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コロナ渦不染日記 #38

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八月三日(月)

 ○すっかり忘れていたが、先週の月曜日、つまり七月二十七日に、特別定額給付金が振り込まれていたのだった。
 申請したのが六月二十日であるから、振り込みまで、一ヶ月強の期間がかかったことになる。

 ○風のうわさによれば、このたびの定額給付金が、申請してから振り込まれるまでには、現状でも二週間から四週間が必要であるという。
 申請受付初期のような、人手不足や不慣れによる混乱は、いまはもう少なくなっているだろうから、そこは自治体を信用するにやぶさかではないが、しかし、申請用紙が届くまでの時間も含めて、これはあきらかに「遅い」といわざるをえない。
 ぼくの仕事は、なん度か書いたが、緊急事態宣言下でも収入が減らなかった。しかし、世のなかにはそういう仕事ばかりでもあるまい。また、この災禍とその生みだした「コロナ渦」によって、仕事をなくしてしまった人もあったろう。そういう方々にむけた生活の支援が、この特別定額給付金の意義のひとつであったとすれば、この「スピード感」の時点で、このたびの給付金制度は失敗といってよかろう。
 だが、失敗は、次なる施行の改善のためにこそある。そのような余裕をもつことこそ、豊かさである。ならば、この失敗をふまえて、次はもっと早く給付できるように準備してほしいものである。

——「六月二十日」の日記より。
太字強調は引用時)

 この頃は、まだ、「次に特別定額給付金が給付されるときは」などと考えていた。しかし、この後一ヶ月の世の動き、特に、なかなか公の場に姿を現さない総理大臣など国の動きを考えると、それも期待はできまい。過去の失敗を繰り返さないために、過去の失敗に学び、未来を改善していこうとするのではなく、過去の失敗から遠ざかろうとするのが、この国のやり方になってしまったからだ。
 特別定額給付金は遅きに失した。いわんや布マスクをや(エアリズムマスクの発売されたいま、いわゆる「アベノマスク」のことなど、気にする人がいるだろうか)。すると、我が国の政府は、これらの制度を二度と活用しようとは思わないだろう。だから、もし、秋以降、この制度が再び必要になりでもすれば、失敗に近づくことのこわさに、おっかなびっくり再開して、前回の失敗経験も活かせず、前回とおなじか、もしかしたらそれ以上にもたもたした結果になるのではなかろうか。
 そうならないことを、ぼくも望んではいる。ただでさえ感染症の蔓延とともに生活しなければならなくなることは、「世間」という相互監視システムのなかで生きる日本人にはストレスである。そこに加えて、就業への不安、営業の見通しへの不安、金への不安が重なれば、そのストレスいかばかりかと思う。だから、もし同じような事態が起こった場合に、今度こそうまくやってほしいものだと願っている。けれど、そうならない可能性もまた、高くなろうと感じるのである。

 ○そんなことを考えながら、どうぶつマッサージを受けてきた。

 ○本日の、東京の新規感染者数は、二百五十八人。


八月四日(火)

 ○在宅勤務のあい間を縫って原稿を書く。なに、ばれやすまいよ。

 ○山岸凉子『天人唐草』を読む。

 表題作のおそろしさと悲しさは、いまさら言うべくもない。厳格というにはあまりに相手を見ない父親と、思考停止の母親が、主人公の人生を狂わせた、という読み方が一般的ではあるが、それだけではないのがこの物語の真におそろしいところ。主人公じしんが、自己肯定感の低さと、そういう境遇を脱して自分を決定的に変えてしまうことへのおそれから、みずから未来を閉ざしてしまうという側面も、ちゃんと描いているのである。
「毒親が悪い」「環境が悪い」とだけ言って、逆説的に主人公(と読者)に「『弱者』という赦し」を与えて終わるのではなく、痛めつけられる主人公を含めた、誰もが少しずつ事態に関与してしまっている複雑さを示し、突き放すことで、逆説的に思考を促すオープンエンドにしたところに、山岸凉子の天才がある。

 ○本日の、東京の新規感染者数は、三百九人。

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八月五日(水)

 ○朝から蒸す一日。駅に着くころにはマスクがびちょびちょになっている。今年の夏は、梅雨はマスクのなかにこそ来ていたのであろうか。

 ○さいとう・たかを『影狩り』八巻を読む。


 ○本日の、東京の新規感染者数は、二百六十三人。


八月六日(木)

 ○昨日の蒸し暑さのせいか、寝坊ぎみの朝になった。
 といっても、ぼくは、ふだん、二度寝を見越して、起床予定の三十分前には起きるようにしている。というより、起床リミットの三十分前にタイマーが鳴るようにしているのだ。こうすれば、約三十分の二度寝タイムが用意できるし、低血圧でなかなか起床できない時間も、無理矢理早起きしなくて済むのである。

 ○取引先の担当者が、すべてをこちらに丸投げしてくるので、珍しく腹を立てて退勤した。一杯飲みたい気分ではあったが、明日もあるのでぐっとこらえて、早めに寝ることにする。

 ○本日、八月六日は、七十五年前の一九四五年に、広島に原爆が投下された日である。
 このことに関して、ぼくはここではなにも語るまい。遠く離れた時代の出来事でありながら、今に影を落とすこの「災禍」を、どうこう言える知識も経験もないことを、正直に口にするのみである。
 ただ、この日記に関連することで言えば、山田風太郎『戦中派不戦日記』においては、そのことは翌々日の八日になってから、こう書かれる。

