コロナ渦不染日記 #47
八月三十一日(月)
○今日で八月も終わり。
個人的な「夏休みの宿題」と思い定めていた、冴木忍「卵王子カイルロッドの苦難」シリーズの第七巻、『微笑みはかろやかに』を読み終えた。
シリーズもいよいよ後半に突入し、主人公カイルロッドに降りかかる苦難が、彼だけでなく、物語世界全体をゆるがす未曾有の事態につながるものであったことがわかってくる。そして、その事態の前にあっては、特殊な出自と力を持つ、主人公のカイルロッドであっても、個人として無力である。ここに、このシリーズの価値がある。これは、特別な出自と力を持つから、世界を救うことができるとか、思いどおりに生きることができるといったような、短絡的な「理想」を見せる物語ではない。むしろ、特殊な出自を持っていても、思いどおりにいきることはむずかしいし、個人でしかない身には、世界を救うことなどできない、ということを語る物語である。そして、おおくの出会いと別れを経験するなかで、他者にこころを開き、けして他者の力だけをあてにせず、むしろ互いに協調することで、人は初めて自分の弱さを見つめ、赦し、乗り越えて、ようやく個人の限界を超えるはたらきができる入り口に立つのだ、ということを語る物語である。
「——皆が幸せになるように」
カイルロッドはゆっくりと言った。《語らぬもの》の力を上回っていることはわかっていた。
叶えてもらおうと思っての発言ではない。これは願いではなく、祈りだった。
何人であろうと、この世から悲しみと苦しみを消すことはできない。人の世にはそれは必ずつきまとうものだ。
まして、異常気象と魔物が跋扈する現在、人々はさらなる悲しみと苦しみにさらされている。
そして居間、こうしている間にも、どこかで誰かが死んでいく。
混乱が引き起こす戦いによって。
飢えによって。
寒さや、襲い来る魔物達によって。
助けを求めながら、どこかで誰かが死んでいく。
だから、カイルロッドはそう祈らずにはいられなかった。
「皆が幸せになるように」
リンッ……
なにかが鳴った。
金と水晶の破片が触れ合ったような、この世のものとは思えない美しい音だった。
——冴木忍『微笑みはかろやかに』より。
上記の内容は、一九九四年に書かれたものである。一九九〇年代は、中東ではクウェート侵攻と湾岸線戦争が起こり、西ヨーロッパではユーゴスラビア紛争とそれにともなうボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が、ロシアではチェチェン紛争が起こるなど、世界じゅうで民族紛争が絶えず起こり、それが世界じゅうに知られるようになっていった時代だった。だから、このシリーズが、そうした時代の空気を反映したものであると考えることができる。
しかし、その一方で、時空を超えて普遍的な、「苦難に直面した世界と人々」を描けている、とも考えられる。
上記の引用部分を読んだ方は、これが、現代の新型コロナウィルスの災禍に見舞われた世界に生きる人の祈りを語ったものである、と思わなかっただろうか。ぼくは思った。そして、そう思わせてくれるものを書いたところに、この物語の価値があると思ったのである。
○物語を読んだとき、「これは自分のことだ」「これは、この本を読んでいるいまと同じだ」と感じることがあるだろう。この共通性、この普遍性は、「いま、ここではない世界」を舞台にした物語であるからこそ、現実とのあいだに抽象性を確立したことで得られたものである。ぼくは、この構造こそが、「物語の力」であると考える。そうでなければ、物語を語るのにも、受け取るのにも、現実的な価値や意義はなくなってしまう。
このことは、以下のマンガを読むときにも、感じたことである。
記事の最後にも書いてあるように、この物語は『今昔物語集』にある「讃岐国多度郡五位聞法即出家語」を原作としている。作者の瀬川環氏は、原作を読んで、「雷に打たれたレベルで感動」したという。この、千年以上へだたった過去に書かれた物語を読んでの感動からして、「いま、ここではない世界」を舞台にした物語だからこそ得られたものではないだろうか。
「いま、この世界の」物語を読むときには、「とはいえ自分とは違う人のことだから」というバイアスがかかりやすい。それは、「いま、この世界の」自分を意識して読むからである。だから、感動がどこか距離のあるものになることがある。だが、「いま、ここではない世界」の物語を読むときには、「いま、この世界の」自分を意識しないので、前記のバイアスがかかりづらく、細かい事情を無視して、普遍的な感情を受けとりやすい。特に、喜びよりも悲しみを、楽しさよりもつらさを、そして悲しみやつらさにたちむかおうとする勇気を、そうしたものがなくならない世界に生きるなかで、せめて心安らかにあれかしという祈りを、我がことのように受け取るのである。
○本日の、全国の新規陽性者数は、四三七人。
そのうち、東京は、一〇〇人。
引用・参考文献
イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/)