コロナ渦不染日記 #71
十一月九日(月)
○ぼくが住んでいるあたりは、都内へ直通の路線がとおっていて、災禍以前には、毎朝がおそるべきラッシュであった。上り線のホームには、各車両の扉がくる位置に、駅員が立って、すし詰めの車両に、さらに客を押し込まんと待機していたものである。もちろん、電車を降りる客もあるから、すし詰めの空間が緩んだかと思えば、そこへ新たな客が押し込まれて、車両に残る客は、右へ左へ押しもまれることになる。意地と義理がせめぎ合い、怠惰と諦観が溶けあう、これはまさに地獄のような光景であった。
ところが、このたびの災禍の影響(コロナ渦)で、外出自粛にテレワークと、通勤する機会が減って、すし詰め地獄も沙汰やみになっていた。もちろん、通勤する人びとが、まったく絶えたわけではないけれども、往時に比べて少なくなったので、押しこみ要員がホームに立つこともなくなった。少なくとも、ぼくが彼らを見ることはなくなった。これは天国といってさしつかえない状況といえた。
しかし、今日、勤務の関係で、いつもより遅い時間の電車に乗ったのだが、これが、往時を思わせるすし詰め車両であった。目の前に人間の背中があり、背後からはイヌの高校生がぶつかってくる。足もとにカバンを置くことはできないし、かといって網棚に置くには、持ちあげる動作をするすき間がない。小動物専用車両もあるにはあるが、あちらはあちらですし詰めであろうし、歩幅の関係で階段近くに設置されていることもあり、乗り降りで混雑が予想されることは必至であるから、なかなか利用できない。
だが、これとても、ほんものの地獄に比べれば、まだましなほうである。あの地獄が、ふたたび現れぬことを願う……が、これは叶えられそうにない願いであることは、うすうす気づいている。
今朝の体温は三六・〇度。
○帰宅して、姪うさぎをあやす。相棒の下品ラビットにはおよばないが、ぼくも、なんとなく彼女のリズムがつかめてきたようである。たとえるなら、BPM120代後半から130くらいリズムで、背中を叩くと安心するようだ。頭のなかで、吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」を流しながら、赤子の背中を叩いている。
○本日の、全国の新規感染者数は、七八一人(前日比-一六九人)。
そのうち、東京は、一五七人(前日比-三二人)。
十一月十日(火)
○巣穴を出ると、朝の風が冷たい。思わずスマートフォンの天気アプリを見ると、気温は九度と出ていた。
今朝の体温は三六・〇度。実に二十七度の差がある。寒いわけだ。
○秋も深まり、日が暮れるのも早くなった。取引先を出たころには、すっかり外は暗くなっている。
○寝る前に、大沢祐輔『スパイダーマン/偽りの赤』を読む。
ひょんなことから「スパイダーマンのスーツ」を手に入れてしまった、気弱な日系の高校生・ユウが、面白半分にスーツを身につけたことから、「スパイダーマン」として活動することになる……というストーリーは、スパイダーマンの本質である「親愛なる隣人」にのっとった、すばらしい作劇と思う。〈スパイダーマン〉が、スーツでも、超能力でもなく、「圧倒的な逆境を前にしても、助けを必要とする人がいるかぎり、たとえちっぽけでも、勇気を胸に立ちあがる姿」であることは、大傑作『スパイダーマン:ホームカミング』でも、『スパイダーマン:スパイダーバース』でも、なんなら映画化作品としては不評をかこつ、『アメイジング・スパイダーマン2』でも、はっきりと描かれているのである。そこをしっかりと受け継いでいることが、第二話のラストでわかることからも、『偽りの赤』が、「正統派スパイダーマン譚」であることは明らかであろう。
○本日の、全国の新規感染者数は、一二八〇人(前日比+五〇三人)。
そのうち、東京は、二九三人(前日比+一三六人)。
ここにきて、一日で五〇三人という、大量の新規感染者が報告されたのは、寒さのせいもあろうか。
十一月十一日(水)
○昨日にひき続き、朝が寒い。そろそろタイツをはかねば、いかに毛皮があるといっても、耐えられなくなってきた。
今朝の体温は三六・一度。
○ひさしぶりにクマ先輩に同行する。ハリネズミ先輩もそうだが、クマ先輩も、有益なやりとりができる相手である。こういう相手と仕事をするのは楽しい。
○本日の、全国の新規感染者数は、一五四六人(前日比+二六二人)。
そのうち、東京は、三一七人(前日比+二四人)。
二日連続で新規感染者数が伸びているうえに、全国の新規感染者数の、これまでで最大の記録であった、八月七日の一六〇五人に迫る勢いである。
十一月十二日(木)
