コロナ渦不染日記 #67
十月三十一日(土)
○かねてより、企画に参加していた、オンライン配信のバーチャルライブイベントを手伝いに行く。
ぼくの役どころは、企画・演出の手伝いである。放送業界のことばを使えば、「ディレクター」となるだろうか。企画・制作者とのミーティングをとおして、イメージを具体的なビジョンに練りあげていく、触媒となる役どころである。具体的な成果としては、企画イメージ案、タイトル案(ゲーテの詩からの引用である)、英語ページ翻訳などなど――という役回りは、現場が動きだす前段階のものなので、企画当日にぼくのすることはない。現場には、雑用兼見学くらいのつもりで赴いた。
しかし、蓋を開けてみると、現場で雑用を行う場面は多々あった。機材の搬入、セッティングの補助、必要な資材の買い出し、などなど。まだ立ち上げ直後の小さな企画なので、よく言えば少数精鋭、そうでない言い方をすれば人手がぎりぎりなのだ。音響、CG、演者も含め、それぞれの分野に人員がそろっているが、それらのつなぎをし、フレキシブルに対応する「なんでもない/なんでもやれる」存在がいなかったのである。そこに、ぼくがあてがわれることになった。その役割は、充分にこなすことができたように思う。
○途中、資材の買い出しで、岬へ移動した。岬は、毎年、この時期になると、駅前でハロウィンの仮装パレードが行われることで有名だが、今年は例年とことなり、いつもの週末といった感じであった。いうまでもなく、この災禍の影響である。ぼくたちは、ハロウィンにも、仮装パレードにも興味はないが、毎年おおくの参加者を見ていたから、その方々の今年は、もしかしたら、すこしく寂しいものであるかもしれないと思うと、あらためてこの災禍の影響のおおきさを思うところだった。
○イベントが終了し、解散後、配信スタジオちかくの街中華で、ビールにあう夕食をとった。
蒲田の餃子は羽根つきの餃子である。
○ショーン・コネリーが亡くなった。九十歳であったという。
『ドクター・ノオ』に始まる「007」シリーズなど、おおくの作品に出演し、まさしく「大物」であったが、その長いキャリアのあいだに、若者の役から中年の役、壮年の役、老人の役まで、そのときの年齢に応じた役を演じて、まさに「俳優」であった。
ぼくたちが映画を見始めたころには、すでに、『インディ・ジョーンズ:最後の聖戦』のジョーンズ・シニアや、『薔薇の名前』のウィリアム修道士、『アンタッチャブル』のマローン刑事など、壮年から老人にかけての役でスクリーンに登場していた。若者を指導するメンターの役どころが多かったが、若者よりも目立っていて、『ザ・ロック』などはたいそう格好良かった(余談だが、『ザ・ロック』およびショーン・コネリーに関して、関根勤氏が、名著『関根勤のフルコンタクト映画館』で、「コネリー演じるメイソンは、かつてジェームズ・ボンドと名乗っていたスパイの変名のひとつなのではないかと思いながらこの映画を見た」と書いていたが、まったくおなじことを考えていたので、思わず膝を打ったものだった)。
ちなみに、ぼくがいちばん好きな、ショーン・コネリー主演映画は、『未来惑星ザルドス』である。
○本日の、全国の新規陽性者数は、八七七人(前日比+一〇一人)。
そのうち、東京は、二一五人(前日比+一一人)。
引用・参考文献
イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/)
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