 ○広島空襲に関する大本営発表。
 来襲せる的は少数機とあり。百機五百機千機来襲するも、その発表は各地方軍管区に委せて黙せし大本営が、今次少数機の攻撃を愕然として報ぜしは、敵が新型爆弾を使用せるによる。
「相当の損害あり」といい「威力侮るべからざるものあり」とも伝う。曾てなき表現なり。いかなるものなりや。

——山田風太郎『戦中派不戦日記』より。

 では、六日その日はどう書かれているか。

 ○ドイツ処分案苛烈を極む。トルーマン、チャーチル、スターリンの三人は、人間の馬鹿の標本である。
 そう思うと実に人類の滑稽を感じるが、しかし現実に第二のドイツと目されている日本を思うとき、決して笑いごとではない。滑稽なる喜劇であればこそ、敗北せる当事国はいっそう悲惨な、戦慄すべき状態となる
 決して敗けられない。況んや降伏をや。降伏するより全部滅亡した方が、憤慨とか理念とかはさておいて、事実として幸福である。

——山田風太郎『戦中派不戦日記』より。
太字強調は引用者)

 ここ一週間の、本格的な暑さの訪れとともに、日本各地で新型コロナウィルスの新規感染者が報告されている。その多くは、いわゆる「夜の街」の「接待をともなう飲食」ではなく、家庭内の感染であるという。症状のない感染者が、職場や通勤途中で感染を広げ、そこで感染したものが、マスクを外した状態で互いに飛沫をあびかねない「濃厚接触」の関係にある家族に感染を広げている、ということだろうか。自主的に検査を受けたり、あきらかな症状があれば気づくこともできようが、無症状ではなかなか自覚できない、じしんが「無症状の感染者」であることを疑い、不安に思う場合もあろう。
 一方で、マスク着用についてもさまざまな意見が飛び交っている。いわく、いわゆる「三密」を避けるのであれば、マスクをしなくてもいい。いわく、屋外で、前後に他人との距離がある場合は、マスクを外してもいい。香と思えば、客商売である以上、マスクを外すわけにはゆかない。特に、テレビで取材を受けていた、クリーニング店の責任者のご意見は、山田風太郎がいうような、「滑稽なる喜劇」であるところの「いっそう悲惨な、戦慄すべき状態」であった。「たとえ高温多湿の作業場であっても、万一お預かりしているものに飛沫を付着させてしまうことなどないように気をつけていなければならないのだから、マスクを外してもいいなどと言われてもできることではない」というのだ。ごもっとも。
 感染症に気をつけろ。熱中症に気をつけろ。そのようにああだこうだ言ったが、結局はおまえたちが判断せよ。これこそ「滑稽なる喜劇」である。そして、そう言われた人々が、判断によって行動したことを、相互に監視して、落ち度ありと思われれば石持て追う「世間」のあるこそ、「いっそう悲惨な、戦慄すべき状態」に他ならない。
 このたびの災禍は、七十五年前においては、「戦争」に相当する、とぼくは思っている(そう思わなければ、こんな日記は書くまい)。だから、願わくば、「戦争」という長くこの国を覆った災禍のなかでも、特別すさまじい破壊をもたらした、広島と長崎の原爆投下に匹敵する「一撃」が、このたびの災禍において起きぬように。

 ○本日の、東京の新規感染者数は、三百六十人。

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八月七日(金)

 ○お盆前までの仕事が一段落して、これで正式に夏休みである。有給休暇も申請し、晴れて途切れのない連休となった。下品ラビットと祝杯をあげる。

 ○吉田戦車『酢屋の銀次』を読む。

 初期の吉田戦車氏は、出世作『伝染るんです』につながる不条理ギャグのテイストを、『伝染るんです』にはない、ある種はっきりした物語の構造に落としこんで語る、怪奇幻想、あるいは「奇妙な味」の作品の巧者であった。特に、この作品集に収められた作品群は、短いもので一ページと、小説でいえば掌編のものから、長ければ二十四ページと、普通の短編サイズのものまで、分量こそまちまちであるが、そのすべてが日常を微妙にずれた世界の人々を描いて、まごうかたなき怪奇幻想/「奇妙な味」の物語である。
 学校に住み着いた、人語を解するネコとの苦い思い出「学校の与一」とその続編「最後の猫戦車」や、事故に遭った恋人がサイボーグとして甦ったあとのある日を描く「鋼の人」、横綱を辞めた力士の身に起こった変化「力士の春」、怪獣を狩るものと怪獣を守るものの攻防を描いた「宇宙人」や題名どおりのキャラクターたちのこころの変化を描く「黄門」といったパロディは、日常をずらした「奇妙な味」と呼べよう。いっぽう、山田風太郎の怪奇美の短編「蝋人」を思わせる表題作「酢屋の銀次」や、周囲の人々を尻目にいつも幸福な侍を描いた「しあわせ侍」、未来の世界の剣道を描いた「少女剣士」は、怪奇幻想に属するものだ。
 特に、けなげな姉妹とおそるべき狂牛「やまと」との戦いを描いた「ぐるぐる円」と、第二次大戦下のポーランドを舞台にした「くすぐりさま」は、民話的なパースペクティブを内包して、この作品集の白眉であろう。

 ○本日の、東京の新規感染者数は、四百六十二人。



→「#38 夏休み前半」



引用・参考文献



イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/


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