○スーツの下にベストを着、首にはマフラーを巻くことにした。
今朝の体温は三五・九度。
○通勤電車で、東雅夫・編『亡者会 日本怪奇実話集』を読み終える。
平井呈一・編訳『屍衣の花嫁 世界怪奇実話集』の復刊にあわせ、姉妹編となるべく編まれたアンソロジーである。編者は、怪奇幻想アンソロジストとして、現在、日本でもっとも名の知られた人物のうちのひとりであろう、東雅夫氏。平井呈一翁とセッションするなら、この人しかいないであろうという、堂々たる編業であった。
特に、『屍衣の花嫁』と比べて、基本的に素人の筆になる作品がすくなく、仮にそうであったとしても、一定のクオリティが保たれている点で、まとまりのいいアンソロジーとなっているところが凄い。『屍衣の花嫁』は、第一章に、「怪奇事件に遭遇した一般人の記録」を配して、この世ならざるものの息吹を感じさせる構成になっていたが、いかんせん、エンタメを意識した文章ではないため、淡々として、滋味に欠ける印象があった(続く第二章からは、作者名こそ不明だが、あきらかにエンタメを意識した文章になっていて、こちらもすこぶる面白いのは保証できるのだけど)。『亡者会』では、そこのところを暗に反省点として、ブラッシュアップをはかったのかと思うほどである。
ともかく、この二冊は、怪奇幻想の世界に今後にも名を残す、新たなマスターピースとなる可能性がある。
○朝に本を読み終えてしまったので、手持ちの本がなくなってしまったので、帰りに本屋にたち寄って、井上雅彦・監修『ダーク・ロマンス 異形コレクション49』を購入する。
さきほど、東雅夫氏を、「怪奇幻想アンソロジストとして、現在、日本でもっとも名の知られた人物のうちのひとりであろう」と評したが、井上雅彦氏もまた、「怪奇幻想アンソロジストとして、現在、日本でもっとも名の知られた人物のうちのひとり」である。一九九八年に第一巻『ラヴ・フリーク』が刊行されたことからスタートした、この「異形コレクション」シリーズは、井上氏のアンソロジストしての代表作であり、今回で四十九巻を数えることからもわかあるように、あきらかに、本邦で最長の、怪奇幻想アンソロジーシリーズである。しかも、毎回異なるテーマに応えて、寄稿される作品のクオリティの高いこともまた、本邦で他に類例を見ない。誇張でも何でもなく、シリーズのどの巻をひもといても、かならず一作は、自分の好みに合う作品を見つけられるはずである。
だから、二〇一一年の『物語のルミナリエ』でいったん休止していたこのシリーズが、今年になって、満を持しての復活を果たしたとあれば、これは怪奇幻想好きとして、手にしないわけにはゆかない。しかも、今回のタイトルにある「ロマンス」とは、これ、「伝奇」のことである。手にして、そのことに気づいてしまうと、もう止まらない。砂漠をさまよう旅人が、やっとみつけたオアシスで、湧き水を口にするように、九年間の乾きをいやすべく、ごくごくと読み干してしまいそうである。
○本日の、全国の新規感染者数は、一六六一人(前日比+一一五人)。
そのうち、東京は、三九三人(前日比+七六人)。
ついに、全国の新規感染者報告が、八月七日の一六〇五人を超えてしまった。一日に一六六一人が、新たに感染したのである。これは、あきらかに、感染拡大の波が来ているのであろう。政府の動きが注目される。
十一月十三日(金)
○昨夜は、帰宅したとたんに、気絶するように寝てしまった。たっぷり八時間眠ったので、寝覚めは爽快である。
今朝の体温は三六・〇度。
○仕事が思いのほかうまく行ったので、ほくほくして帰宅したが、たまった報告書をしあげるのに、日が変わるくらいまでかかってしまった。だが、これも楽しい週末をむかえるためと、気合いを入れる。仕事のために仕事をするなんてまっぴらごめんである。
○本日の、全国の新規感染者数は、一七〇五人(前日比+四四人)。
そのうち、東京は、三七四人(前日比-一九人)。
東京での新規感染者が減ったものの、全国は増加傾向にある。テレビのニュースでは、「Go To キャンペーンの影響が懸念される」と言っていたが、そればかりでもあるまい。
いずれにしても、こういうことが起こるだろうことは、想定されていなかったはずはないのだから、例年のインフルエンザウィルスの感染流行もふくめ、政府には、しっかりと対応してもらえるものと考えたい。
引用・参考文献
イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/)
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