは拳銃の薬室に弾が残ってるのを確認し、マガジンを外した。
「吹っ飛べ」
 マガジンを放った。走った。ソファの奥のバーカウンターを回り込みながら、ちらと残りを確認した。五人。五人もいる。そんなにおれを殺したいのか。
 いいだろう。おれを殺そうとしたらどうなるのか、知らんわけでもあるまいに、どうしてもってんなら、殺してやる。
 とはいえ、現状は極めてまずい。
「撃て」
 さっきのやつが叫んで、バーカウンターが撃ちまくられる。ライフル弾でないのが幸いだが、いつまでももたないだろうし、ここに釘付けにされたら元も子もない。奥の棚から、撃たれた酒と瓶の破片が降り注ぐ。おれもこうなるのか。
 いや。まだだ。おれは懐の六連発をイメージした。この一発をぶち込むべきはこいつらじゃない。
 こいつらはおれを殺しにきてる。おれを生かして放っておくことはしない。便所で死んだおれを殺したやつは、おれを生かしておいた。そうする必要があったのだ。
 おれを生かしておく必要のあるやつは誰だ。狂った殺し屋のコピーを生かしておく必要のあるやつは。
 それはいまおれを殺そうとしてるやつらじゃない。殺し屋のコピーを作ったやつでもない。
 じゃあ誰だ。便所のおれを殺し、便所におれを放置して、こいつらに殺させようとする奴は誰だ。
 ……もしかして。
 いや、どうだ。その可能性はあるか。黒服が言ってたな。「どっちだって一緒だ」と。「コピーがオリジナルを連れて逃げた」と。
 どうだろうか。ありえるだろうか。おれの考えはあたっているだろうか。
 だが、そういうことだとしたら、とりあえず、つじつまは合う。
 おれの考えがあっているかどうか。それを確かめるために、いま、やるべきことは一つしかない。おれはバーカウンターの下を探った。なにかないか。映画だと、こういうところに銃を隠してあったり、ヴェロキラプトルの追跡をかわせる隠れ家があったりする。絶対の危機を脱出できる伏線が、あらかじめ用意されてるもんなんだ。
 ――あった。拳銃が二丁。ライフルが一丁。十字に重ねてテープでまとめられたマガジンが合計二つ。
 拳銃を掴んで引っ張り出したとき、おれは思い出した。
 ここに、これを、しまったのは、おれだ。
 ここはおれのペントハウスだ。おれの隠れ家だ。
「学校」で殺しの技を叩き込まれ、見させられた「テレビ」で洗脳され、「ビーコン」を埋め込まれて、猟犬として野に放たれたおれが、「学校」の指令をこなす合間に、休息をとるために選んだ場所。
 おれだけの場所。

 おれは拳銃をジャケットの左右のポケットに突っ込み、ライフルのマガジンをズボンの前に差した。ライフルを引っ張り出してボルトを引いた。カウンターの裏に向けてぶっ放した。
「ぎゃあ」「ひい」叫びが上がった。ライフル弾がバーカウンターを貫き、襲撃者たちを襲ったのだ。
 マガジンを撃ちきった。おれは素早く十字組みマガジンに交換し、ボルトを引いて立ち上がった。
 おれのペントハウスに侵入した兵士の生き残りのうち、二人が倒れていた。残り三人がエレベーターの方へ後ずさりしていた。
 おれはライフルを撃った。撃った。撃ちまくった。ライフルをフルオート発射し、兵士たちに死のダンスを踊らせながら、おれは思い出していた。

 仕事を終え、「学校」への報告を済ませ、酷くなる一方の頭痛をなだめるために、ペントハウスでなん日か寝込んでいた。
 電話が鳴った。別のおれからだった。コピーの一人から。
「オリジナルを助け出したんだ」そのおれがそう言った。「匿ってくれ」
「やなこった」おれは応えた。
「劣化のことは知ってるか」おれが言った。
「劣化?」おれは知らなかった。
「おれたちの脳の寿命だよ」おれが言った。「おれたちはこのままだとおかしくなっちまうんだと」
「ビーコンは」おれは聞いた。
「外した」おれが言った。「オリジナルが埋め込まれた場所を知ってる。外し方も知ってる。『学校』につけられる心配はない。頼む、匿ってくれ」
「わかった」おれは承諾した。
 翌日、電話があった。
「おれたちは6015号室にいる」おれが言った。

