通訳 (その5)
5
きみが再び〈通訳〉と接続したのは、〈鯛〉をたっぷり鳴かせたあとのことだ。
〈村〉の住人は基本的に音声会話をしないが、それは声が出せないからではなく、手でコミュニケーションをとる文化があるからだ。出そうと思えば、声は出せるのだろう。それと違って、〈巫女〉はほんとうに声が出せない。
彼女たちは、声帯を切除され、代わりにスピーカーを埋めこまれている。このスピーカーは、〈サイバー〉と接続されていないので、〈巫女〉の意思に関わらず、基本的にはなんの音も出さない。ただ、交わりによって発生する、なんらかのエネルギーが、スピーカーに、すすり泣きに似た音を出させることがある。〈村〉を訪れる旅人や、〈都市〉の旅団のものたちには、それを楽しみにしているものもいる。
そして、それはきみも同じだ。
これがきみが〈巫女〉を抱くもう一つの理由だ。
きみは寂しいのだ。
自分のしたことがストレートに誰かに伝わる瞬間に飢えている。
〈都市〉にいるときは〈ささやき〉がそれだった。〈ささやき〉は〈都市〉の空気を飛び交う、目に見えない通信網に載って、追跡している相手に瞬時に届く。 きみの頭に埋めこまれた〈サイバー〉を介して、きみはいつでも他人と一緒にいられる。
たとえ、独り〈都市〉の片隅で、いつ終わるとも知れない補修工事に従事していても、見知らぬ人々と、いつ終わるともしれない配給の列に並んでいても、〈電池〉の残量不足に怯えながら、真っ暗な部屋で指をしゃぶっていても、〈ささやき〉はきみを孤独にしない。いや、その孤独の心細さすらも、〈ささやき〉によって共有することができる。
消費が制限され、出産が制限され、〈あの世〉にも行けず、太陽光を見ることもなく、地上に出ることすらなく、一生を終えるものがほとんどの〈都市〉において、気の合う追跡者仲間と〈ささやき〉を交わすことほど、心を慰め、なごませるものはない。それは〈都市〉の〈議会〉もわかっている。〈賢人〉たちは、そのほとんどが、もやは肉体を失った存在で、たいていの時間を〈あの世〉で過ごしているが、〈ささやき〉選挙によって選ばれた、生きた〈賢人〉たちは、ちゃんと〈ささやき〉の重要性を訴えてくれている。もし〈ささやき〉が失われれば、人間が人間として存在する最後の理由を失うことになる。
〈ささやき〉は他者からの〈恩恵〉であり、赦しなのだ。世界からの赦しを失い、〈恩恵〉を得られなくなった〈都市〉で、〈ささやき〉なしでは、人は誰にも赦されない。それは、とても、つらい。
現に、きみは、〈ささやき〉の機能が停止してしまった〈都市〉が、発狂し、滅んでしまったという噂を、聞いたことがある。
〈電池〉に〈恩恵〉を施してもらいに〈村〉を訪れる旅団が、そこで互いに情報交換を行い、〈都市〉に持ち帰るのも、物理的な現象ではあるが、〈ささやき〉と同じ役割を持っている。
だが、この〈村〉に来るまで、きみは、必要以上に他人と接触しないことにしていた。
地上には、恐ろしい危険が無数に存在する。毒に侵された土地、奇形化した動物、略奪や、慰みのために旅人を殺す野蛮人ども。同じ旅人相手でも、安心はできない。自分にとって取るに足らないものが、他人の利益となるかもしれない。自分の命が、相手にとってとるに足らないものであるように。
そういう事柄も、旅団づてに〈都市〉には知られていた。だから、きみも警戒していた。
そして、それは孤独な時間だった。〈ボット〉を持ち出さればいいのに、と思った。
しかし、〈ボット〉も〈電池〉を必要とする。〈村〉が旅人に〈通訳〉に与えるのと同じように、旅人に〈電池〉を与える余裕は、〈都市〉にはなかった。
〈鯛〉の肉体は、そのさびしさを紛らわせてくれた。きみの行動が、〈鯛〉のスピーカーに、すすり泣きに似た声を出させた。
だが、そうするたびに、きみは〈ささやき〉の重要性を理解した。ああ、この女が〈ささやき〉を発せたら、と今、きみは〈通訳〉に〈ささやき〉を発する。そうしたらもっと安らぐのに。これじゃあ人形を相手にしているみたいじゃないか。
だが、それは間違いだ。きみは、〈鯛〉が行為の最中、きみの手を握っていることの意味を、理解していない。彼女は、彼女なりに、きみに伝えたい意思があるのだ。いや、伝えたいと思っていないかもしれない。だが、それでも、何かを思い、それを表さずにはいられない。それを、きみは、理解できない。
かといって、こういう行為のあいだに、〈通訳〉が挟まるのはもどかしい。女を抱いているあいだ、別の存在が送ってよこす〈ささやき〉を聞いていられるだろうか。あるいは、男に抱かれながら、〈通訳〉の表面を撫で、揉み、さすることができるだろうか。
現に、きみは、〈通訳〉に向かって語りかけた。
肌を合わせたってむなしいものだな。こいつはこっちを理解していない。
一方で、〈鯛〉は、左右の手を合わせ、独り言をしている。
彼女がなにを思っているかはわからないが、きっときみと同じなんじゃないだろうか。もちろん、それはきみには理解できない。
きみは、〈鯛〉を鳴かせた疲れで、うとうとと眠りこむ。
そして、夢を見た。
夢のなかで、きみは誰かと〈ささやき〉を交わしている。きみが〈都市〉でもっとも気があうと思っている友人だ。
友人は、きみを讃える〈ささやき〉を送ってくる。
きみのおかげでこの〈都市〉は永遠の繁栄を約束された。きみはほんとうにすばらしいよ。
やがて、きみの〈サイバー〉を介して、〈都市〉じゅうから、きみを讃える〈ささやき〉が送られてくる。そのどよめきの感覚は、あたかも昨晩きみが目にし、耳にした前夜祭のようだ。
〈都市〉じゅうが、きみを褒め讃える。きみは満足感で胸をいっぱいにする。きみは英雄だ。きみの故郷は、もう〈村〉に頼る必要がなくなったのだから。
だが、それは夢だ。それがわかったのは、〈通訳〉が〈ささやき〉を送ってきたからだ。きみは〈通訳〉と接続したまま寝台で眠りこけていたのだ。
もうすぐ正午よ。
その〈ささやき〉は、〈鯛〉のものだった。きみの〈通訳〉の上部パネルに手を置いて、〈鯛〉は〈ささやき〉を続けて発した。
〈まつり〉に出ないといけないの。
きみは失礼を詫びる〈ささやき〉を送るが、その前に〈鯛〉は〈通訳〉の上部パネルから手を離していた。さっさとガウンの前を合わせ、個室の戸を引き開けた。
きみはそそくさとズボンとシャツを身に着け、〈通訳〉を首から下げ、個室を出た。きみが〈鯛〉を顧みることはなかったし、たぶん〈鯛〉がきみを顧みることもなかっただろう。
【つづく】