 ライフルの弾が切れた。十字組みマガジンのもう片方に取り替えながら、おれはバーカウンターを出た。
 兵士はみんな死んでいた。
 奴らに背を向け、奥のベッドルームに向かった。ウォークインクローゼットの奥の、真下の部屋のクローゼットに出る秘密の落とし戸を開け、飛び込んだ。
 下の部屋もおれが借りている隠れ家だ。おれは、そこでありったけの武器をボストンバッグに詰め込んだ。
 敵は「学校」、殺し屋育成機関であり、腕利きの殺し屋のコピー体を製造し運用する、殺し屋派遣業者だ。たった一人で太刀打ちできる相手じゃない。当然、ボストンバッグに詰め込める程度の武器で倒しきれる相手じゃない。
 だが、ここで殺されるわけにはいかない。なんとしても生きて、ここを脱出する必要がある。
 おれの懐の六連発に、たった一発残った弾丸を、ぶち込んでやるべき相手がいる。
 そいつは誰だ?

 おれ。
 おれはコピーだ。だがコピーはおれ一人じゃない。おれに連絡してきたおれもコピーだ。そのおれは、おれと同じくオリジナルのコピー。そのコピーがオリジナルと逃げてきた。そして、たぶん、六階の便所で死んだ。おれはそこへ誘い出された。
 すると、おれを殺したのは。おれを、おれを殺した現場に残して、陥れたやつは。おれと同じくおれのコピー体であるおれを便所で殺し、「学校」におれを殺させようとしたやつは。
 おれのオリジナルだ。
 死んだコピーをそそのかし、「学校」からまんまと姿をくらました、おれだ。

 そのおれから、おれの全身へとコピーされた、殺しの記憶が甦ってくる。
 身の回りのすべてを利用しろ。誰かを盾にしろ。そうしてなにがなんでも生き延びろ。
 それはおれがオリジナルから受け継いだメソッドだ。とうぜんオリジナルもそうする。
 おれは盾にされたわけだ。おれがそうしてきたように。

 ボストンバッグを肩から下げ、ライフルを手におれは廊下に出た。誰もいなかった。赤い絨毯を踏んで階段へ向かった。
 発煙筒を点火して階段に放った。すぐに下のフロアからの銃撃が始まった。
 吹き抜けから響いてくる銃声を聞き流し、バッグから取り出したロープの片方をバッグに結びつけた。もう片方の金具をつかみ、白い煙が充満する階段エリアに飛び出した。金具を吹き抜け上部の手すりに固定し、バッグを吹き抜けに放った。ライフルを構えて待つこと数秒、はるか下方で重いものが落ちる音がした。おれはロープを掴んで吹き抜けに身を躍らせた。
 重力に引かれてロープを滑り降りていくおれの視界を塞いだ白煙は、すぐに晴れた。代わりにラグジュアリーな壁紙の前に並んで、おれの滑り降りてきた上方をうかがう兵士たちが見えた。
 中の一人と目があった。おれは撃った。そいつは死んだ。おれはそのままライフルの弾をばらまいた。全員に当たった。
 一瞬の交差のその後は知らない。片手の中で震えたライフルの弾切れ、もう片手を革手袋越しに熱くするロープが切断される確かさ、それだけがおれに知れたこと。最後の一フロアをおれは自由落下した。
 ライフルがすっぽ抜け、おれはボストンバッグのそばに落ちた。もちろん受け身は取っている。それでも数秒息が詰まった。
 ――こんなことは前にもあった。それはおれの記憶かも知れないし、オリジナルのおれの記憶かもしれない。どうでもいいことだ。
 おれは立ち上がった。

 おれはおれだ、殺し屋だ。おれを殺そうとするものは殺してやる。

 階段を降りてくる足音。おれが滑り降りるのを見たやつらだ。中にはなんらかの方法でロープを切ったやつもいるかもしれない。
 おれはジャケットの左右のポケットからオートマチックを抜いた。階段を降りてきた奴らめがけて、両手の弾をぶちまけた。
 悲鳴がこだました。
 両手が心持ち軽くなった。床に散らばる空薬莢に二個のマガジンを追加し、新しいマガジンを追加する余裕は充分にあった。
 二丁のオートマチックをポケットに戻し、おれはボストンバッグを開けた。サブマシンガンを取り出した。ボルトを引いて初弾を装填してから、バッグを拾った。
 廊下に出た。人影が見えたので撃った。
 ばらまいた弾は盾に防がれた。だが、それで相手の足は止まった。
 おれは地下駐車場へ続く扉を開け、階段下にボストンバッグを放った。片手のサブマシンガンを階段上に向けたまま、横向きで階段を駆け下りた。
 階段上の扉が開いた。おれはまた撃った。弾切れする前にボストンバッグから手榴弾を取り出した。ピンを抜いたところで、階段上から発煙筒が投げ込まれた。手榴弾を放り返し、おれはボストンバッグを手に地下駐車場に出た。
 扉の向こうでくぐもった爆発音がした時には、おれは自分の車の側にいた。おれの車はフォードの青いセダンだ。昔見た映画で、フォードの青いセダンが出て来たからだ。
 ドアに手をかけようとして……そこでおれは手を引いた。
 おれの記憶が告げていた。おれなら、おれが逃げる時、車を使うだろうと考えるだろう。そして、なにかしかけをしていくはずだ。
 おれはバイク置き場に走った。ハーレーが三台止まっていた。三台のうち、一番年季の入ったやつのリアフェンダーの中で、探しているものは見つかった。
 おれはスペアキーでハーレーを目覚めさせた。長距離旅行者のハーレーオーナーには、まれにこの手のズボラがいるんだ。
 ハーレーが地下駐車場を抜け出した。

 白昼の大通りを、ハイウェイに向けてハンドルを切ったところで、ホテルの前に停まっていたバンの一台が動き出した。ハーレーの後ろについてきた。
 おれは振り返ってそのバンのフロントガラスを撃った、撃った、撃った。
 フロントガラスを蜘蛛の巣みたいな亀裂が塞いだ。バンがスピードを落とした。
 おれは前に向き直り、アクセルを吹かした。ちょうど赤信号に突っ込んだところだった。交差点の左右から車が突っ込んでくる。いや、おれが突っ込んでいるのか。
 とにかく、左右を行き交う車をなんとか避けた。けつの穴がムズムズする。おれは歯を食いしばり、頬を引きつらせていた。死ぬかと思うような場面に会うと、笑っちまうもんなんだな。
 ハイウェイに向かう大通りに出た。おれは強いて頬を引き締めた。
 その時、怪しいバイクが左についてきた。とっさにスピードを落とした。屁のような音がして、ハーレーの鼻先を銃弾がかすめた。右の車線を走っていた車がスピンした。運転席側の窓が血で染まっていた。その赤い鏡に、おれとハーレーが映っている。
 その後ろにさっきのとは別のバイクが映った。とっさにハンドルを左に切った。もう一台のバイクが、通り過ぎざま屁のような音を発した。おれは通りを逆走した。
 向かってくる車を避け、横道に入りながら考えた。なんとかしてハイウェイに乗らなければならない。そのためには回り道も必要だ。だが時間をかけすぎてはハイウェイが封鎖される。「学校」はおおっぴらに動けないが、いざとなったらなんでもやる。身動きの取れない列車やバスはダメだ。このまま行くしかない。
 横道をでたらめに曲がり、それでもハイウェイの絶対的位置を意識して、ハーレーを走らせた。
 敵は追ってきた。だが一台だけだ。もう一台はどこかで待ち伏せしているんだろう。
 おれはなるべく細かく道を曲がった。右、左、左、右、右。
 そしてもう一台を見つけた。横道があともう一度角を曲がれば大通りに出るというところで、案の定待ち伏せしていた。
 そいつの前で、おれはハーレーのシートを膝に挟み、車体を右に、後輪を左に流したて停車した。挟み撃ちにしようとする敵に横腹を見せる形。
 二台は突っ込んできた。
 おれはジャケットの両ポケットから銃を抜いた。両腕を左右に広げて突き出した。撃った、撃った、撃って撃って撃って撃った。
 右手の、おれを追ってきたバイクがスピンした。ぬいぐるみみたいに力の抜けたライダーもろとも、路地のビル壁に突っ込んだ。
 左手の、おれを待ち伏せていたバイクが横倒しになった。ぬいぐるみみたいに力の抜けたライダーが投げ出された。
 それらのそばをハーレーが駆け抜けた。おれはそのままハーレーをハイウェイに乗せた。トロトロと走る車と車の間をすり抜けていく。行く先は決まっていた、いや、覚えていた。
 おれの記憶、オリジナルから移されたおれの記憶が、おれの潜伏先を覚えていた。

 ……一週間後、おれはそこにたどり着いた。
 荒野を貫くハイウェイが、夕日を受けて血の色に染まった岩山を大きく迂回する直前、左手に同じ色に染まった風車が見えてくる。
 風車を目指して空っぽの牧場を虚しく区切る牧柵の作る通路を進むと、小高い丘の上にある一軒の農家に行き当たった。風車は農家の背後にある。
 ポーチからは覚えのあるパイプのにおいが漂ってくる。安楽椅子に座った男は、ビール片手に本を読んでいた。ハーレーの排気音はでかい。気づかないはずはない。
 おれは用心深く離れたところにハーレーを止めた。ポーチに向かって歩きながら、ジャケットの前を開けた。ベルトの前に差した六連発が揺れる。回転弾倉に弾は一発。その一発をぶち込むべき相手に、たっぷりと見せつけてやった。
 ポーチの前まで来た。
 おれはいった。「よう、おれ」
 安楽椅子の男がおれを見ていった。「よう、お前。ずいぶんかかったな」
「これさ」おれは包帯を巻いた右手を見せた。
「やるじゃないか」おれが笑った。まごうかたなきおれの笑い方だったが、こうして見るとむかつく笑い方だった。他人から見るとこんな風に見えるものか。
「便所で死んでたやつの右手がこうだったからな」
「自分でやったのか」
「ここにくる途中で医者を脅してやらせたよ。ビーコンもそこにおいてきた」
「そうかい、そうかい、上出来だな」おれはニヤリと笑った。そして本を閉じ、ビールを床に置いた。「わかるだろう、お前さんを生かしておくかどうか、実際迷ったんだぜ。だが、いずれにしても、これで誰もおれがここにいるのを知ってる奴はいないわけだ」
「おれ以外はな」そう言って、おれも口をつぐんだ。けつの穴がムズムズした。歯を食いしばって、その時がくるのを待った。

 丘の麓から土の匂いのする風が吹いてきた。
 風車がきいと鳴った。

 安楽椅子の上の、おれの体が左にかしいだ。右手が銃を抜いた。おれのひたいを狙ってきた。
 おれは腰を捻って、右手で腰の後ろのナイフを抜き、投げた。
 銃声がした。ナイフがおれの胸に突き刺さった。顔の右側を強く叩かれて、おれはバランスを崩した。
 おれが安楽椅子からよろよろと立ち上がった。おれは残った左目でそれを見ていた。右目は真っ暗になって、こめかみのあたりがズキズキと痛い。ベルトから六連発を抜いた。おれと目があった。
 おれは撃った。
 おれが死んだ。
 そう、おれだ。胸にナイフを突き立てられ、脳天に風穴を開けられて、後頭部から中身を噴き出して、おれが死んでいる。
 ――では、おれは? おれは誰だ?
 おれの手には銃。六連発の回転弾倉に空薬莢が一発分、あとは空。つまり、こういうことだ。
 おれが、おれを殺した
 これではっきりした。おれは何人もいるが、いま、ここで、生きているおれは一人だ。死んでる方のおれはやっぱり死んでいる。つまり生きているおれとは別物だ。やつは死んだ。おれはもちろん生きている。
 おれは一人。おれは、おれだ。












 ……だが、今、おれはまた一人じゃなくなっている。
 農場が夕暮れの血の色にゆっくりと染まっていくのを、農家の窓から眺めていると、遠く、ハイウェイの方から一台のヴァンがやってくる。
 おれは双眼鏡を覗く。ヴァンの運転席に座る男の顔と、助手席に座る男の顔が見えてくる。
 おれだ。
 おれがふたり。
 おれと同じ、おれのコピーどもだ。ヴァンの後ろにも乗っているかもしれない。
「学校」の追手だ。やつらはおれを諦めなかったのだ。おれが医者ごとビーコンを燃やしたのに気づいたのだろう。おれと同じ、おれのコピーを送り出した。
 彼らは――おれたちは、おれがしたように、おれのあとを追ってきた。同じおれどうし、考えていることがわかるんだろう。おれにもわかる。
 おれが、おれから受け継いだ農場を離れなかったのがまずかった。どうやら「劣化」とやら進行しているらしい。おれはここのところ、頭痛が酷くて寝込んでいたんだ。
 だが、おれは、おれたちがやってくるのを待ってもいた。おれの全身へとコピーされた、殺しの記憶は、いまやおれの記憶だ。身の回りのすべてを利用しろ。誰かを盾にしろ。そうしてなにがなんでも生き延びろ。
 とうぜんおれはそうする。それはもはやおれのメソッドになっている。追手の中のひとりふたり、とっ捕まえて、ビーコンを取り出してやって解放する。そいつを「学校」が追っているうちに、おれは逃げてやる。
 ……いや、それとも全員殺すか。おれはもうおれ以外のおれに煩わらされたくない。幸い、おれから受け継いだ農家には、おれの遺した武器がたくさんある。六連発に、弾は六発、ちゃあんとこめてある。

 いずれにしても、この夜を生き延びてやる。何度でも、生き延びてやる。
 殺られるわけにはいかない。殺るのはおれだ。
 おれは殺し屋。
 おれは、おれだ。

(おしまい) 

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